突っ走りすぎて分からなくなること。

Friday, June 21, 2019 - Posted by Knz  at 9:31 PM
試験後にこれまた忙しい日々を越えて
やっと一息。試験の日も溜まった仕事を週末に
片付け、GWで病にやられてふくちかして以来、
ほっと一息つけずにきたが、小休止。



デザイン思考、なる言葉が流行り、その本をパラパラ読んでいて気づくのは、そもそもアーティスト、的なものを指向していた思春期を経ているので、ああ、そういえばもっとふわふわした、言葉では表現できないものばかりやっていたんだよな、と。いつしかカチカチ、ロジックだ、言葉や数字、紙に落としてなんぼ、も左脳最前線のことばかりやってきて、あれ、と思うところはなくはない。



べつに嫌いじゃないから左脳最前線のことをしているのだが、仕事はそうでも、自分の本質的な、コアな部分はもっとふわふわしたものが好きなんだろうな、まだ、変わらず、とデザイン思考の本を読んでてふと思う。



こうかくと寂しいオッサン、みたいな気もしなくはないが、何となく、寂しい、というのとは何かが違う。



たしかにやっちまってるなあ、おれ、みたいな感覚はゼロではないが、プライベートだけは柔らかく、自由なものを完全に謳歌したい、というか、カチカチしたのを日々やってるがゆえの欲求、みたいなものがある気がする。


忙しい日々では体験できない、味わえない上質なもの、プライベートな時間がゆえに味わえるもの、みたいな、決して経済的な等価値を求めるものじゃない、ある意味、汚れのない、純粋無垢なものがそこにはあるんじゃないか、と。


たいそうなことでまとめる気はなく、不可侵の、完全なるサンクチュアリ、的なものが、週末を迎える金曜日の夜には何となくある気がする。

嫌いなわけではないが、家族と賑やかすごす時間とはまた違う、静かな、でも大事なひととき、というのが、この夜、静まり切った時間の中にある気がする。



端的に言うと、ひとりになって想いを巡らす、何ら義務的なものはなく、真に自分に向き合い、自分だけのために過ごせる時間の大切さ、みたいなものがある気がする。



こう、色々書き連ねる中で整理しているくらいなので、この不思議な気持ちは何なのか、と自分でもよく分からないのだが、最後のまとめに書いた一節が一番しっくりきた。


自分だけのために過ごせる時間の大切さ。




これがものすごくpricelessな価値をいまは感じる。




regards,



Knz

金融。

Friday, June 14, 2019 - Posted by Knz  at 11:29 AM
学生の頃の志望は金融であった。
就活で投資銀行とかいっとったし。

その後どーでもいい金融の一企業から内定は得たが、
どーでもいいから蹴って会計士受験生。

その後転々として、今は一年前から金融へ。


不思議なものでお会いする金融業界の方々は
プロフェッショナルが多く、かつ礼節を重んじ、
ある意味ではかなり古臭いと感じる人の繋がりも
あるが、でも大事なものとして変わらずそう
いうものが大切にされてきた業界なんだろう、と
思う。


昔からベンチャーがやる新しい取り組みは好きで
最初の会社に入る前の二度目の就活もベンチャーは
受けていた。


今一年過ごして、やはりベンチャーが自分の
居場所、違和感の無い、全てフィット、とまで
言わないが、相当なフィット率を感じる。



プロフェッショナルな人たちと働くのが好きで
礼節を重んじる人たちも嫌いでは無い。


人生不思議なもので、色々七転八倒、紆余曲折しながらも何か違うんだわな、と青い鳥を探す少年のように日々過ごしながらも、確信と至れば行動を起こしてきて、蓋を開けてみれば、これでよかった、こういうものか、と思う。


自分はエリートでも、家柄がいいだのコネが豊富だのでも何でもない、普通の家庭に生まれ、パンピーとして生きてきているので、まあ、そりゃそれなりに苦労するよね、とある意味割り切っている。


でもひとつだけあるのは、やはり誰にも負けない努力はし続ける、ということか。中学あたりまでは努力、というほどしてないが、でもマイペースながらも気づけばフルスロットルでやってきたし、逆にそうできないならそこにいてはいかん、と自分を律して環境を自身の判断で変遷させてきている。

このくらいしか凡庸な人間にはできんで、でもこれができる人はあまりいないのも事実かと。


自分よりもフルスロットルの人は勿論無数にいる。


ただ、自分のフルスロットルを続けていくのが大事なことなのではないか。



Regards,

Knz