AUD受験終了。

Saturday, January 24, 2015 - Posted by Knz  at 10:27 PM
死ぬほど疲れた…AUD終了し、家にはMacproが届き、データ移行とソフトウェアのインストールし直しが待っている…

Macpro、昨日電機屋で見たが、部屋に置くと何故かでかく感じる…モニタースピーカーが3つになった感じ…

Komplete9, Trillion, Omnisphere, vocal rider、といった重くて大きいのは7200回転のHDDに入れ直し、Cubase, Melodyne, Pro toolsは本体のSSDに入れようかと。

それにしてもウルトラサクサク動くのできもちいい。

早くも愛情が芽生え…

regards,

kenji

Mac Pro導入へ。

Friday, January 23, 2015 - Posted by Knz  at 3:47 PM
かれこれ二週間くらい悩んだが、macproを導入することにした。クアッドコアのデフォルトモデルなので、mac proでは最安だが、それでも価格コムで280K円くらい、と金が吹っ飛ぶ勢い。が、DTMをやるにあたり、インスピレーションを止めない、作ったものが突如吹っ飛ぶようなことは避けたい(というか起きたら自分が吹っ飛ぶ)、というので、鉄壁のスペックを求めることにした。windowsへ逃げれば半額くらいでややスペックも上げられるが、やはりマックだからテンションが上がる、という個人的な問題がある。クリエイティブなムードは時間が無い中限りなく貴重なものなので、勝負に出た。

あとは会社のパソコン、メモリフルフル積ませてもらっており、cpuも中々いけてるやつ、というのを体感していて、ハイスペックパソコンに魅了されている、という今年初めて体験したゾーンをプライベートに求めたらこうなるほかなかった、とかいうよくわからない言い訳。


毎晩macproのことばかり考えて不眠気味というアホみたいな状況をなくしたい、というよくわからない理由もある。



にしてもMac miniでdtmやるのはきつい、というかストレスたまり、時間もかかりすぎる、という負の面をゼロに、もしくはポジティブにもっていければ、と。


まあMac miniはまだ高値で売れるし、macproも前のモデルは相当な未だ取引額なので、将来買い替えること考えると、ネットでかかる費用は、そんなにwinと変わらないのでは、という考えもある。

楽しみだ…

regards,


KENJI

大学。

Thursday, January 22, 2015 - Posted by Knz  at 2:33 PM
今日は試験前なので、会社を休んで最後の追い込み中だったり。専門学校は休みなので、大学図書館へ。

卒業後も利用率は高く、すでに卒業して12年が経過したが、変わらず快適。まあ椅子とかいけてないけど、何か居心地いい。大学の雰囲気自体が好きというのもあるかもしれない。リベラルな感じがフィットするのかもしれない。

飯を食堂で食べていたら、ハラル対応食とかあり、やや驚いた。気づけば留学生も以前よりは増えた気がする。

勉強するのが面白いかも、という点に気付いたのは間違いなく大学時代である。が、遅咲きで気付いたのは卒業する年の半ばくらい。当時は院とか受けたりするくらい(筆記通過、面接落ちだが)、学者になるかな、とか勘違いも甚だしいノリであった。赤門も一度行ってみたり。あの頃とは今は全然ちゃうね。

色んな変化はあるが、その時の気づきというか、自分の中での学ぶという事に対する基本的欲求のようなものが自分に存在したのか、という点は、今なお大きなインパクトをもたらした。

院試に日本の会計士試験、MBA(また今後やるけど)、今のUSCPA準備、というのは、いずれも今の職歴を形成していく上で大前提となるもので(院試はそうでもないが、あの時は経営学を相当読みこんだ)、学ぶことの面白さがこれほど人生にインパクトをもたらすとは思いもしなかった。確かに相当なリターンは期待していたが、理論と実践の両輪、というのは実務上、中々しっかりとしたベースを持てている人を探すのは難しい。もちろん高いレベルでパワポ、エクセル、データベースを駆使せて、英語は業務上使えるレベルですね、というのも影響するが、バックボーンとして会計、税務、ビジネス法務が分かっている、というのは戦略的意思決定をする際の試算、契約書のレビュー、内部統制の改善などで相当な効果があると、思う。こう書き出してみると、大学時代に学ぶことへの耐性がついたというか、楽しさのようなものを見いだせるようになったのは、人生において明らかなるマイルストーンだったと思う。


