OSが合うか。

Friday, December 24, 2021 - Posted by Knz  at 11:11 AM
採用をしてて思うこと。

OSが合うか。


結構、ここが肝で、この要件が充足できないことで不採用になる、する、ということは往々にしてある。



合いそうか、というだけだけなく、合った経験がある、という、中々マーケットで調達が難しい要素が実は結構、入社後もハードスキルは当然あるとすると、命運を左右する要素である。


これを埋めるには、傾聴する、寄り添う、相手の頭の中を想像する、何が懸念で関心事か、今は何が一番重要だとされるのか。

これらに敏感に反応、察知、認識した上で現場に落とし込めるか。


同じ言語なのに、通訳みたいなことをすることが極めて重要なスキル、素養、というのだろうか。



コンサルや営業など、客商売に従事したことがあると、結構このスキルが高い傾向がある、と感じる。


逆にOSが合う、合いそう、合ったことがあるか、客商売である程度成功した経験がある、何れも無いと結構、伸びしろはハードスキルで埋められるところが限界値となり、ハードスキルが複数要件で充足できないと、結構お先真っ暗、である。


世の中の仕事から得られる報酬はある程度上記の要件の充足度により、多寡が決まってきている気はする。


あとはあるのか分からんが、やはり強運、というか、一大チャンスが来たときに、見送りでなく、ホームランを打ち返せるか、ということも大きなレバレッジ要素な気はする。


そうそう来ないのだが、とはいえ確実に一定の周期でそうした球は来る。



そこで如何にいい打ち返しができるか。



振り返るとこんなことなのかなあ、世の中、と整理してみた。




Regards,



Knz

閑静な東京。

Saturday, December 4, 2021 - Posted by Knz  at 9:35 PM
信じられない地域が存在する、というのを昨晩
認識した。



中高時代の親友と久しぶりに会ったのだが、代々木上原の住宅街。


こんなに静かな東京、ってあるんだ、と驚いた。



調べて見ると、歩んだあたりの家賃は月次100万円を超える、と購入するなら億円単位と思しき。



逆に人の声や生活感のようなものは皆無、で、何かと気を使いそうな地域…



でも、もし東京に住まいを設けないといかん、という状況になるなら、代々木上原はすごく魅力的。



雑踏、みたいな地域はホントに苦手で…




Regards,

Knz


何とも…

Friday, December 3, 2021 - Posted by Knz  at 10:40 PM
いつかは来ると思っていたが、こんなに早いとは…



心の準備も何も出来ておらず…の中で、
いつか来るものは当然に来た…



うーん。



寂しい。。。一言でいうとこうなる。




うーん。。。



すぐ近くにいるんだけども、何か遠い…



甘え過ぎて来たのかも…



旅立ちの時、とはこう言うことを言うのだろうか…



Regards,


Knz

私利はさておけ。

Saturday, November 27, 2021 - Posted by Knz  at 7:06 PM
この年齢になると、指針とするものが他者依存にするのはやめた方がいい、とほんとに思う。

