本質を見極める目。

Sunday, October 31, 2021 - Posted by Knz  at 8:29 PM
夫婦がうまくいく理由はいくつかある。


これだけ、ということではないし、うまくいくことばかりではないが、他の女性だと満たすことは難しい点が一つある。



本質を見極める目、である。




日本最高峰の芸術大学を出て海外留学の費用は無償、というトラックレコードを持つのは伊達ではない、と思うことがある。



これは、というものを外さない目、である。




多分、最高峰のものを見てきた故の鑑識眼、なのだろうが、あの女優はうんたらかんたら、と私が何も考えずに批評していたら、



演技は上手いのよ




と一言。



ほんとかよ?と思ってそのドラマを見たら、ホントだった…




こういうことは今までも何度もあるのだが、こういう、稀有な才能、というのか、いつもアホみたいな会話している中では計り知れない、内に秘めた才能、みたいなものには舌を巻くことがある。


これは他の女性でも100万分の1くらいの確率で出会うことがあっても、他のことである程度フィットする、という組み合わせになると、多分1億分の1くらいの確率になる。

こう書くと、日本人で出会うのは、妻くらいしかいないので、出会ったことが奇跡としか言いようがない。
多分、ワタシはとても惚れやすいので、好きになれる人は数多いると思うのだが、付き合ってうまくいき、その後夫婦になり、子供までもうけて長らく一緒にいる、は完全に別次元だ。生涯一緒にいることを可能にするだけの相性やリスペクトが必須である。



1億分の1、と書くと、ほんとかよ?と思う確率だが、仮に私が離婚して、誰か他の人を探しても、その後の人生をともに歩みたい、と思える人が最終的に見つかり、その人が私を受け入れる、たいう可能性は、ほぼゼロ、だろう。


後者がかなり難しそうだ 笑。


色々不満に思うことはなくは無いが、10年以上の付き合いになるし、それなりの関係性なのだろう、やはり。


運が良い、というのはこういうことを言うのだろうか。




Regards,



Knz


Nostalgicな触れ合い。

Friday, October 29, 2021 - Posted by Knz  at 11:58 PM
インフルエンザ接種に近くの診療所へ。


待合室で接種まで待つ。



爺様が受付の婆様と話す。



ここは優しいからいい。
こわいのは嫌。



思わず笑ってしまったが、自分の名前が呼ばれ、インフルエンザワクチンの接種。




ふと話しかけられる。お歳を召した、おばあちゃん
のような看護師に話しかけられる、その内容。
なんでもない様な内容。接種後の注意点、なのだが、
お風呂に入るな、アルコールは飲むな、と、ごくごく昔からよく聞くような話。


でも、その語り口、ワタシはそれを守らなかったら、腕がハンバーグみたいになったらやめとき、という、ご自身の体験から控えてね、と、ウフフ、と笑いながらの何でもないようなやりとり。



ワタシの生まれ故郷、小さい頃には当たり前のような
風景が妙に懐かしいし、心地よい。



色々効率化、とか、注意点を丁寧に、でも事務的に、いかにも仕事、と言うように説明してくれるのも否定はしないが、人がなぜそれをやるのか、という根本には、どこか、こう、懐かしくなるような、人と人の心の触れ合い、というのか、昔ながらの爺様が病院が嫌いでも、ここなら来れる、みたいな安心感を醸成できる人達。それは経済的な尺度では測ることが難しい、ことによると、全く付加価値と認識されないようなこと、が、実は本当に人々に普遍的に届きうる価値、なのではないか。




行き過ぎた定量化、何でも数字でしか判断できなくなるのではなく、自分の感性で価値を判断できることも、持ち続けてないと、判断を見誤りそう、というと言い過ぎかもしれないが、真の価値、というものを考えさせられた。


自分のモノサシ、は持っていたいし、それでしか測れないものはまだまだ世の中あるんだと思う。



いい国に生まれた、と思う。



Regards,


Knz

努力できる人と諦める人。

Monday, October 18, 2021 - Posted by Knz  at 11:59 PM
当たり前だけど二種類いるなあ、と最近
つくづく思う。


努力し続けられる人と諦める人。



後者は信じられない様なタイミングで
いなくなる。


例外なく。


ただ、本人ももう限界だ、と思うに至るまで
の葛藤のようなものはあるかもしれない。


が、もうアカン、という人は途中でバスを降りる、
となる。



生きるか死ぬか、まで大袈裟な話では無いかも
しれないが、でも、もうアカン、という人は
やはりもう再び元の打席に戻れなくなる。


だって、努力し続けてる人との差が広がりきっちゃって、気づけば浦島太郎状態だから。




何度も書いてるように、最終的には




気づけるか






これがある人ない人で人生様変わり。




エンジョイできるひとは直向きに目の前のことに向き合い続けて、バッターボックスで打ち続けられる人。




時にはバントでもいい。ヒットやホームランなんかたまに出る、でもいい。たまには三振、ファールもデッドボールもある。



でも、いずれもバッターボックスに立って起きてること。



立ち続けてればいつかは形になってくる。




でも、表面的にバッターボックスに立ってるフリをする人もいる。




やるんだったら下手だろうが何だろうがとにかく打つんだよ、本気で。



それが出来なくなったら、もう、生きてても、実質死んでますよ。死に体。




こういう当たり前のこと、って、意外に世の中声に出す人もいないし、聞いたこともない。




一番大事なことだろうになあ。





Regards,



Knz

Priceless.

