断捨離。

Wednesday, December 30, 2020 - Posted by Knz  at 5:30 PM
年末恒例の断捨離にここ数日取り組み、かなりモノが減ってスッキリ。

大量に本を売りに出し、売れないものは捨て、場所だけとってていつか読もう、みたいのは、整理。

ざーっと読んでしまえばいいものは読み、レファレンス用にやはり必要、というものは残し、メリハリつけて取捨選択。

服もあらかた整理したつもりだったが、チョロチョロ不要なものはあったので、これも売れるものは売り、あかんものは捨てまくった。

思い出の品、的なものが出てきたら、それは残す、という、結構情緒的な判断もしたが、スペースを侵食して息が詰まる、、、という悪しきオブジェ化してるものは潔く捨てた。

小まめに買っては捨て、とやってるつもりだが、それでも入ってくるものの方が平日は多くなるのだろう…

最近は書籍が殆ど電子で入手できるのがいい。iPad pro二台待ちしてるので、紙ならではの読みやすさは検査など機能で限りなく代替。kindleは持ってるのだが、どうも反応が悪くストレスなので、結局iPadで読むことが多い。

今年はいつもにも増して、細部まで棚卸しをして、各所に分散していた小物を一元化して、重複、明らかに使用する量を超えてるものは捨てまくった。


断捨離、ではないのだが、久しぶりに休眠状態だった証券口座を活用してノーロード投信を月次積立設定。給与口座を今更だが二つに分けて、決済に使うもの以外の資金を別口座に当初から分別して、資金が証券口座に自動振替できるようにしたので、やたらモノを買い出すことを抑制できるようにした。財形もやってるが、やはり給与天引きのような形にしてしまった方が、判断の介入余地がなくなり、強制力が上がる。断捨離してると、なんでこんなに捨てたり売ったりしてるの、自分?、となるので、そろそろいい歳だし、転職ばかりしてきて退職金なんかないので、将来の資金を自己ファンド運用で準備しとかんと401kと年金だけだとリスク高すぎるな、と冷静に最近考え、金に働かせることにした。


マイカー保有継続はかなり悩ましいが、下の子供が往復、ちゃんと寝ないで歩ききれる体力がついたら、レンタカーに戻すかな、と、ここだけは少し様子見。ゴルフ行く時、朝早いからマイカー無いとキツイんだよね… まあ、早めにカーシェアを予約すればいいだけなんだが。。。


部屋がキレイになったので、落ち着いて勉強でもすんべな。





Regards,


Knz

Kaori Muraji.

Sunday, November 29, 2020 - Posted by Knz  at 12:08 PM
先日、マチネのおわりに、を観て以来、サントラで
メインテーマを延々とリピートしながら試験直前の週末追い込み中なのだが、apple musicのレコメンドで、暫く記憶から遠ざかっていた村治佳織さんのギターを再生してみると、なんとも心地よい。


クラシカルなギター、というのはあまり自分の選曲の選択肢になかった、のだが、年齢を経て落ち着く音楽がよいなあ、と思う今日この頃に素晴らしくフィット。


週末は聴いて疲れない、というか、心がスーッとなる、ほんわりする音楽がいいですね。



Regards,


Knz

iPhone 12 pro maxのスピーカー。

Saturday, November 28, 2020 - Posted by Knz  at 11:25 PM
Bluetoothにつなぐ前にたまたまiPhone 12 pro maxの
スピーカーでは音楽を鳴らしたら、前モデルより
遥かに綺麗な音に聴こえたが気のせいか…?

専用スピーカー?と聴き間違えるくらい綺麗な
音で、、、

今まではいかにも携帯のスピーカー、て感じだったが、どうしたもんかね…



Regards,

Knz

マチネの終わりに。

Posted by Knz  at 12:57 AM
ずっと気になっていたが、観れていなかった、
マチネの終わりに、を鑑賞。


It was really good, actually.


The main character is a professional guitarist, and the love between the woman who has a fiancé but he loves someone else, who might be acquainted when he works in New York.

The criterial timing was when the guitarist lost his mobile phone when Yoko, who loves his sound brought by his guitar , while his manager sent her message representing him, which completely differed from what he wants to tell when she arrived at Japan’s national airport.

After that kind of accident, he got married to that manager, while she, Yoko, got married to Richard, who had gone along with 20 years long, though he had kept angry about her betrayer when Yoko went to Japan, spoiling the relationship with Richard.

The only one message diverged their love and the life after the message. It was his fault to depend on the quite important communication with a very important woman, especially when she arrived at Japan from France.
But this shows the possibility for everyone, in every relationship, the very small thing happening in the relationship, which potentially break it and transform it into a completely different one.

I have remembered some memories with the woman, wha had a relationship with myself, which is almost about 20 years ago, while watching this movie.

I remember some miscommunication with her had happened due to only a quite small misunderstanding or time difference of the daily lives or sense of values, etc, but sometimes that kind of small thing had mattered and accumulated day after day...

The core of the feeling between the two is quite similar but something bothers them to match perfectly, at least between them.

The story is relatively happier as the two got a chance to meet after the memorial concert in New York, at Central Park. However, in reality, it is quite rare to find such a chance, what’s worse, it is usual that there’s no chance after several years past since the relationship broke up.

Many words, what talks we had still existed in my memories, though most of them had become unclear, however, if I say one thing that must be true is that if the chance has come, to confirm what any couple feels really at present, in the past, and talk about what the very thing they want to make it come true. If the current life is believed to be undoubtedly the best, it must be the best.
However, there might be another happiness if they really think of the other life would bring the better prospective times, then it might be true that it’s better to make sure the of that chance would fit for someone’s life, while there’s so much risk and unthinkable impact for the current life.

For me, it’s not permissible to try such a chance, but if I have a chance to meet the one I fully committed to love in my younger time, I am interested in meeting her again and talk what she feels about now and the past, also wants to tell my current situation and what I though about the past.


Regards,


Knz 






イノセントデイズ。

Sunday, November 8, 2020 - Posted by Knz  at 10:07 PM
アマゾンプライムを何気なく開いて、気になる感じのドラマがあり、週末なので、何気なく見てみたらハマってしまい、、、一日で全部見てしまった…

他界された竹内結子さんが主演、なのだが、中々先が読めるような読めないような展開。
仮説が当たってることもあるのだが、冤罪なのにそのまま突き進む、という、死刑の執行と、死への欲求の奇妙なバランス、というか需給の一致。

これはドラマだ、といえばそれまでだが、現実に同様のケースがあったら、法が定める死刑の執行とは何なのか。

ラストのシーンにある、信じた人に捨てられる方が死より恐ろしいこと、という一節。

人生の中で度重なる不運を自らの選択ゆえ、と言い切る自己責任の極致、というか、どう見ても不遇でしかないが、キッパリと自分が選択してきたことだから、と誰を責めるわけでもない。

どれだけ周りが止めても、死へ突き進むその姿は、本人が言う通り、生まれてきてすみません、という言葉に集約されるのか。


なぜこんなに真っ当な人が、他人の責任を被るかたちでいくつもの酷い目に遭って、逆にそうだったからこそ死刑の執行機会にすらすがろうとするまでに諦め、というか、無念なのか、この世に思い残すものは何もない、と極限まで吹っ切れる様は、何でこうなっちゃうんだろうな、あなたじゃないよ、そんな不遇に遭わなきゃいけない人は、と言いたくなる。


親や祖父母といった生まれ持った幼少期の環境が不遇であればあるほど、そこから抜け出すことが困難、ということなのか。不遇の中で誰にすがっても裏切られ、捨てられ、と、ほんとにボロ雑巾のようになるまで打ちひしがれた、ということなのか。


自殺を考えたらここへ相談、という貼り紙なども見るが、見ず知らずの人への相談してなど、気休めにしかならない、それよりも不遇な人がより早くその境遇から脱する手立てを、どれだけ早く差し伸べられるか、という方が重要なのではないか。


なぜ自殺なんて、と後で他人がいくつもコメントしてるような推察ほど胡散臭いものはない。多分いずれも外れてる。本人にしか分からぬ、それまでの蓄積、思いつきでない、どうしようもないものが、ある日、もう抑え切れなくなって爆発するのだ。そういうことなんじゃないか、と思わされるドラマだった。



最近、妻が取り込み中で、何も声をかけずに私が髪切りにいき、ジムに行って帰ってきたら、もしかして、、、みたいなことを言っていたが、私は自分で自ら生を終えるようなことはしないよ、だって少しでも生きたいから、みたいなことを言っていたことが最近あり、それだけに今回のドラマは気になるテーマであった。


全然話違うが、劇中の音楽、窪田ミナさんの音楽が素晴らしい。英国王立アカデミー出身、と半端ない…
非常に繊細なタッチの音だが、クライマックスには極めてドラマティックな演出に色を添えていた印象。


Regards,


Knz

YogiboのiPad置きクッション。

Posted by Knz  at 4:56 PM

下記でiPadはめ込みながら勉強、が、ほぼ無制限に集中力をキープできる。そんなに高くないので、個人的な費用対効果はすごい高い。



ポイントはクッション、ではないかと思っており、yogibo自体、一度座る(埋もれる?)と起きれないくらいのリラックスが可能なビーズクッションで、ゆえに買うとダメになりそうで買わないのだが、、、上記のiPad置きは勉強の精神的負荷が机に向き合ってがっつりやるときほどかからない気がして、ほとんど気が散らない。音楽流しっぱなしなのもきいてるか。


あまり集中してやりすぎると、気づくと相当疲労してるので、、、適宜休憩を意識的に入れる必要があるくらい。

次いでにいうと、子供がフィーバー状態になったらイヤーマフすればストレスもそんなにかからない。



以前は自習室とかに通ったが、その必要もない。



うーん。経済的。
自宅完結、というか自部屋で完結、が一番楽だ。




Regards,


Knz

Bose solo 5 system.