他者依存の人生はハッキリ言って自分の人生を生きてることにならん。


どう考えてもならん。


どうなったとしても、自分でコントロールし続けて、泣き言なんか言わんと、何か起きても自分の判断、決断の結晶として、なるようになっていく。


あまりに向き合うものの事がデカ過ぎて、もうどうにもならん。



そんなときにはホントに自分はどうしたいんか、どう人のためになるべきなんか考え、最適、と思うことをひたすらやるだけやねん。


ほんとに自分という存在の小ささを最近思い知る。



そんな中でもがき、苦しみ、でも、これは最高や、すごい、とか感動できる、心が震えるようなことがありさえすれば、生きていてナンボ、と思える。




コントロールが効かないことがあまりに増え過ぎても、各自に自分がハンドル握り続けられることに向き合い続け、自分が思うように導いていく。



それしか出来へん。




それしか出来へんが、やり続け、どうにもならなくなったら、それはもう運命や。




そう言いきかせるしかない。



誰もどうにも何にも言わん。



どうにもならなくなるまでは走り続けんねん。



それしかできへん。




それしかほんとに誰であってもできへん、と思う。




そうと信じて走り続けたら、何が起きても自分のせいや。

自分で考えて、判断、行動し続けた結果だから、ほんとに誰を責めることもするつもりは無いし、きっと腹落ちできる気がする。


100%でなくても、かなりの割合、自分で受け止められる気がする。





そう信じて突き進む。こんくらいしかできんな。ほんとに。エクセレントな人では無いので。




こんなこと考えるようになるくらい、ヒリヒリする毎日もそんなに悪くない。



だって、生きてるうちに一つでも多く、未体験ゾーンを経験したいから。



そのくらいしかもう面白い、楽しい、ってこと、残ってないのよ。



カッコつけ、とかじゃなくホントに。



Regards,

Knz

思い出す。

Saturday, November 13, 2021 - Posted by Knz  at 10:43 PM
うるせーな。


忙殺される中で第三者から無責任に言われことに単純にそう感じた。





でも、恥ずかしながら耳が痛い。


その時とっさに出た言葉は驚くほど冷徹な言葉の数々。振り返ると悍ましいほどに。



でも立ち止まって考えに耽ると、本心は違う。



白地のキャンバスみたいなものだ。
我が社の社員は若い。
描くものはちゃんとしたものにしてやりたい。



私の転職の意思決定をした契機は、総合的には経済面や事業面など数々あるが、一つ挙げろ、と言われたら、今の上司の面接時のこの一言、につきる。




これを日々、忙しいと結構忘れがちだ。というか忘却していたかもしれない。



 シニアレイヤーにボロクソに言われようが、日々起きてることや理不尽に押し付けられることが、どんなにストレスフルでも、やはり根本的に自分がなぜいまこれをやっているのか、というのが何よりの拠り所で、それが拠り所にならなくなるなら、自分は今の組織を何のこだわりもなく去るのだろう、と思う。


よく、上司や同僚との人間関係がきつくなる、とか、会社の事業情勢が想定と違う、とかあるんだが、今のワタシはそれらははっきり言ってどうでも良い。極論言えば、であるが。当然、事業成長や組織目標の実が、は現実世界ではやる、のだが、雇用契約上の仕事としてやるのであり、自分のやり甲斐、というのはまた別にある。



それを忘れそうになっていた。



人事部長か、というほど人材採用に労力を割いており、中途採用や外部登用しか興味がない部長、と見えているかもしれない。


が、それは組織的に必要だからかやる、というのであり、やはり自分は当初転職したときの若手の育成、にこだわりがある。



正直言って、もう、伸びない人は伸びない、というか自身が気づいてかそうでないかわからないが、もう取り戻しようがないほどに手がつけられない。

ただ、まだホワイトスペースが残ってるような素直な若手はやはり、そのホワイトスペースに自分が書き込んであげられるものを与えてあげたい、何とか濃いものを描いてやりたい、と思う。



結構ドライに考えないといかん、と思うこともあるが、時間をとって冷静に考えてみると、ここはドライにしてはならんし、そうしたくない。


どこまでこだわって結果に繋げられるかわからないが、自分が関わることで、その若手の人生を抜本的に変えられるほどのインパクトをもたらせられたら、多分、今の自分にはそれが1番嬉しいことかもしれない。



