いきなり自宅勤務メイン、というのは人生初で、
これに慣れるしか無いので、快適さを確保するため、
会議用のマイク、スピーカーフォンだの、
今日はユニクロで、ワイドフィットテーパードパンツ
なる、イージーパンツのようなものを買ってきたり。
もはや正装する機会がほぼゼロで、身だしなみというと整髪、髪をぼさぼさにならぬようこまめに美容室にいくのと、ヒゲを剃っておくくらいか。
服装で負荷をかける必要はゼロになったので、思い切り機能性重視に舵を切る。
少し疲れたな、と思ったら横になり休み、またスッキリしたら作業再開、といったことや、家庭の生活音や話し声などのノイズ以外は静かなので、作業に集中できる、という意味ではいいのだが、よく言う話であまり帰属意識というものを感じなくなる。フリーランス、とまでは行かないのだろうが、何となくそれに近しい感覚知をみんな少なからず感じるのではないだろうか。
他者とのコミュニケーションがオンラインやメール、チャット、電話のみ、と、リアルが基本でたまにリモート、というのとは違う、リモートが基本、と基本になる方が変わることはそれなりに感覚が異なることを正直感じる。
が、通勤前提の頃とは異なり、家族といるのが基本、と忙しすぎて家族とすれ違い、ということはあまりなくなる気はする。通勤もなくなり、なくなると負荷は仕事のみ、となるので、その意味では個人的には快適は快適である。このまま続くなら続く、でいいんだが、正直、やはり仕事をともにする人たちと全く会わない、というのは寂しい感じもある。
何年も同じ形態で慣れるとすると、こうした働き方ができない職場はかなり窮屈に感じるようになるのではないか、と思う。自律的に動ける人しか通用しなくなるので、会社としては生産性は上がりそうだが、正直、自律的に動けない人には何をどうしてよいか分からず、大変なのではないか。
商社などは原則出社、と、私の感じている日々とは異なる選択をする会社もあるようだが、転職先を選ぶときも感じていたが、レガシーな会社はいつまでもレガシーなんだな、変わらんのだな、と思う。私はそういう環境、それに疑問を呈さない人たちには懐疑的で、ゆえに無理、と思う。とはいえ、一方で先程書いたようなリアルな体験、もしたいはしたい、ので、わがままな話だが、まだ古い観念のようなものが邪魔してしているのかどうなのか。
Regards,
Knz