Wednesday, October 13, 2021 - Posted by Knz  at 11:58 PM
Google photoで昔の写真が出てくる機能があるが、
結構秀逸である。


意識せずとも子供が小さい頃の写真とかをある程度の頻度で成長過程とともに見ると、ほんとにpriceless、とはこのことだ、と思う。


掛け値なしに可愛いいし、あまり使わない言葉だが、愛しい、という言葉のレベルがピタリはまるレベル。


ほんとに裏切ることはできない存在だと思うし、生き甲斐そのものと言っても過言ではない。



コロナ禍でワーワーうるせーな、と、思うことも往々にしてあるが、仕事が終わってまともな時間なら、すぐに子供の顔を見て、少しでも歓談して、というのが平日でもできる、というのは、ほんとに幸せだなあ、と思う。



緊急事態宣言があけて、やっぱオフィスでしょ、というイケてない会社から転職してくる人を見ると、共感できるなあ、といつも思う。



オフィスもたまにはいいけど、毎日出社を再開、とか、生産性が下がるから、とか、???と首を傾げる今日この頃。



Regards,



Knz



Authenticity.

Posted by Knz  at 12:03 AM
某社の社長にzoom越しにお目にかかる機会があったが、新聞で見た印象よりもさらに本物感を感じた。


雰囲気、たしなみ、というのだろうか。


あれは何か別次元の気品の様なものか、、、到底、自分が持ち得ない、何かこう、王室、貴族のそれ、のようなものを感じた、というと大袈裟だろうか…


あのような雰囲気を持てる様になる日は来るのかなあ…



憧れはするが、多分、自分はそうではないキャラ、路線だろうなあ、とも思う。無理せず、自分は自分、ですかねえ。




Regards,


Knz

COO.

Thursday, October 7, 2021 - Posted by Knz  at 10:55 PM
COOでどうだ?というお誘いが来た。。

しかも代取。。。


流石に驚いた…


が、断った…


一旦は面白そう、と思ったが、冷静に考えて、目の前の日々ともに仕事をするメンバーや上司を思うととてもではないが辞められん、と…


多分、色々苦労はあるが、思い切りやれているから、そんなに不満は無い、ゼロでは無いが、辞めるほどのものでなく、単に自分の力不足ゆえにフラストしてるところが多分にある、と認めざるを得ない。


これで辞めたら後悔するし、やはり目が眩むほどのポテンシャルが花開いていくのをリアルタイムに最強のインサイダーとして見たい、という野次馬感覚が強い 笑。



ワイドショーのネタ、みたいのが好きなのかも 笑
もうちょい洗練されてるけども。



Regards,

Knz

ふと出た本音。

Saturday, October 2, 2021 - Posted by Knz  at 7:37 PM
娘と夕飯を食べているとき、


この辺は静かでとてもいい



騒がしいと何もパパは考えられなくなるから




ほんとは寒くなければ北海道とかに住みたい。




いつでも


好きなだけ歌を歌い


曲を好きなだけ作り



好きなだけママは笛を吹き、ピアノを弾き



娘は広い部屋で好きなだけ絵を描き



息子は好きなだけゲームをして、




と、普段は思ってもいないことを口にした。





酒も入っていたので、もしこうなら、みたいのをあまりよく考えずに言葉にしたが、自分の向かいたい先、ほんとはこうなら、というのが、結構滲み出ていたのではないか。




よくFIREとかいうが、何に1,0000万円ずつ使うえるならストレスなく暮らせるだろう、それをあと40-50年、というと、単純だが、4-5億円。


自分と家族が幸せに過ごすための金など、冷静に考えるとそんなものだ。



よく、



じゃあ、あなたはいくらあったら幸せなんですか?




と聞かれたら、今なら5億円、と即答できるのかもなあ、と思った。




人間の欲は果てしない、欲も満たせば満たすほど、効用は低減するばずで、5億円で成し遂げた生活の先にある世界、というと、上はキリがない。



ただ、自分にとっておそらく真実、変わらないだろう、というのはモノだけでは決して満たせない、普通の人は価値とも感じない、


静けさ



曲を作るときには何も制限なく作れる




家族がひとりひとり幸せ



と、これらが満ちていればあまりいくら欲しいの?というのは問題にならないことだと思う。



100億円、とかいうレベルだと、自分はもうどうしていいかわからないレベル。であれば、世のため、人のために、将来のために使う方がいい、と本音で思う。ちょっとした贅沢には興味はあっても、王族のような生活に憧れるか?というと、それはNOだ。とにかく


静けさ



が絶対的に担保できないなら、いかなるものも不幸せでしかない。それほど、静かな中で、自分が色々と考える、思いにふける時間が大事なのだ。




Regards,



Knz