過去に事業成長とか、自分のスキル積み上げ、とか、もうある程度やったから。



今後の日本を作っていけるような人たちを自分の力で一人でも多く、輩出できるようにしたい。




Regards,

Knz

未来、夢を語れるか。

Sunday, November 7, 2021 - Posted by Knz  at 8:27 PM
採用面接をしていて思うこと、


未来、夢を語れるか。


がかなり大事な気がする。


自分が採用候補者であるときにも、ジョインしたら何が期待できるのか。


経済面は二の次で、とはいえ大事なファクターだが、第一義的には



この会社で何を自分は実現できうるのか



という期待値、ではないか。



この考え方自体、フィットしなければ、一緒に働いても合わないので、、、ご縁がなかった、という結論でいい気がする。



向かうベクトルが合わない人は、夢や理想に向けてともに走らないことが通常、なので、早晩崩壊するか、無理が生じる。


夢に共感できる、柔軟に切り替えられる。



こういう人、でなければ無理ではないか、並走するのは。



全員、会った人、付き合う人、全員がそうとは限らない。


そこは無理に合わせるのではなく、合う一つだけで走るしかないときもある。




100%、は無理だ。



70-80%くらいがいい塩梅ではないか。



もし50%未満、なら自分が誤りの可能性大。

真摯に自省すべき、と思う。





Regards,


Knz

本質を見極める目。

Sunday, October 31, 2021 - Posted by Knz  at 8:29 PM
夫婦がうまくいく理由はいくつかある。


これだけ、ということではないし、うまくいくことばかりではないが、他の女性だと満たすことは難しい点が一つある。



本質を見極める目、である。




日本最高峰の芸術大学を出て海外留学の費用は無償、というトラックレコードを持つのは伊達ではない、と思うことがある。



これは、というものを外さない目、である。




多分、最高峰のものを見てきた故の鑑識眼、なのだろうが、あの女優はうんたらかんたら、と私が何も考えずに批評していたら、



演技は上手いのよ




と一言。



ほんとかよ?と思ってそのドラマを見たら、ホントだった…




こういうことは今までも何度もあるのだが、こういう、稀有な才能、というのか、いつもアホみたいな会話している中では計り知れない、内に秘めた才能、みたいなものには舌を巻くことがある。


これは他の女性でも100万分の1くらいの確率で出会うことがあっても、他のことである程度フィットする、という組み合わせになると、多分1億分の1くらいの確率になる。

こう書くと、日本人で出会うのは、妻くらいしかいないので、出会ったことが奇跡としか言いようがない。
多分、ワタシはとても惚れやすいので、好きになれる人は数多いると思うのだが、付き合ってうまくいき、その後夫婦になり、子供までもうけて長らく一緒にいる、は完全に別次元だ。生涯一緒にいることを可能にするだけの相性やリスペクトが必須である。



1億分の1、と書くと、ほんとかよ?と思う確率だが、仮に私が離婚して、誰か他の人を探しても、その後の人生をともに歩みたい、と思える人が最終的に見つかり、その人が私を受け入れる、たいう可能性は、ほぼゼロ、だろう。


後者がかなり難しそうだ 笑。


色々不満に思うことはなくは無いが、10年以上の付き合いになるし、それなりの関係性なのだろう、やはり。


運が良い、というのはこういうことを言うのだろうか。




Regards,



Knz


Nostalgicな触れ合い。

Friday, October 29, 2021 - Posted by Knz  at 11:58 PM
インフルエンザ接種に近くの診療所へ。


待合室で接種まで待つ。



爺様が受付の婆様と話す。



ここは優しいからいい。
こわいのは嫌。



思わず笑ってしまったが、自分の名前が呼ばれ、インフルエンザワクチンの接種。




ふと話しかけられる。お歳を召した、おばあちゃん
のような看護師に話しかけられる、その内容。
なんでもない様な内容。接種後の注意点、なのだが、
お風呂に入るな、アルコールは飲むな、と、ごくごく昔からよく聞くような話。


でも、その語り口、ワタシはそれを守らなかったら、腕がハンバーグみたいになったらやめとき、という、ご自身の体験から控えてね、と、ウフフ、と笑いながらの何でもないようなやりとり。



ワタシの生まれ故郷、小さい頃には当たり前のような
風景が妙に懐かしいし、心地よい。



色々効率化、とか、注意点を丁寧に、でも事務的に、いかにも仕事、と言うように説明してくれるのも否定はしないが、人がなぜそれをやるのか、という根本には、どこか、こう、懐かしくなるような、人と人の心の触れ合い、というのか、昔ながらの爺様が病院が嫌いでも、ここなら来れる、みたいな安心感を醸成できる人達。それは経済的な尺度では測ることが難しい、ことによると、全く付加価値と認識されないようなこと、が、実は本当に人々に普遍的に届きうる価値、なのではないか。