とはいえ、大学とは個人が学ぶ意欲があるかどうかに大いに左右され、完全受け身だと何ひとつ面白くないし、何も起こらない。


昔からそうなんだが、与えられてその中で好きなもの選ぶ、というより、自分の興味関心エリアにひっかかったものを徹底して掘り下げる、という自己開始型の性質があるので、多分、めちゃくちゃ多い選択肢から必修以外は全て自由に選んでいいよ!やる気があるなら図書館に腐るほど本とか論文あるから勝手に読んでね!といった、私には天国のような環境がフィットしたんだろう、と自己分析する。とはいえ、繰り返しだが、バイトとサークルにも相当精を出していたし、当時は恋愛にもダメ人間になるくらい入れ込んでいたから気づくの遅くてoh my godなんだけども…


大学に来たら、ぼんやりそんなことを考えたのでした。


regards,


kenji




真似する子供。

Tuesday, January 20, 2015 - Posted by Knz  at 12:53 PM
最近、そういう年頃なのか、子供は私と妻の真似をすることが増えた。よく見ているものである。

ピアノを弾いてると、自分用の小さなピアノを開けて弾いてみたり。もちらん同じようには弾けないけど、一緒に弾いてると楽しい、とのこと。私がバイオリン弾ければ楽しく練習できるのだろうが、基礎練が息子はあまり好きでないようで、バイオリンはちょいちょいしか練習しないそう。まあゼロよりはいいし、私なんかピアノですら真面目に練習しないような怠け者だったので、カエルの子はカエルか、と。

他方で、数字や言葉やお絵描きに興味が出てきたようで、こちらはワークブックのようなものと、1年前くらいに買い与えたがやや冬眠気味だったディズニーの英語教材をママとやっているそう。年末年始、私は実家でも遊びの合間と母子が寝た後に勉強していたので、それを見ていたのか、幼稚園で習ったからもっとやってみたいのか、最近やたら学習している様子。

楽しいうちはどんどんやればいいのだが、息切れして大学受験とかまでもたないとなるとそりゃ困るので、そこそこで今はいいと思う。人並みに読み書きができれば、今は沢山外で遊んで、今しかできないこと、外に出ないと出合わないものを大事にしてほしい、と親としては思うのだが。まあ妻の勧めで、幼稚園の放課後に体育クラブなるものがあり、それに通って楽しいらしいので、まあいいか、と。


なかなかどういうバランスがいいのか。

regards,

kenji



4次面接。

Saturday, January 17, 2015 - Posted by Knz  at 10:25 AM
昨日、四次面接に行ってきた。これが通ればほぼオファーは硬い、らしい。ラストは社長とのこと。通れば、だけれども。

思えば夏にこの話をもらいこれまでに無い長丁場。まさか年を越すとは…

オファーが出て条件が合理的なら行くし、ダメなら現職で多分春以降に異動先を探すかな、というところ。

とはいえ、今のポジションではハードスキルが相当洗練させられたので、転職したのは間違いなく正解だった。今の上司はハードスキル面で今まで会ってきた人の誰よりもすごいので、丁寧に教えてくれる人ではないが、いろんなファイルを見ては自分で見よう見まねでやってみて、他の機会に実践して、と繰り返してきたら、1年前には持ち得なかったスキルが身についた。SQLもゼロだったし、エクセルも今ほどできなかった。転職する以前はエクセルで負ける、と思うことはほぼなかったのに、まだ伸びしろあるとはおもってなかった。成長軌道にあるなかで、仕事がどんどん増えても最初に作り込めばあとは大した工数かからんようにできるようになれたのはかなり大きい。今までは仕事が右肩あがりで増えていく一方だったが、それは今も変わらんとはいえ、工数の増え幅はかなりゆるやかにできている。


時間のあるときにマクロも組めるようになったし、あとは数こなせばより専門性を高められそうで、今以上に少ない労力でアウトプットは最大化、という理想的なアプローチを取ろうと思えば取れるようになったのも大きい。

よくよく考えてみると、上司はさておき、一緒に働く喜びを感じれる環境を求めている、ということに尽きる。
上司は異動するらしいので、とすると長くいたいのは今の環境ではないね、というのが半年も面接受けてる理由かな。


まあ一社しかまた受けておらず、あとは全切りしてますが。

ネットがやっぱ大好きなので、ネット企業でないともはや受ける気力が湧かない。戦略コンサルはまだ興味あるけど、もう年齢的にしんどいし、クライアントがネット企業だけで!とか無理でしょ。とするとネット企業だけしか目に入らんのです。