Monday, October 26, 2020 - Posted by Knz  at 9:25 PM
リビングに新しいテレビを設置後、それまでのテレビは自分の部屋に置くようになり、ブルーレイやapple tvを繋いで、自分の好きなときに好きなだけ観たいものを観れるような環境を作ったのだが、どうも音が物足りない…

ということで、サウンドバーに興味津々な今日この頃だったが、中古で格安でBose solo 5なるサウンドバーを購入したところ、これはかなり良い。

ライブのブルーレイなど臨場感あるし、Apple Musicをスマホからbluetoothで飛ばすと、これまで使っていたBose soundlinkのスピーカーより格段に良い。特にjazz pianoとか鳴らすとたまらなく綺麗。

テレビ用のつもりだったが、音楽鑑賞用にも相当良い、という嬉しい誤算。

下手なホテルより自分の部屋が何より快適。



Regards,



Knz

無音。

Saturday, October 24, 2020 - Posted by Knz  at 12:03 AM
仕事を終えた後、スカーレットレターなる映画を観ていた。

観終わったあとに、主演のイウンジュなる女優を検索すると、何と自死している…
死因がこの映画、となっているから、それほどに激しい役であった、というのは察するに難くないが、それだけ差し迫る情感、というか、強く印象に残る役である。


週の半ばに届いたブランデーを飲み比べしていたら、それなりに酔ってるのだが、この頭がぼんやりする状態で、無音状態にいるのが何とも贅沢な時間な気がする。時計の針を戻す、というか、分単位で動いてる日常を忘れられる時間、こういう時間が非常に貴重。



思えば高校生の頃から夜、ほろ酔い気味で結構シリアスな映画を見るのが好きだ。高校生で酔ってるなよ、と突っ込みたくなるが、以前は今ほど年齢にうるさくなくて、普通にコンビニとかでビールが買えた記憶。



今頃、いい女優になっていたんだろう、と思うと過去の作品しか見れないのはどこか寂しい。
生きてないと何も感じれないね。
どこか疑問に思ったり、辛い、しんどい、と思っても、まずは生きないと、かな。






Regards,


Knz

ブランデーとウイスキー。

Saturday, October 17, 2020 - Posted by Knz  at 9:44 PM
寒くなってくるとウイスキーが飲みたくなる。

マッカランのボトルが部屋にあるので、たまに
ストレートで飲むのだが、この季節になると
格別。

パンチの効いたものが飲みたくなり、スモーキーな
ウイスキーの飲み比べセットを物色したり、
少したまにはフルーティーなのもいいか、と思い、
ヘネシー、リンゴから生成されるというブランデーも
興味本位に調達。


金曜夜から週末にほろ酔い気分で過ごすのは恒例なのだが、昨日は仕事詰めだったから時間差でお楽しみ。


バー、とかもいいんだけど、一人でぼーっとしながら
静かに呑むのがいいんだよねえ。経済的だし 笑。



Regards,


Knz

Maschine mk3でのトラックメイク。

Sunday, October 11, 2020 - Posted by Knz  at 12:40 PM
Maschine mk3を昨日セットアップし、Macに入れてあるnative instrumentsのkomplete ultimate 12の音源をベースにテストで4小節作ってみたが、想像より少し上くいの感触。

やはりキーボードなしでコードなど、デジタルにメジャーだ、どのキーだ、とセットして、パッドを使って曲づくり、というのはあたかもドラムの打ち込みをするような感覚でメロディーラインまでいけてしまうし、鍵盤だと指の運指の制約があり、リアルタイムに手を動かすとこうは動かない、というものも、パッドなんでリアルタイムでいけてしまう。

感覚的に、いつも聴いてるような音楽を、maschineの音のブラウジング中に耳で感じて、インスパイアされるままに音を重ねていくと、音楽理論とかあまり考えずとも曲作りはサクサク進む。

現にインストール作業で21:00くらいから開始して、気づいたら2:00amを過ぎていた、というくらいのめり込んでいたので、高校や大学時代のときにシンセサイザーにとにかくのめり込んだときと同様の面白さ、のようなものがあるのは間違いない。


まだ、パターンの一節を作っただけだが、Udemyで買ったmaschine講座やyou tube見たり、マニュアル本などamazonで買ったものを見わたしてる限り、まだまだこうやればこれができるな、昨日の4小節の編集で発展形を作っていけば、このままDAW、キーボードレスでトラックを作り切るのもいけそうか、という感触。


もちろん、ボーカル入れようと思ってるので、DAWは使うのだが、ボーカルレコーディング、ミキシングもizotopeなる会社のAI仕込みの自動分析、最適ミキシング提案を適用していけば、rx8でノイズ除去、ozone, neutronで即席で完了する(あくまで趣味レベル)、という工程を踏むと、以前ならば膨大な知見、りそーす、時間を投下して制作されたスタジオクオリティのものに、素人一人でも届くか、というほどの、それなりのクオリティに仕上げることは出来そう。

マイクもコンデンサーマイク+部屋の反響抑制対策の代物を仕入れてあるので、曲そのもの以外のソフト、ハード面は相当充実したものを整備できてきたか。

あとはAIの音声合成がもう少しUI/UXがいいものが世の中に出てきて、自分でない人に歌わせられるようになれば、もはや高校時代に夢にも思わなかった、自己完結の曲作りはほぼ完成形になる。


こう仕事以外のことで妄想を膨らませるのも非常にワクワクする。


やっぱりシンセとか電子音楽機器を使った音楽制作が好きなんだろうな。。これだけは一生飽きない気がする…



Regards,



Knz

意思決定できること。

Friday, October 9, 2020 - Posted by Knz  at 11:58 PM
意思決定できる、という人は意外と少ないのかもしれない、というか、それを勇気というのか、腹括るというか、それができる、できない、という大きな分岐点があるのではないか。


先般書いたようにしのごの言うひとつとして、この意思決定への不安、というか、それを完全に回避したい人というとはいるのだ、という現実に最近愕然とする。


それができるであろう人もいるのだが、こちらの目からできるだろう、というのと、その人の自己認識は大いに異なることがひとつやふたつではない。


その意味ではかなり意思決定を自分はこなしてきていたのか、とカン違いなのかほんとなのか分からないような今日この頃である。

前にも書いてるとおり、当然私以上に責任範囲が広い、重い人はたくさんいるのだが、それでも私を基準にしても、そんなにちんまりしてていいのか、もっとできるはずだぞ、と傍目に見ても、自分で天井作ってしまってる人が少なからずいるように見受ける。


失敗への恐怖心がその人たちよりは私は希薄なのかもしれない。もちろん家族を養わなければならないし、それなりに自分の好きなことはしたいし、必需品以外で買いたいな、と思うものもあることはあるから、当然だと私も失敗が全く怖く無いとはいわないし、失敗せんように慎重を期す、むしろ失敗して関係者が何だこりゃ、となる事態を回避したい、という方が適切だろうか。


最悪クビがとんでもなんとかする、というある意味割り切ってるからなのかもしれない。だってそうなったらなんとかするしかないんだから。


その腹づもりがあるかどうかの違いなのかな。こう書いてるとそんな気もする。


そんな人に限って他人には厳しく、やけに自分の評価がインフレしてる気もするので、そこは不思議だが…


私のようにそんなに大したものを生まれ持ってない身からすると、何と勿体ない、と思うことがほんとに多い。



世の中不思議なことを歳を重ねても目にするものだし、その衝撃のレベル感たるや唖然としてしまうほどだ。マヨネーズのパッケージを絞り切ってようやく出てきた数滴、のようなレベルまで活用しないと自分は何だが生きてる気がしないので尚更だ。