行き過ぎた定量化、何でも数字でしか判断できなくなるのではなく、自分の感性で価値を判断できることも、持ち続けてないと、判断を見誤りそう、というと言い過ぎかもしれないが、真の価値、というものを考えさせられた。


自分のモノサシ、は持っていたいし、それでしか測れないものはまだまだ世の中あるんだと思う。



いい国に生まれた、と思う。



Regards,


Knz

努力できる人と諦める人。

Monday, October 18, 2021 - Posted by Knz  at 11:59 PM
当たり前だけど二種類いるなあ、と最近
つくづく思う。


努力し続けられる人と諦める人。



後者は信じられない様なタイミングで
いなくなる。


例外なく。


ただ、本人ももう限界だ、と思うに至るまで
の葛藤のようなものはあるかもしれない。


が、もうアカン、という人は途中でバスを降りる、
となる。



生きるか死ぬか、まで大袈裟な話では無いかも
しれないが、でも、もうアカン、という人は
やはりもう再び元の打席に戻れなくなる。


だって、努力し続けてる人との差が広がりきっちゃって、気づけば浦島太郎状態だから。




何度も書いてるように、最終的には




気づけるか






これがある人ない人で人生様変わり。




エンジョイできるひとは直向きに目の前のことに向き合い続けて、バッターボックスで打ち続けられる人。




時にはバントでもいい。ヒットやホームランなんかたまに出る、でもいい。たまには三振、ファールもデッドボールもある。



でも、いずれもバッターボックスに立って起きてること。



立ち続けてればいつかは形になってくる。




でも、表面的にバッターボックスに立ってるフリをする人もいる。




やるんだったら下手だろうが何だろうがとにかく打つんだよ、本気で。



それが出来なくなったら、もう、生きてても、実質死んでますよ。死に体。




こういう当たり前のこと、って、意外に世の中声に出す人もいないし、聞いたこともない。




一番大事なことだろうになあ。





Regards,



Knz

Priceless.

Wednesday, October 13, 2021 - Posted by Knz  at 11:58 PM
Google photoで昔の写真が出てくる機能があるが、
結構秀逸である。


意識せずとも子供が小さい頃の写真とかをある程度の頻度で成長過程とともに見ると、ほんとにpriceless、とはこのことだ、と思う。


掛け値なしに可愛いいし、あまり使わない言葉だが、愛しい、という言葉のレベルがピタリはまるレベル。


ほんとに裏切ることはできない存在だと思うし、生き甲斐そのものと言っても過言ではない。



コロナ禍でワーワーうるせーな、と、思うことも往々にしてあるが、仕事が終わってまともな時間なら、すぐに子供の顔を見て、少しでも歓談して、というのが平日でもできる、というのは、ほんとに幸せだなあ、と思う。



緊急事態宣言があけて、やっぱオフィスでしょ、というイケてない会社から転職してくる人を見ると、共感できるなあ、といつも思う。



オフィスもたまにはいいけど、毎日出社を再開、とか、生産性が下がるから、とか、???と首を傾げる今日この頃。



Regards,



Knz



Authenticity.

Posted by Knz  at 12:03 AM
某社の社長にzoom越しにお目にかかる機会があったが、新聞で見た印象よりもさらに本物感を感じた。


雰囲気、たしなみ、というのだろうか。


あれは何か別次元の気品の様なものか、、、到底、自分が持ち得ない、何かこう、王室、貴族のそれ、のようなものを感じた、というと大袈裟だろうか…


あのような雰囲気を持てる様になる日は来るのかなあ…



憧れはするが、多分、自分はそうではないキャラ、路線だろうなあ、とも思う。無理せず、自分は自分、ですかねえ。




Regards,


Knz

COO.