良い結果であればいいなあ。


regards,


kenji









正面突破。

Saturday, January 10, 2015 - Posted by Knz  at 11:47 AM
今年度から、息子が幼稚園に通いだし、習い事がバイオリンと運動教室みたいのあったり、家計用の共通口座での現金取引が増え、支出がよく見えなくなってきていた。ので、先日、銀行口座の引き出し額をすべて付けあわせていたら、結果的にはほぼぴたりとあったから何もしこりは残らないんだが、その過程でどうもどこかに金が消えとる、という疑いのようなものが発生。

当然妻としてはそんなん言われてたまらん、気分悪い、と言っていたが、次の日に全て書き出して説明してくれた、ということがあった。その説明で足りていない事実はネットバンクの明細を見ながら捕捉していったが、結果は差異がほぼなかった。

多分、大半の人は疑いのようなものを向けられただけでそこで物別れ、になるんではないか、とぼんやり思っていた。というか今まで付き合った人達は半分はそうなったと思う。

今回に限らず、妻とはガチンコで正面突破するようなことは多い。もやもやしてきたら、ちゃんと話したいから時間を取って、と言われたり、帰宅時間が重なればなぜか風呂にともに入って湯がすっかり冷めるまで話し合うこともある(今回はそのパターン)。


先日結婚して5年になり、付き合いまでいれれば5年半なのだけども、多分、自分には最もフィットしてるんだろうな、と再認識。

ナイスバデーのお姉さんとか綺麗なお姉さんには当然ドキドキしますし、あまりのターゲットの広さに妻は呆れてますが、浮気もお姉さんのいる店にもお世話にならずに来てるのは、ここがhome、という自分にしか分からない安心感、信頼感のようなものがある気がする。


regards,

Kenji






無神論者。

Sunday, January 4, 2015 - Posted by Knz  at 12:54 AM
私はミッション系の学校を出たものの、家も無宗教で、無神論者と自認している。

ただ、冠婚葬祭というか、チャペルで式をあげたり、仏教式の葬式に出たり、正月にはお参りに行ったり、と一般的なことにはそれなりに神仏ものにお世話になっている。

親は無宗教なんだけども、私と比べると濃淡があることに今回帰省したときに理解した。

法事が今度あるので、そろそろあなたも坊主にいくらか納めなさい、的な話をされてドン引きしてしまった。

無宗教なのに、しかも私の直接的な親でない人になぜそんなことを、と、あなたも無宗教なのになぜそんなこと言いますがな?と、両親に言い放ったところ、両親はドン引き。理由を聞けばそういうものなのよ、と意味不明な言明でさらに私はドン引き。

後の親族が、無宗教なのにこんな思いをするくらいなら、私は墓なんぞ買わず、私が死んだら燃やして海にまいとくれ、と自分の家族には伝えておくことにした。


ドライに経済的なことだけ言うと、死んだら自分は無に帰するのに、後に残った人が坊主に金を払い続ける。


こんなにふざけたことはない。


坊主は宗教法人で無税で、かつ、宗教に頼る人達は大方貧しいのにさらに坊主に金を払う。説いている内容は、信じれば救われる、というのが根本だろう。でも貧しいのは自分で何とかせん限り変わらんから、坊主頼りの人は、また坊主に頼りにきて、また金を落とす。友人で証券会社に勤める人から聞いたが、坊主が多い京都のメインの客先は坊主らしい。坊主の金は唸っとる、と。唸らせるくらいの金はどこから来たか、考えれば、何ともスッキリしない気分になる。


無宗教の自分からすると、何とも正当とは言い難い構図に、閉口する。でも宗教家は間違いなく世のため人のためにやっているはず、というのは理解はしている。決して悪そうな坊主は幸い見たことがない。とすると、坊主が嫌い、というより、既成概念として成立している、坊主にはたんまり金を払う、という構図が嫌い、という方が正確か。



思い返せば、私がこんなに坊主、というか坊主にたんまり払う慣習を嫌うのは、両親の親が死んだときに凄まじい金額を坊主に払っていたのを知ってからだ。


なぜあんなものにそんな大金を、と、唖然とした。経を読んでもらうくらいは先に述べた冠婚葬祭ものでいいけども、なぜにそんなに高いんだ、と。人が死んでただでさえ悲しいときに何でそんな金を払わねばならんのだ。


私の身近な人には坊主に金を使うくらいなら、自分たちのために使ってほしい。なぜなら自分にとって大事なのは、死んで藻屑となった自分より坊主より、残って生き続ける大切な人たちだからだ。


別に地を這うような生活をしてるわけではないけども、普通の中流層の一人として、慣習とされるものに、ああそうですか、とあれよあれよと金を払ってほんとに払うべきものと思ってますか?と思うのである。



歳を食っておじさんになっても、摩訶不思議なことは世の中まだまだあるものだ。



regards,


kenji