うーん、不思議、、、




Regards,


Knz



しのごの言わず。

Saturday, September 26, 2020 - Posted by Knz  at 12:26 AM
コンサルファーム時代に振り返ると現場と
組織上とで計10数名の部下がいたが、現場
だけでそれなりの人数がいるとマネジメント負荷は
かなり高い。

100名、1000名、とか管掌してる人には鼻で
笑われそうだが、ちゃんとひとりひとりに向き合う
前提だとそれなりに大変である、のは正直な感想。

前にも書いたが、結構マネジメントを軽視していたので、それを克服するのがテーマで転職してるし、多くても少なくても得意不得意を問わず、向き合えるか、は真剣にやったことがない限りは理解できないだろうな、とは思う。それだけケースバイケースで人の数だけ異なる対応、アプローチがあるから、だろうと思う。あまり教科書的なものは通用しない、地頭でその場、背景、状況、相手の反応や性質、スキルレベル、など、かなり色んな変数がある中で最適解を頭フル回転で探し、打ち込み続ける、という結構タフな仕事だ、と正直思う。

プレーヤーとして一人で作業し、失敗の許されない資料など作ったり、それをプレゼンするのはそれはそれで大変なのだが、個人に閉じる話と相手がいる話は次元が異なる。コントローラブルでないところが個人の場合より遥かに多いから、と思う。

部下の人たちと話していて思うのは、ハードスキルが偏ってて、しのごの言って仕事を選ぶ人と、よーわからんが、目の前の仕事、あるべき仕事をとにかく真摯にやる、大きくはこのふたつに分かれるな、と思う。

しのごの言ってる人はそれなりにできる人であることは事実なのたが、どこか成長の伸びしろがもうほとんど無い、年齢重ねてメンタル、体力的に衰退してる分かえって退化してないか、と感じることもままある。


他方でとにかくやりきる、という人も少数派だがいる。採用などではこういう、やりきれる人、を色んな角度からとれるよう、またそういう人に育成していけるよう、というのが極めて重要ではないか、と最近思う。大きな分岐点として、ガタガタ言わずにとにかくやり切る、という人はどんどん周りから信頼されるし、やる仕事も増えて、結果、他の人よりは数倍早く成長していくように思う。やりきったあとは何とも言えない感慨のようなものを感じているようにも側から見ると思える。


こう書いてると、要はしのごの言えるのはレイヤーの低いところだけで、しのごの言ってる暇などないし
そんなことやってる暇があればやるべき仕事しろ、というモードでシニアレイヤーに近づくほど仕事しているので、しのごの言って結局動けない人は一生今より大きな仕事もできないのだろうな、と、残念な気付きに至る。



そうだとするとこれまたよく言う話かもしれないが、伸びるやつは伸ばしまくり、どんどん仕事のレベルを上げていき、しのごの言ってる人は今の仕事を粛々やってくれ、と大別するほかないようにも思える。
寂しい話だが、今日、評価会議がありそういえば高いレーティングは一部の人にしかつかないし、世の中そんなものか、というある意味覚めた目でみる他ない、と思うふしもある。


もはやこの年齢になると、諦めるしかない人たちも一定数いることを受け入れるしかないかな、と世の中で当たり前のことを今更思ったりする…


こう書くと、しのごのいう人の思考回路が理解しがたく、どうしてこうなるのかな?と不思議で仕方がない。


仕事観、というか、何をあたまに置いて仕事に取り組むか、物事に取り組むか。戦略的、効率的、ショートカット、とか、みんな楽したり、ズルしたいのかもしれないけど、それじゃあ積み上がらないものもあるよ、って、みんな思わんのかな、と凄く個人的には不思議に思う。


不思議思うことを、そう思う相手に伝えてあげるのが仕事なのかな…



ぐるぐる回って目が回りそうなのでこのへんで…



Regards,



Knz


ポチった…

Saturday, September 12, 2020 - Posted by Knz  at 10:00 PM
有機ELテレビ、中古なら程よい値段で買えたので、
買ってしまった…

朝見てからずっと有機ELのこと考え続けてて、
一目惚れした女の子に胸をドキドキさせて(おっさんが
もはや言ってくれるな、ってのは承知だけども、うまい例がそのくらいしか浮かばない…)
と、いうのに似たものを感じて、これは買わないと
収まらないやつだな、と判断。

機材なり本など大量に最近売却してるので、その
資金を充当すれば足が出るのはわずかで…



うーん。我ながら衝動買い、だが、こんなに
感動的に綺麗な画面を見れるのは憧れもあり、
転職して落ち着いてきたので、自分へのご褒美…

ブルーレイとか映すと凄い映えるんだろうな。期待。






Regards,


Knz

4K有機ELテレビ。

Posted by Knz  at 11:25 AM
歯医者に行ったついでにユニクロで家着を買ったら、
ビックカメラと繋がってたので、テレビを見に行ってみた。

10年以上使っててまだ使えるのでもったいない、とは思いつつ、最近のテレビはどんなもんか、と見に行ったのだが、有機ELテレビなるものは新聞でしか見てなかったが、凄いクオリティだ。中でも日本のメーカーのは素晴らしい。非の打ちどころがない。

単なる4Kが隣に置いてあると大幅に見劣りし、買う気がうせるが、有機ELは次世代感がかなりある。4Kの映画がデモで流れていたが、本当に手触り感があるような映像で2Dなのに3Dの感覚。

ほしいなー、と妻に相談してみるかな。デカイのは嫌、とか平気でいいそうだが、少なくとも55型以上、できれば65型とかがいいが、コスト的には55くらいがリーズナブルな気がする。



Regards,


Knz

通勤ほぼ無し生活。

Thursday, September 10, 2020 - Posted by Knz  at 11:09 PM
どこの会社もそうなってきているんだろうが、通勤無し生活、とは、慣れてくると意外と自分に合ってる、と思うように。


たまに社外関係者に会うために都内に出る必要があるのはあるんだが、月イチくらい。


東京は確かに刺激に満ちており、色んな店だの新しい発見が色んな場所で相次ぐ、エネルギーは感じるが、他方で毎日いかんでもええやろ、とも思う。


たまにいくくらいが郊外育ちの自分には丁度いい。
もはやいま治療中の歯医者にいく頻度の方がオフィス行くより多い状態。



たまにいくと、東京はやはり面白いほど景色が変わるし、まだいったこともない場所があるし、いったことがないところに行くと胸が躍る。

そんな楽しみは住居のある場所にはほとんど無い。



通勤が無いので運動不足になるからほぼ毎日ジムにいき、ジムが休みの日以外、週6で行ってるし、夕飯食べる時間も仕事の合間、とかだから夜遅くに食べることはなくかなり健康的。


思えば最初に入った会社でアメリカに出張したとき、もう10年以上前だが、当時からアメリカの人達は自宅で仕事するのがスタンダードだった。国土が広いから通勤なんか無い方がいいのだ、とそりゃ当然だなと思ったが、今、日本で同じことがやっと起きてる、しかもコロナという必要に迫られて、ということがないとそうならないのは、最近よく言われるITリテラシーの低さゆえか。。世の中、ITリテラシー低い人に向けた労力が社会全般でかかってる、と何ともレベルの低い話が公然と書かれているのはどんな国やねん、と突っ込みたくなる。


テクノロジー礼賛、となりがちだが、確かにテクノロジーへの期待値は高く、より便利により効率的に短時間でできるようになることが増えるのはwelcome、とは思う。とはいえ田舎も好きだし、アナログなものもモノにより好き、と自分の中で相反する概念がモノにより混在している。



何を書いてるのか分からなくなってきたが、、、自宅で過ごすことが増えると、コントローラブルなことが多いのでストレスが少ないのだ、ということでないか、と。

オフィスの良い悪い、特に公共交通機関を含め、自分には冷暖房の非効率さがものすごいストレスで、自分の体調に合わせて服をすぐさま着替えるし、冷暖房も自分に最適にコントロール可能。皆んなが暑くても自分には寒い、となれば厚着する必要があったが、自宅にいれば都度調整できて、快適である。仕事の合間に着替えもできるから汗かきっ放しで風邪を引いた、とかもこの夏は皆無。

また、何より作業に集中できるし、会議さえなけれ
ば途中でジム行って、また再開、とかできるし、子供にもたまに話せたり。土日しかほとんど家族と話せない、とよくあるモーレツサラリーマンに陥ることもない。実態はあまり変わらないが、オフィスにいたら同僚と会話するのだろうが、家族と話す時間に充当され、家族持ちとしてはかなり健全。