Thursday, October 7, 2021 - Posted by Knz  at 10:55 PM
COOでどうだ?というお誘いが来た。。

しかも代取。。。


流石に驚いた…


が、断った…


一旦は面白そう、と思ったが、冷静に考えて、目の前の日々ともに仕事をするメンバーや上司を思うととてもではないが辞められん、と…


多分、色々苦労はあるが、思い切りやれているから、そんなに不満は無い、ゼロでは無いが、辞めるほどのものでなく、単に自分の力不足ゆえにフラストしてるところが多分にある、と認めざるを得ない。


これで辞めたら後悔するし、やはり目が眩むほどのポテンシャルが花開いていくのをリアルタイムに最強のインサイダーとして見たい、という野次馬感覚が強い 笑。



ワイドショーのネタ、みたいのが好きなのかも 笑
もうちょい洗練されてるけども。



Regards,

Knz

ふと出た本音。

Saturday, October 2, 2021 - Posted by Knz  at 7:37 PM
娘と夕飯を食べているとき、


この辺は静かでとてもいい



騒がしいと何もパパは考えられなくなるから




ほんとは寒くなければ北海道とかに住みたい。




いつでも


好きなだけ歌を歌い


曲を好きなだけ作り



好きなだけママは笛を吹き、ピアノを弾き



娘は広い部屋で好きなだけ絵を描き



息子は好きなだけゲームをして、




と、普段は思ってもいないことを口にした。





酒も入っていたので、もしこうなら、みたいのをあまりよく考えずに言葉にしたが、自分の向かいたい先、ほんとはこうなら、というのが、結構滲み出ていたのではないか。




よくFIREとかいうが、何に1,0000万円ずつ使うえるならストレスなく暮らせるだろう、それをあと40-50年、というと、単純だが、4-5億円。


自分と家族が幸せに過ごすための金など、冷静に考えるとそんなものだ。



よく、



じゃあ、あなたはいくらあったら幸せなんですか?




と聞かれたら、今なら5億円、と即答できるのかもなあ、と思った。




人間の欲は果てしない、欲も満たせば満たすほど、効用は低減するばずで、5億円で成し遂げた生活の先にある世界、というと、上はキリがない。



ただ、自分にとっておそらく真実、変わらないだろう、というのはモノだけでは決して満たせない、普通の人は価値とも感じない、


静けさ



曲を作るときには何も制限なく作れる




家族がひとりひとり幸せ



と、これらが満ちていればあまりいくら欲しいの?というのは問題にならないことだと思う。



100億円、とかいうレベルだと、自分はもうどうしていいかわからないレベル。であれば、世のため、人のために、将来のために使う方がいい、と本音で思う。ちょっとした贅沢には興味はあっても、王族のような生活に憧れるか?というと、それはNOだ。とにかく


静けさ



が絶対的に担保できないなら、いかなるものも不幸せでしかない。それほど、静かな中で、自分が色々と考える、思いにふける時間が大事なのだ。




Regards,



Knz



天職。

Thursday, September 23, 2021 - Posted by Knz  at 9:25 PM
結局、新卒のときに初めて触れた業務領域、新卒ではじめて入った会社の延長線上に今の自分はいる。


よく点と点が線で結ばれる様に、と言うが、まさに総合力を結集して今の仕事にある、と思うと、中々新卒で最初に経験する仕事、というのはバカにならない。

もちろんその後の会社での経験が深みを増す、ということに寄与しているのだが、最初の会社で見てきたもの、経験してきたものは今なお、こうあるべき、と見習うべき、そうでない点、双方あり、何気に自分の日々の意思決定の素地に確実になっている。



よくコピーひとつもまじめにやれ、というが、もう少しレベルの上がる、エクセルでのモデルの作り方、考え方、など、面倒くさがらずに、日々、数人くらいしかいない夜中近いオフィスでカタカタひとり仕事に向き合い続けた経験、というのはバカにならない。


