今を。

Saturday, January 4, 2020 - Posted by Knz  at 10:29 AM
決して戻ることのない時間

若さゆえかのほとばしる情熱

向こう見ずで、二人以外には何が正しいのかなど判断の余地を見出せず

でも絶対的に超えてはならない一線を超えたときには、他の物事のように少しずつでも綻んでいき、いつかは修復しようのないほどまでに崩れ落ち、やがて紡いだ絆は儚くも弊えていく


なぜあんなに愛した、愛されたのに破綻したのか


その疑問には、小さな綻びは修復できるものとそうめないものがあり、綻びを丁寧に諫めてやること、お互いをまた信じてよい、信じることが二人にとって幸いである、と再び感じることができるようになれれば、別の未来があったのかもしれない


今は当時を振り返り、それなりに経験値も増えた中で考え、気持ちを整理することしかできないが、別れた後、数ヶ月後にやはり謝ろう、と最期に電話で謝っておいたことが唯一の正しい行為、やっておいてよかった、やっておかなければ一生悔いたのではないか、と、今なお思う


最期に話した時をもってお互いの時間は止まったまま


お互い、どんなその後を歩んだのか、他の人には他愛もないことを当事者は気にするものだ



今を生きるしかない、というのが厳然たる現実、か。






Regards,


Knz

Precious memories...

Friday, January 3, 2020 - Posted by Knz  at 5:52 PM
実家に帰省中にもともと私が使っていた部屋が
中途半端に昔、使っていたのや作ったもの、
買ったものなどが残っていて、親から片付けてくれ、
と例年言われていたのもあり、一気に片付けた。

社会人三年目くらいでようやく親への学費の返済
を終え、一人暮らしを始めるときに1Kに行くのだったし、ドタバタで引っ越したので、マストなもの以外は運ばず、その後実家に戻ることなく結婚して別の家に引越しとなったので、片付けが中途半端なまま早、10年以上、と、そりゃいささかサボり過ぎか、と自分に呆れ、片付けに精を出すこと数時間。


高校時代や大学時代に撮った写真だ、自分の曲が
記録されてる、当時使っていたシンセサイザーのフロッピーディスクに、テープ、MD、ライブのVHSらしきものなど、捨てることを踏みとどまるようなものもあり。


短期留学したときのノートや現地の観光時のパンフレットなどの間から当時の彼女が作ってくれたらしき海外持ち物リストが出てきたり、捨て切った、と思っていたツーショット、当時ペアでつけていた指輪、など、思い返せば捨て切るときに踏みとどまったのか、と写真を一枚だけ残した記憶はそういえばあるが、多分指輪は10年前とかのタイミングではまだ捨てるにはきつかったので取り敢えずとっておいたのだろう…

持ち物リストの手書きのメモを見ると、なんとも当時の記憶やどんな人物であったのか、など走馬灯のように思い出が駆け巡り、年甲斐もなく何度も読み返してしまった…妻に見つかってはまずい、とやや後ろ髪引かれる思いはあったがゴミの山の中にそのメモや指輪も投じた。何とも書くのも恥ずかしいような手書きのメモと、私の寝顔のスケッチなど出てきたときには埃に塗れながら、まじまじと見てしまった…こんなに想ってくれる人がいたのか、自分にも…、と当時はありがたい、とは思うものの日常であったろうに、何でもないと思ったレベルのものでも、こう十数年前には事実としてあったことか、というと途方もない他人事のようで信じられない、と何とも言えない心境になってしまった…いい歳になって年初からとても小っ恥ずかしい気持ちにガラクタの中で佇んで…






写真一枚だけは今回もなぜか捨てられず、持って帰ってきてしまった…




おまけに別の彼女だった人からの寄せ書き(同じ職場だったから当然なのだが…)も発見し、それも持ち帰ってきており、それは他の講師からも書いてもらったもののカタマリだし、とよくわからない本音だけど言い訳に聞こえそうな、でも妻には言えない悶々とした気持ちになるものも今や私の部屋に…




うーん。秘密は誰にでもあるのかもしれないが、実家から私物の整理を要請され、整理すると色々出てきてコンマリのようにサクサク捨てるのは何とも言い難いものが出てきたので、タイムカプセルがあるなら埋めたいくらいだ、というものがものすごく身近にあることに今後はなるので、暫くは悶々としそうな予感…




年始からなんだろうね、こりゃ。




Knz