他方で、やはりネックは同僚との関係性作りか、と。未だに殆ど会ったことがない人達とリモートで会うのみ、というのは、慣れるしかないが、やはりどこか薄っぺらい、というか、本来の信頼関係、のようなものが希薄なまんま、に思ってしまい、そこは何となく寂しいものも無くはない。


トレードオフはいつでもあるので、100%完璧、は無いが、ネットしても自分には今のような働き方なら死ぬまで働けそう、とは思う。需要さえあれば、だが。

最近は投資にもまたトライするかな、と思う今日この頃だが、投資家の人生がいいか、というとまたそれは違うか。

起業家よりは参謀型かな、自分は、とこの歳で何となく感覚値としてそう思うので、参謀型の仕事は持ちつつ、投資家でもあり、空いた時間は音楽に投じる、とかが理想形かもなあ、と何となく最近思いはじめている。

一通り機材も売れるものは売り、最近のテクノロジーにリプレースして、殆どセミプロレベルの環境は再構築できたので、また年内に試験が終わったら、しばらく遠ざかってた創作活動に精を出すかな、とか思ってたり。


こうして書いてると、自宅で自分なりにフォーカスして、稼いで飯食べれて家族養えたら、それなりに人生幸せに生きれそう、という感触。


ゴージャスなのもたまにはいいけど、身の丈に合ってるのが自分は何か気楽かもな。



Regards,


Knz

Voidol VST.

Saturday, September 5, 2020 - Posted by Knz  at 1:38 PM
VoidolのVSTなる、男性の音楽制作をしたことがある
人なら待望のソフトが今年度にはリリースされるらしい…


秋葉系には興味ないので、もう少し普通の声質のものが今後追加されることを期待しつつも、これがあるとデモ音源作るときに女性の声で歌わせたいが、自分オトコでして、、という根本的な制約があるのを解消できる。

もう少しアダルトでクールな感じの声があると良いなあ…
最終形は、好きな歌手の歌声をサンプリングして、機械学習してもらい、VSTで歌わせられるようにできたら、というのが妄想レベルだが目指して欲しい姿。
Apple musicなどの音源をアーティスト別に打ち込めば勝手に機械学習してくれる、とか夢のようなソフトが出ないかねえ…出たら世界中で売れるべや…



もちろん、歌唱力が課題になるが、自分で歌ったのを声を置換するだけ、の方が圧倒的に軽い作業になるし、趣味に投じる時間が限られる自分には非常にあると助かるもの。




これをベースに製作しておくと、実際にイメージしたアウトプットにしやすくなりそう。


Regards,


Knz

マネジメント。

Friday, September 4, 2020 - Posted by Knz  at 11:01 PM
試用期間を無事抜けた。

というか気づけばそうなってた、というくらい
目まぐるしく時が過ぎた…



今の会社には前の会社のやむをえない事情があり、転職、と、これまでのように完全に自発的に転職したのと異なる事情があった。

その割にはそれなりに希望をミートする職責、経済面など諸条件は確保が出来たので不満は特に無い。
むしろ期待以上にモチベーション高く取り組めている、と思えている。



今のポジションを選んだのはブランド力では無い。
キャリア形成上のブランド力ならもう一方の内定先に行くのが是、である。マーケットバリューも多分、その方が高かったのではないか。


なぜにいまのポジションか、というと、

若手が多い、育成が課題だ。
逆に言うと白地のキャンバスだから、模範となる人に来てもらえれば彼らの育成には非常によいと思っている。


この言葉が今は上司からあり、社長からも是非、という言葉を頂けたのが大きい。


こんな自分でいいならやらせて頂きます、という感じで、何か後ろ髪引かれる思いがあり、また、ハードスキル的には十分通用するだろう、という想定があり現に問題ない認識で回せているのだが、フィーリングだろうか、チームマネジメント、というものが自分には課題で、これまでの会社で正直、あまりうまくマネジメントできた、と思えていなかったので、マネジメントを今回は真剣に向き合って強化しよう、というのが自分にとっての大きな考えであった。


管理が全然できてないじゃないか、
メンバーが不安に思ってるぞ、
モチベーションが落ちてる、と相談を受けたがどうなってんのか、
もっと部下に任せろ、
チームマネジメントについてどう考えてる、


などなど、聞いた当初はこんなに忙殺されてるのにそんなフィードバックですか?たまらんな、こりゃ、と思うものばかりだったが、耳が痛いものばかりではあった。


プレーヤーとしては難攻不落のものを突破してきた感はあるのだが、よく言う話でマネジメントとプレーイングは比例しない、というか、ある程度プレーヤーとして動くのは最後の手段、という体制がある環境下において、自分はどれほど最後の砦としてプレーヤーとならずにメンバーひとりひとりに向き合い、チームを動かせるか、チームのアウトプットを最大化できるか、というのがテーマなわけだが、想定以上にこれは大変である。こう書いてみると、やはりマネジメントスキルはまだまだ未熟で、これまで模範としてきたマネジメントや今の会社で模範となる人達の良いところを学び、実践を繰り返す訳だが、非常に頭を悩ませることが多い。。特に色んな年齢、バックグラウンド、性別、と色んな掛け算で構成されている(どこでもそうだろうが、、、)、最適解が常に変動するし、極めて難解なパズルのピースがいつも埋まらない気持ち悪さのようなものを持ちながら走り続ける、という、何だかよくわからなくても、愚直に都度向き合って対話を続けるしか無い、ということか、ともやもやしながら取り組んできてはいる。


今後の職業人生の中でレイヤーが上がっていき、管掌人数がアホみたいに増える可能性も想定すると(変わらん可能性もあるが、、、)、今のうちに間違いなく強化しておかんと、万年かわり映えのしない人生になる可能性大、なのでやるしかないのだが、、、やはり入る前に思っていたとおり、マネジメントを強化するための環境としては間違ってなかったか、とは思う。



仕事は幾何級数的に増えていって、なんじゃこりゃー!と絶叫したくなることも多い日々ですが、日々これ精進なりか、と。



Regards,



Knz

一休。

Friday, August 14, 2020 - Posted by Knz  at 6:14 PM
先月、関東近郊に車で2泊旅行に行ったのだが、
宿の感染対策の徹底度合いには安心して
泊まれた、家族の満足度も高く良かった、
と思っていたが、予約時に使った一休で
事後でgo to travelの補助金申請をやってくれる、
通知が来て、やってみたら1分もかからず完了して
拍子抜けした…

宿から宿泊証明などもらって、観光庁の事前案内
に従い、書面を記入して、あとは事務局の住所が
明示されたら投函するだけ、という状態にしていたが、オンラインで簡単に出来たので助かった…

観光庁のHPで案内されていたオンライン申請はさぞ
大変そうで、、、一休で決済しておいで良かった…


こういうCXの良いサービスが増えるといいですね。



Regards,


Knz

断捨離。

Friday, August 7, 2020 - Posted by Knz  at 12:25 AM
自宅勤務になると部屋に一日中いるので、今までは
あまり気にしなかったことがやたら気になる。


不要に思えるものが目につき、何でこんなものがいっぱいあるのか?5年以上触れてもいないものが沢山あるじゃないか、と自分でも驚くほど、今となっては不要、今後5,10年しても触れないものがあるので、その観点で売れるものは売り、売っても配送したら赤字になるものは捨て、と強烈に断捨離。


お陰で大分スッキリしてきたが、あと2,3割、まだやり残してる感があるので、少しずつ仕事の後などにちょろちょろ断捨離を継続。


ミニマリズム、まではいけないかもしれないが、相当、無駄を徹底的に排除し、スッキリした部屋にしようと奮闘すると、無駄なものが視界に入らず、ストレスが減る気がする。


どこまで続くのかがまだ見えないですが、クローゼットも含め、整理、取捨選択していけるのは、中々良い機会です。

そのうち殆どモノがない部屋、とかになるかな…
妻はそれを切望してそうだが…

あまりに激しく断捨離してたからか、

引越しみたい、


と一言。言い得て妙、ではある。


Regards,

Knz

ノーコード。

Wednesday, August 5, 2020 - Posted by Knz  at 11:05 PM
News picksでノーコード特集をしていて
かなり久しぶりのワクワク感。


Webflow, bubbleといってサービス構築をノーコードで
実現するのが、pricingを見ても、ある程度の機能で10,000円/月でできる、と革命的。

Newspicks編集部でトライしたプロセスを見ても
時間をかければある程度のクオリティのものは
ハコは作れそう、あとは運用、改善を根気よくできるか、というところが勝負になるように見えたので、
ゼロベースで環境設定から黒画面でコーディング、あーだこーだ、というプロセスを経ないで感覚的にサービス構築できそう、という雰囲気は感じて、
アイデアはあるが、具現化するのにどうしてもエンジニアが必要、というのを思うと二の足を踏んでいたが、やらない、やれない理由がもはや無い、と見えた。


ベータ版作るとか、インフラになるようなサービスでなく、ニッチなものでも必要とされるものを作る、とかなら、夏休みくらいの期間あればいけそうにも見え、冷静に考えると週末にある程度集中してベースを立ち上げ、平日にちょろちょろ改善を施す、とかやればできるんじゃね?、というのが想像。


まだ試用期間中だが、もう少し慣れてきたらやってみたいな。



Regards,


Knz

自宅勤務の日々。

Sunday, July 12, 2020 - Posted by Knz  at 7:28 PM
すっかりオフィスに行かなくなった。。転職して
いきなり自宅勤務メイン、というのは人生初で、
これに慣れるしか無いので、快適さを確保するため、
会議用のマイク、スピーカーフォンだの、
今日はユニクロで、ワイドフィットテーパードパンツ
なる、イージーパンツのようなものを買ってきたり。

もはや正装する機会がほぼゼロで、身だしなみというと整髪、髪をぼさぼさにならぬようこまめに美容室にいくのと、ヒゲを剃っておくくらいか。

服装で負荷をかける必要はゼロになったので、思い切り機能性重視に舵を切る。

少し疲れたな、と思ったら横になり休み、またスッキリしたら作業再開、といったことや、家庭の生活音や話し声などのノイズ以外は静かなので、作業に集中できる、という意味ではいいのだが、よく言う話であまり帰属意識というものを感じなくなる。フリーランス、とまでは行かないのだろうが、何となくそれに近しい感覚知をみんな少なからず感じるのではないだろうか。


他者とのコミュニケーションがオンラインやメール、チャット、電話のみ、と、リアルが基本でたまにリモート、というのとは違う、リモートが基本、と基本になる方が変わることはそれなりに感覚が異なることを正直感じる。

が、通勤前提の頃とは異なり、家族といるのが基本、と忙しすぎて家族とすれ違い、ということはあまりなくなる気はする。通勤もなくなり、なくなると負荷は仕事のみ、となるので、その意味では個人的には快適は快適である。このまま続くなら続く、でいいんだが、正直、やはり仕事をともにする人たちと全く会わない、というのは寂しい感じもある。


何年も同じ形態で慣れるとすると、こうした働き方ができない職場はかなり窮屈に感じるようになるのではないか、と思う。自律的に動ける人しか通用しなくなるので、会社としては生産性は上がりそうだが、正直、自律的に動けない人には何をどうしてよいか分からず、大変なのではないか。


商社などは原則出社、と、私の感じている日々とは異なる選択をする会社もあるようだが、転職先を選ぶときも感じていたが、レガシーな会社はいつまでもレガシーなんだな、変わらんのだな、と思う。私はそういう環境、それに疑問を呈さない人たちには懐疑的で、ゆえに無理、と思う。とはいえ、一方で先程書いたようなリアルな体験、もしたいはしたい、ので、わがままな話だが、まだ古い観念のようなものが邪魔してしているのかどうなのか。


Regards,


Knz

転職先での日々。

Saturday, June 27, 2020 - Posted by Knz  at 10:20 PM
怒涛の一ヶ月、というほど、コンサルに転職した時並みにタフな1ヶ月であったが、何とか引継ぎも想定並みには出来て、部長になることも確定。無事に入社当初の想定通りのtransitionができたことはまず良かった。


でも問題はこれからは自分が最後の砦、ということになるので、プレッシャーは今月の比では無い。


が、これまでの経験値は相当程度活用出来て、また、やはり自分が興味を持てる、この領域では国内外トップ、という事業を中で特等席で見れる、というのは何より臨場感があり楽しい。
内定もらっていたコンサルだと、どういうクライアントにつくかの不確実要素がデカ過ぎて、仮に興味を全く持てない事業を営なむ会社の支援、とかなると、この上なく精神的に苦痛、なので、やはり、follow your heart、という言葉で最後は決断して間違いなかった。


暫く福利厚生の良さ、みたいなことを忘れていたが、オフィスはこの上なくキレイで、テクノロジーの活用も違和感なく、勢い、スピード感ある社内の雰囲気は当初1ヶ月目の印象としては非常に良い。

事業が好きになれるなら、あとは仕事が趣味みたいなことなるので、職責として求められることは最大やりつつも、自分か何より楽しむことを大事にしていきたい。

もちろん1組織を管掌するので、チームとしての力が最大化できるようにしていきたい。

やりたいことや鍛えるべきものは鍛えてきて、社会人になりたての頃に身につけよう、と思っていたことは30代まででできたので、これからはほんとに自分の心の声に素直に生きていきたいものです。





Regards,



Knz

Pandora.

Thursday, May 14, 2020 - Posted by Knz  at 6:23 AM
Tik tok観ていたら偶然発見。




小室哲哉の最後のユニット、ということで、
しかも浅倉大介とのユニット、とTMNから
聴いていた世代からすると、いわゆるマニア
にはたまらないものが…


彼の音が最近のトレンドだと、また、ハイトーンな
パンチ効いた最近の歌手だとこうなるのか、と
かなり新鮮。

ただ、メロディラインは往年の名曲を彷彿と
させる、特にボーカルの声質といい、globeを
想起する。


Keiko、安室と小室哲哉の組み合わせは奇跡だったかなあ。。。未だに若い頃の興奮を超えるものはないなあ…


Pandora、懐かしい、とともに素晴らしい。
この続きがもう聴けないのは残念至極…



Regards,



Knz

余波が凄まじい。

Thursday, April 23, 2020 - Posted by Knz  at 9:23 PM
リーマン超えの不景気、雪崩倒産が連発する
ご時世になりそう…

1ヶ月、転職活動時期が違ったら結構やばかったんじゃないか、と…行き先が確定していてよかった…

これから倒産、となる会社は大量リストラ、その先に壮絶な失業率の上昇と犯罪率の上昇、とあまり明るい話は出てこなそうだが、ヘルスケアやオンライン経済は逆に凄まじく好景気で二極化が甚だしい。

産業自体が行って来い、ではなくとも、経済全体が痛む金融危機よりはいいのだろうか。


とはいえ金融機関も不良債権が貸出先の倒産により激増すると、遅かれ早かれ金融危機も訪れるのか。


教科書的には財政政策、金融政策を総動員して、投資が減らないよう、消費も減らないよう、も政策を打ちまくるのだろうが、肌感覚的には金融危機の時よりも政府、自治体の狼狽具合がひどい気がしている。



究極のガラガラポン、というか、好景気のときに放置されてきた、実質的には経営不振状態の会社は藻屑となり、新たな産業が発展し、という新陳代謝が急激に進む、とか、本当にそういうシナリオがあり得そう。



Regards,


Knz

プログラミングやろう。

Tuesday, April 21, 2020 - Posted by Knz  at 11:00 PM
現職でやるべきことも落ち着いてきて、再来月には
別のところに行く予定なので、試験勉強は
毎日仕事前と後にコツコツやってるものの、
何か燃え上がるようなモチベート材料がない。



面接中に、VBAできる?という今の時代には
は?みたいに思った質問を受けたのだが、
いきなりシステム投資する余力や時間がないときに
VBAで業務効率化させる、というコスト、
スピードの観点で未だにニーズがあるらしい。

ぶっちゃけ文法をフルフル理解してるか、というと
本を見ながらでないと書けない、書いたことはある
が、ゼロベースでは書けない、理解しているのは
点レベルであり、面でおさえられていない。


まあ、要はこりゃ、使えます、と言えるレベルの
スキルレベルでは無い…


暇だから、とかいうと会社に怒られそうだが、1ヶ月くらいあるので、せっかくなので有効活用して、
簡単な自動化アプリならすぐに実装できるような
レベルは身につけておこうかと。


Progateも何か良さそうだから、Webアプリの作る練習をしようかと。pythonとexcelは相性良さそうで気になるし、pythonはprogateでも教えてもらえそうだし。web appだとJava script/HTML/cssだから、どうしようかな、とも思ってますが、取り敢えずかじって自分の用途に合いそうな方にしよう。



Regards,


Knz





嗅覚。

Posted by Knz  at 10:01 AM
何でもそうなのかもしれないが、ある分野の
経験値が増えると、嗅覚のようなものが
研ぎ澄まされていく気がする。


ポテンシャルやスケーラビリティ、
自分は何が好きな人で何にモチベートされるのか、
最大限に自分の満足度を上げるにはどの選択が
良いのか、想像力を高める、というか
シミュレーションする、というのか。


結局、自分の興味がある分野でフルスルットルで
出来さえすればいいか(勿論前提として経済的に
回ることは確保)、程度のことか、と思っていたりも
する。



何事もパーフェクトはなく、他の人にどう見えるか
などさておいて、熱中できることはなんぞや、と
素直に胸に手を当ててストレートにそうした
世界に身を置き、あとは目の前のことにとことん
取り組む。多分、これだけかな、と、最近肩の力
が大分抜けてきた、というか抜いてる、というか、
力みすぎると空回りしたりするので、あえて
少し離れて考えてみるようにしているのかもしれない。


新しいものが好きだし、日々変わるものが好きで、
その変化に対応していくことが好き、なんだろうな、
と思う。


ただ、そのまま時が流れ、新しいことへのチャレンジも出来ず、というのが一番自分には退屈で、というかそれを通り越して耐えられない、悪気はないのに仕事中に睡魔が襲ってくるし、朝起きれなくなる(幼児のようだ…)。


川魚みたいに泳ぎ続けることがバリュー、というか
価値が高い、みたいな世界が好きなんだろうなあ、と。変わることがストレス、みたいな人も結構いるように感じることも少なく無いですが、自分は変化がない方が耐えられないなあ、、、。



今回、最終的に意思決定するときも本質的には変化が激しい環境かどうか、という点がなんだかんだポイントだった気がする。



じーさんになってもこのままなのか、いつかは変化に対して抵抗するようになるのか。




Regards,



Knz

リモートワークについて思うこと。

Sunday, April 19, 2020 - Posted by Knz  at 8:43 PM
世の中がやたらリモートワークを取り上げている
ことが非常に不思議である。


これまでの勤務先でリモートで仕事ができない、
という状況は、仕事がしにくい、フィーをもら
っているので、現場でface to faceでないとクライアントが対面メインの人なので申し訳ない、とは感じたことはあるが、仕事を進められない、ということ
まで感じたことはないので、なぜにそこまで
リモート、リモート、と取り上げるのか、
心底理解ができない。


恐らく、いわゆる紙文化、対面でしか仕事が
できないコミュニケーション、OAスキル、
ITリテラシーの低いことなどが原因だと思うが、
新卒で入った会社の頃から、リモートなど当たり前で
土日に出社など、上司が理不尽でやむを得ない、
というとき以外、オフィスにいる必要性など
コンサルであっても無かった、というのが肌感覚
である。


アウトプットを出し、クライアントなりマネジメント
なりにバリューを出す。自分でないとできないことが
できるから給料もらって仕事をしてるわけで、それが物理的にどこにいようが関係無い。


営業などは対面が効果的、とか、医師、美容師や接客業とかはやはりバリューの大半が物理的なサービス、非対面だと提供できない価値(医師の場合、外科手術や触れないと患者の状態が分からない、など)リモートなんてバリューがなくなる、というのは分かる。

ただ、世の中の大半の仕事はデスクトップでできるのにそれができない、というのは、前時代的過ぎるし、世の中の技術革新に対して何もしなさ過ぎる。


アリとキリギリスの童話、というのはよく描かれているエッセンスがある、と昔から思ってきた。


何か困ったことが起きてから何か行動する、でなく、アリのようにコツコツと日頃から当然のごとく粛々とやるべきことをやり、困ったことが起きても動じずに振る舞えるようにするのである。


虚心坦懐。


この言葉を地で行くことができるのは、アリの精神で日頃から精進しておく、積み重ねておくことではないか、と思う。



Regards,


Knz



楽園。

Posted by Knz  at 12:03 PM
今週は色々と悩むことも多い週で気分転換かねて

楽園


なる映画を昨日自宅で鑑賞。


気分転換になるとは言いにくいヘビーな内容…


ここでは


ムラ社会


が色濃く描かれてる。



少し思い出すのは中途で会社に入ったときに
年長者が多い組織はムラ社会、的な要素がある
、と思う。それはどのような規模であっても。



大企業は特にムラ社会への追従、というか
同調圧力が強い気がしており、また、大企業
出身者で構成される組織もその色がある。



この点に留意、注意して振る舞わないと、
真面目な話、村八分的な動きをとる人たちは
いる。


自分が村八分的なことをするつもりは無いが、
それがあるという現実を踏まえた上で
うまく振る舞う必要がある、つまりは
衝突、否定するのではなく、どちらかというと
彼ら彼女らの思考回路を踏まえて仮説ベースで
こういう方向性でうまく着地させよう、そのためには
こう動こう、こういうコミュニケーションで
振る舞おう、という、よく分からんが
不利益を被らないためのバーチャル戦、曲芸の
ようなアプローチをとるのが無難である。


若い頃はそのようなものはこの世から排除
すべき、という思想のもと振る舞いがちだが、
ムラ社会の人たちの常識や考え方からして、
彼ら彼女らを変えることはできない前提で
いた方が無駄なエネルギーの浪費を回避できる
と思う。


目の前のそのようなミクロのことで悩むよりは
あえて現実を受け入れ、その土俵の範疇の外で
何かを変えていく、動かしていく、そのような
ある意味、肩の力を抜いた振る舞いの方が
自分にとっては気が楽、ただそれだけである。



それなりに歳を重ねてきたからか、
衝突することによるエネルギーの浪費ほど
消耗することはない、と思うようになってきた
気はする。うまくかわす、というのか、どうでも
いい、プロダクティブでないことには力まずに、
プロダクティブになるべきところによりエネルギーを投下する。そんな考えでいる方が自分には無理が
無いなあ、とぼんやり思う。




Regards,


Knz


通過ラッシュ…

Saturday, April 11, 2020 - Posted by Knz  at 8:43 AM
先週、今週、と一気に色んな会社と面接を
して、オファーが出そうなところも数社、
書類、一次通過の連絡が相次ぐ週末となり、
妻も安心させることが出来、何より自分が
かなり精神的に安定してきた。


食いっぱぐれることはないだろう、とは
思っていたが、望むような仕事が出来て、
経済的にも十分な水準、というやや我儘に
活動をしていたので、やはり一家の大黒柱として
の責務を果たせない状況になりそうになったら
更にスコープを広げて受ける必要あり、と
いう思いでいたので、ハラハラしていたのが
正直なところ。


喉のとなりあたりに謎の白い粘膜の腫れ上がり
みたいのができたり、足に蕁麻疹が出たり、と
体調が謎の状況に陥っていたのも同時に回復を
してきて、大分、安心して過ごせる日々が到来。。


内定が出ても、既に組まれてる面接は受け切り、
エージェントにはご迷惑をおかけしないように
、と思って…


1日2,3件の面接、という日々は思っていたより
大変でコロナでリモート実施、とはいえ企業
研究や面接の想定QAなど、新卒の就職活動並みの
頻度を難易度高い社長だのパートナーだのとこなす日々は緊張感に満ちており、疲労感が夜になる
と半端ない日々が続いた。


ずっと思ってきたことだが、こう新しいところに
繰り出そう、というときに、これまで積み上げ
てきたものは実力値として如実に表れてくる。
面接とかでサラサラ話せるか、というのは
色んな局面で真摯に向き合った経験が無いと
結構舌を噛んでしまうのだと思うし、自分なりに
リサーチ、研究をして、仮説を立て、考えを巡らし
ておくことで、仮説と違うことが分かったらまた考え、とグルグル想像を巡らしておくことが、予期せぬ
応用問題のような問いが飛んできたときの瞬発力として威力を発する。思えばこれはコンサル時代や今のポジションで身につけたものだな、と。


また、当然だが、ひとつのマーケットに向き合う活動なので、会社と当方との相性や需給関係も相当程度
関係する。感覚的には3勝7敗くらいでしか書類は通過せず、面接は8勝2敗くらいか。アラフォーの就活とはこんなものなのか、と思って、面接までいげはあとは何とかする、というようなメンタリティになれたのは大きい。千本ノックのようにコンサルや外部の投資家や金融機関と向き合ってきたここ5年くらいのことは地味にこういうときに役立つものか、と改めて自分で認識…


あまり変化球は投げないタイプなので、それでも求められる、という自分の価値を確かめられたのは大きなことでありました。


Regrads,


Knz





アラフォーの転職活動で思うこと。

Saturday, April 4, 2020 - Posted by Knz  at 7:54 AM
30半ばくらいまではプレーヤーとして活躍できるか、
という視点で転職候補先から見えていたように思う。
相手の質問からちゃんと実務を回せるのか、という
観点で聞かれてるから、自分のハードスキルと出せる
アウトプットに対する説明がほぼ全て。

もちろんソフト面も聞かれるのだが。


最近、一気に転職先を探して毎日一、二件、面接してはエージェントに話し、面接のフィードバックの電話、メール、選考結果踏まえて面接アレンジ、など、会社にも仁義を切った上で、ほぼ仕事のような勢いで活動しており、この歳になり、自分がマーケットでどういう評価を受けるのかを肌で感じられ、プラス、マイナス、双方のフィードバックは凹むこともまああるが、なるほど、そう見えるのか、と改めて認識させられることもあり、今後、どう自分を鍛えていくべきか、という点で参考になる。


コロナがよくも悪くも、移動時間無しでできるビデオ面接、のようなことを許容してくれるご時世でもあり、移動にかかるコスト、時間を省いてくれるのは非常にやりやすい。

他方で、コロナゆえに採用側はコンサバになっているところも無くはなく、採用の全体的な潮流としては決して良くは無いのが基本、ただ、そんなの関係なく欲しい、というところは欲しい、という強い需要も感じる。テック系やコンサルは不況やコロナ何か知らん、というくらい相変わらず右肩上がりの成長を続けるための人が不足、というように感じる。



話をもとに戻し、書いておきたかったのは採用サイド、として、この年齢の人間を採りたい背景はその人のハードスキル、というより、難度の高いディールをクローズできたり、組織を束ねてリード、マネジメントできるか、若手メンバーの育成までできるか、先日も書いた、英語圏の人たちとも肩を並べてハイレベルな議論や提案ができるか、など、大きな何かを動かせるレベルの人間か、メンバーを束ね育て、組織、体制を強くしていけるか、という自分個人以外のところまで及ぶ責任、依存関係がある物事を任せられるタマか、という観点で見られてるな、というのをヒシヒシと感じる。


もちろん伝統的な大企業だとまだまだあんたはメンバーとしてちゃんとできんの?的な年齢だろうし、よくて課長、とかかも知れないが、新興企業だとレイヤーが高いところで、ちゃんと結果を出せる人間か、という点が期待値なのではないか。結構、あんたから組織にインプットして欲しい、的な目線で話をしてもらってるように思えることがここ数日複数あった。もちろんコンサルだと相手はパートナー、とかなので、お前にインプットしてやる、くらいの目線で見られてルナだろうが 笑、逆にそのくらいハイレベルの知見が無いと、あの生業はクライアントから高いフィーももらえんので、まあ当然と言えば当然。



学生の頃のようなひたすら次から次にいろんな会社の人と会う、という経験をこの年齢ですることになるとは思わなかったが、滅多に無い機会なので、来週以降も目の前に来た機会をひとつひとつ真剣に検討し、あとはもうフィーリング、というか、40代に入って仮に10年、それ以上やるとしても後悔なく取り組めるのか、という観点で最終的な着地ができるように、と。





Regards,



Knz





新聞記者。

Posted by Knz  at 12:17 AM
前から気になってて、やっと観た。

新聞記者(映画)。


自殺まではしてはならん、とは思うが、やはり、
これはいかん、人道的に、道徳的に、
倫理的にどうしてもいかん、という仕事を
する羽目になったときの心情というのはこういう
ものだろう、守るべきものがあるときは
尚更、と非常に共感できるものがある。


私の場合はそんな組織なら見切る選択をするが、
、、極めて献身的に国家に資するべし、という
国家公務員の人には国家しか無い(民間のように他社に
いくなる選択は、国を跨がない限り無い)ので、
思い詰める度合いも人一倍なんじゃないか、
とか色々想像を巡らせながら観ていた。


真実を真摯に追い求める好演もグッときます。


金曜とか週末はやはりエンタメで頭を強制的に普段の思考から切り離すくらいが最近はいいな、と。



Regards,


Knz

父の横顔の記憶。

Friday, April 3, 2020 - Posted by Knz  at 10:31 PM
私が幼い頃に父は毎晩のように晩酌、お湯割の
ウイスキーなど、結構度数の高いものを飲んで
いた記憶がある。


毎晩のように酔っ払い、正直みっともないような
酔い方をしている夜もあったように思う。


今思うと、自分の今の年齢より少し上、くらい
じゃなかったかな。


その後、私が社会人になってまだ駆け出しのサラリーマンだったころに大病をして、今はほぼ飲まない人なのではあるが。




今の自分と思っていることがどれだけ似ているのか、
はたまた全然違うのか。それは分からないし、時代も違うので背景、状況、やってる仕事も全然違うし、
何とも言えない。



ただ、何となく、父もいまの私が思っている、背負っている目の前の家族の幸せ、のようなものは頭にあったんだろうな、と。どんどん子供も大きくなり、妻にもあまり負担をかけたくないな、悩んでほしくないな、みたいな。


責任感の強い人であると思っているし、結構愚痴るようなタイプでなく、粛々と毎日真面目に早朝から会社に行くような人であったので、多分自分で何とかしよう、という気概でやっていたのではないか。


こんな話もまともに尋ねたことは無いが、そんなに外れてもないと思うし、あまり身体も強い方ではないのに付き合いだなんだも相当大事にする人で、よく夜遅くにタクシーで帰ってきていた記憶もある。


古き良き時代にもー烈に働いた典型的なサラリーマンであったろうに、と思う。


結構なストレスを自分で解消するために、ひとり、夜な夜な晩酌していたんじゃないかなあ、と思うのは、自分が同じような年齢になってきて、背負うものもそれなりに大きなものになってきたからか。



自分のやり甲斐だけでなく、家庭とのバランスは可能な限り確保し、その制約がある中でどれだけ生きたいように生きれるか。


最適解は自分で導く、切り開くしかない、それに向き合い、邁進していく、というのが何やかんやで落としどころなんかな。



最初に本命と思ってなかった事に、向こうから猛烈アタックされてきて、それが結構やり甲斐もあり、将来性も無くはない、という場合に、いわゆるcomfortable zoneみたいなところに着地しそうだけど、これってどうなんだろうね…



週末と来週、また考えながら動くしかないな…





久々に五次方程式みたいのに対して解をださねばならん。




Regards,


Knz

シニアレベル✖️英語力の不足?仮説。

Tuesday, March 31, 2020 - Posted by Knz  at 10:29 PM
諸々の事情があり、想定外に転職活動中。

今回気づいたこと。



ここにきて英語力が何故か相当バリューが高い。帰国子女でも何でもないが、実務レベルでなんだかんだビジネス遂行ができるレベル、というのは通用するらしい。



経験、スキルがある程度ハイレベルになってきたときに英語力があると中々組み合わせとしていないらしい。

外資系やクロスボーダーの案件は非常に通過率が高い。

だがしかし、コンサバなドメドメ案件はかなり通過率が低い…そりゃこんな短期に転職、となればウケは悪い。。。今回ばかりはかなり不可抗力なんだが、そんなの受け入れ側にはあまり関係無いんだろうな…


うーむ、、、



コロナだなんだ、とこんな情勢の悪い時期に転職を試みるのは初めてで、周りも同じような状況なので苦労している様子が耳に入ります…



はよ情勢が改善せんことを。




Regards,


Knz


妄想。

Friday, February 28, 2020 - Posted by Knz  at 12:21 AM

これがUIの良いソフトウェアで商用化されたら
自分が歌って欲しい、と思う人に歌わせる、
ということが実現できそうで憧れるなあ、と
ぼんやりと妄想。




まだR&D段階なんだろうけど、そんな妄想が
現実に使えるテクノロジーとなるのにどれくらい
かかるのかしらね…数年、では難しいんだろうな


Regards,



Knz

連休に考える。

Monday, February 24, 2020 - Posted by Knz  at 9:54 PM
金曜に年末年始以来、というか、たまたま
関係者が休みの日が金曜だったので、私も
休みをとった。


またみなとみらいに行ってしまった…


妻が呆れるほどみなとみらいに行ってるのだが、
元町中華街から入り、山下公園、
大桟橋、象のうんたらを通り、赤レンガから
観覧車を横目にランドマークタワーの方へ。


年末に掃除して元カノの写真が出てきてから
たまには一人でいきたい、というか
妻は呆れてるのでひとりでしか行けないのだが、
平日の空いている日を、コロナの影響もあり
余計に空いている横浜をただ静かに自分の
ペースで歩いていた。



先週の水曜日、前職のお客様、同僚に呼ばれて
久しぶりに再会。

CFO、と呼ばれ、側から見るとそういえば
そうなのか、と忘れていたことを思い出す。



普段、さん、と呼び合う仲なので、そんなことは
気にしてないので、忘れていた。


が、そうみられる、ということ、それに違和感
をもつ人もいたのかもしれないが、それで通る、
という状況に不思議な感覚を覚えた。



社会人になりたての頃は相当意識したタイトルで
あるが、大した規模の会社ではないにしても
一応は目標地点には至っていることに気づく。



これを突き進めたい、というよりより難易度の高いシチュエーションでも自分はCFOのロールをこなせるのか、ということにひとつ興味はある。


二つ目として、自分は何を成し遂げたい、どうしたいのか、というと、大きくいうと日本の産業の発展、
新たな、大きな存在感を示せる領域を創出し、
子供たちが大人として過ごすときにも、今なお
日本ゆえの強みが強力に国際競争力を保持して
いるようにしたい、ということではないか。

あまり、子供の世代まで、と考えたことは無いが、何故前段の産業の振興、というのを考えるのか、問題意識として長らくあるのか、というと、日本の美徳というか、きめ細やかさ、誠実かつきっちりとやり遂げる、協調してチームとして最大のアウトプットを出す、ということに優れる人たちの多さでは群を抜いている、という認識が過去の社会人経験から思っており、ゆえに世界一になるべきものがそこにはある、と信じてやまない。勿論、米国、中国に比べれば、数がモノを言う、というか、人口やトップノッチの層の分厚さからゆえ、勝ちようもないほどの彼我の差が生まれるのは否定のしようがない、とは思うものの、それでもミクロにみた時の勝率は日本のそれの方が高い、と思っている。


その勝率の高さを可能な限り、高い頻度、広範囲に生み出せることを実現できるとすると、人材もそうだが、テクノロジーによる革新が大きく寄与することと信じている。


テクノロジーの発展を、残念ながらエンジニアでもなく、エンジニアリングをやろうにも、嫌いではないが、どう考えてもそこが自分のコアな強みではない、という認識から、少なくとも最大威力を発揮するためのドライバーたる資金力の確保、そのための資金供与の主体へのアピール、そのための管理、制度会計、など、自分のコアとする領域で寄与できたら、と思っている。


それが特定の会社に属することで成り立つのか、フリーエージェント的にやるのか、そのハイブリッドか、などはまだ分からない。が、恐らく、今年度中には何らか、外的なプレッシャーからの可能性が大、だが、とらねばならなくなる、心の準備、というか、精神を落ち着けておかねば、と思う日々になってきている。



現実逃避ではないが、音楽にこの連休中に久々に触れた。いくつかの本もザーっと読んだ。

ある本に5,10年、と音楽をやるなら感覚だけに任せた制作よりも、ちゃんと理論やノウハウを身につけた上でやるべし、と。頭ではわかってはいるが、やってこなかった、でも5,10年経っても音楽だけは変わらず好きだし、やっぱりちゃんと作れるようになりたい、と思うのも変わらぬ事実。

コード理論の本を読めば耳コピを繰り返せば分かってくることも多い、というか、コード理論を身につける、理解するのに耳コピをお勧めされているのは、個人的な理解では、耳コピは音をちゃんと捕捉するために何度も聴いて確かめる、その間に何度も弾いて確かめるので、終わる頃には耳コピした曲は一通り最初から最後までセルフアレンジで、という前提付きだが弾けるのだ。そして、それらのプロセスで身につけたコード進行、展開の仕方や、自分にとって気持ちいい響き、という誰にも教えられない、自分だけの血肉となったノウハウが身についているのだ。思えば自分の曲は結構苦労して耳コピした曲の数々がベースになっている。結局、演繹的ではなく帰納的にしか自分の曲の引き出しは増えないのではないか。妻に自分の引き出しが少ないからいい曲が作れん、作れても物足りない、という話をしたら、伝えたいことをまずは決めて、そこからメロディ、最後にコード、だろ、と言われたが、正しいは正しいけど、具体的仕上げるときにはどうしても自分の引き出し、インプットしてきたものからしかアウトプットできない、とも話し、であればインプットを増やすのみ、だな、とジムで走って、風呂に入ってるときにぼんやり思った。




何か、連休中に巡らせていた考えを一通り書き出す
だけになってしまったが、大分考えが整理された気がする。


統計だ、ポートフォリオだ、の勉強もするのだけども
週末に少し、でもいいので、積み重ねを始めようかな、と。





Regards,


Knz

今を。

Saturday, January 4, 2020 - Posted by Knz  at 10:29 AM
決して戻ることのない時間

若さゆえかのほとばしる情熱

向こう見ずで、二人以外には何が正しいのかなど判断の余地を見出せず

でも絶対的に超えてはならない一線を超えたときには、他の物事のように少しずつでも綻んでいき、いつかは修復しようのないほどまでに崩れ落ち、やがて紡いだ絆は儚くも弊えていく


なぜあんなに愛した、愛されたのに破綻したのか


その疑問には、小さな綻びは修復できるものとそうめないものがあり、綻びを丁寧に諫めてやること、お互いをまた信じてよい、信じることが二人にとって幸いである、と再び感じることができるようになれれば、別の未来があったのかもしれない


今は当時を振り返り、それなりに経験値も増えた中で考え、気持ちを整理することしかできないが、別れた後、数ヶ月後にやはり謝ろう、と最期に電話で謝っておいたことが唯一の正しい行為、やっておいてよかった、やっておかなければ一生悔いたのではないか、と、今なお思う


最期に話した時をもってお互いの時間は止まったまま


お互い、どんなその後を歩んだのか、他の人には他愛もないことを当事者は気にするものだ



今を生きるしかない、というのが厳然たる現実、か。






Regards,


Knz

Precious memories...

Friday, January 3, 2020 - Posted by Knz  at 5:52 PM
実家に帰省中にもともと私が使っていた部屋が
中途半端に昔、使っていたのや作ったもの、
買ったものなどが残っていて、親から片付けてくれ、
と例年言われていたのもあり、一気に片付けた。

社会人三年目くらいでようやく親への学費の返済
を終え、一人暮らしを始めるときに1Kに行くのだったし、ドタバタで引っ越したので、マストなもの以外は運ばず、その後実家に戻ることなく結婚して別の家に引越しとなったので、片付けが中途半端なまま早、10年以上、と、そりゃいささかサボり過ぎか、と自分に呆れ、片付けに精を出すこと数時間。


高校時代や大学時代に撮った写真だ、自分の曲が
記録されてる、当時使っていたシンセサイザーのフロッピーディスクに、テープ、MD、ライブのVHSらしきものなど、捨てることを踏みとどまるようなものもあり。


短期留学したときのノートや現地の観光時のパンフレットなどの間から当時の彼女が作ってくれたらしき海外持ち物リストが出てきたり、捨て切った、と思っていたツーショット、当時ペアでつけていた指輪、など、思い返せば捨て切るときに踏みとどまったのか、と写真を一枚だけ残した記憶はそういえばあるが、多分指輪は10年前とかのタイミングではまだ捨てるにはきつかったので取り敢えずとっておいたのだろう…

持ち物リストの手書きのメモを見ると、なんとも当時の記憶やどんな人物であったのか、など走馬灯のように思い出が駆け巡り、年甲斐もなく何度も読み返してしまった…妻に見つかってはまずい、とやや後ろ髪引かれる思いはあったがゴミの山の中にそのメモや指輪も投じた。何とも書くのも恥ずかしいような手書きのメモと、私の寝顔のスケッチなど出てきたときには埃に塗れながら、まじまじと見てしまった…こんなに想ってくれる人がいたのか、自分にも…、と当時はありがたい、とは思うものの日常であったろうに、何でもないと思ったレベルのものでも、こう十数年前には事実としてあったことか、というと途方もない他人事のようで信じられない、と何とも言えない心境になってしまった…いい歳になって年初からとても小っ恥ずかしい気持ちにガラクタの中で佇んで…






写真一枚だけは今回もなぜか捨てられず、持って帰ってきてしまった…




おまけに別の彼女だった人からの寄せ書き(同じ職場だったから当然なのだが…)も発見し、それも持ち帰ってきており、それは他の講師からも書いてもらったもののカタマリだし、とよくわからない本音だけど言い訳に聞こえそうな、でも妻には言えない悶々とした気持ちになるものも今や私の部屋に…




うーん。秘密は誰にでもあるのかもしれないが、実家から私物の整理を要請され、整理すると色々出てきてコンマリのようにサクサク捨てるのは何とも言い難いものが出てきたので、タイムカプセルがあるなら埋めたいくらいだ、というものがものすごく身近にあることに今後はなるので、暫くは悶々としそうな予感…




年始からなんだろうね、こりゃ。




Knz