丁稚奉公、というのだろうか、やはり誰でもそういう時期はあるだろうし、そこを馬鹿にせずに取り組み、将来は社長だ、CFOになるんだ、そのために必要なことをやるのだ、というある意味逆算で必要になるスキル、経験を一つでも多く経験することに貪欲に打ち込む、これがあるか無いかが極めて大きな分岐点になっているのではないか、というのが今の私の仮説。



担当する部を強化せんと採用活動を人事部の人間じゃないか、という勢いで進める中で、また、日々の部内人材の育成に取り組む中で、伸びしろがある、センスがある、考えて動けている、これらを感じるのは、おそらく彼ら彼女らに各々、ゴールイメージまたは目指すべき方向性が見えており、そことのGAPを埋めるべく、日夜貪欲に仕事に向き合っている、と言う点がある人ない人で、日々のスピード感が速ければ速いほど、とんでもない差がごく短な期間で生じるように思う。


たまに部下の成長に鳥肌が立つ様な瞬間があるが、そのくらいがいい気がする。自分いる場所なんて、うかうかしてると無くなるぞ、というくらいに一人でも多くの人材が育ってくれればいいし、ほんとに自分が不要になるような、自分が伸びしろ無いポンコツに陥れば、潔く後進にポジションなど譲るべきだ。


が、そんなことにはならない、と確固たる自負は当然にあり、どう考えても今まで自分が経験してきた掛け算に勝る人はおらず、レベルを限界などあるはずがない、と思いながら伸ばせるだけ伸ばして誰にもついてこさせない、という気概でやってるので、誰に譲る必要もないと思う。


もし譲る必要が出ても、食い扶持などいくらでも作れる自信はあるので、それを持てるように日々精進するだけである。



途方もない先、誰にも見れない様な世界をいつまでも見続けていたい。


Regards,


Knz 

向き合う人を大事にする。

Thursday, September 9, 2021 - Posted by Knz  at 11:53 PM


向き合う人を大事にする。


仕事も人生もこれに尽きるのでは無いか。



書いてみて家庭にはできてない感がすごい自分に押し寄せる…
妻はだからいつもキレてんだろうなあ…



上司、部下、同レイヤーの人達、取引先、など、あらゆるstakeholderに向き合い、大事にする。これが全ての基本、なのではないか。


大事にされない扱いを受けても無視して、そういうことが二度と起きない努力をすればいい。


クリアになった状況においては、このポリシーは非常に大事であり、効果的に機能するはず、と思う。



よく何が最適解か、という議論はあるが、突き詰めていけば、このポリシーを色んな粒度、色んなレイヤーで使い分け、アプローチの仕方を変えながら取り組むだけではないか。繰り返し、まともな相手が対象となるのが大前提。


なんでこんなにクドクド言うか、というと、100人いたら数人くらいは通常の思考では考えられないような人はいる、ということ。大半は少々難があっても何とかかわせるレベルだが、どうにもならないことはある。そこに労力を投じるほどくだらないことはない、と思うので、切るしかない。切り方はかなり丁重に、慎重にやる必要はあるが。
あとは切ってしまうと、前に進められないことが出るなら、それはうまくマネジメントするだけ。

多分、マネジメントに求められるのは、物事を進める上での最適解をあらゆる物事に求め、追求する、それに対するblockerは取り除けるものは取り除き、どうしようもないものは切る、かわす、と合気道の様に取り組む他ない。そんなに世の中、待ってくれないものた。



Regards,


Knz 

何だろうなあ…

Wednesday, September 8, 2021 - Posted by Knz  at 11:21 PM
これは何なんだろうなあ、と思うことが続く…

言葉にできない、何と言うのか、もやもやもやもや


久しぶりに季節も寒くなってきたし、マッカランをロックでjazzでも垂れ流しながら、一人即席バー状態。


飲みたくなる、というのはあまりあるようで無い方の人(毎日ビール飲んでるからかな)、何だが、かなり久しぶりに飲みたい、酔いたい夜。


驚き、裏切り、というのとも違う、ただ、どうにも気持ち悪いキレの悪さが起こること、というのはあるのだ、と認めざるを得ない。


性善説に立ちたい、できるだけ信じたい、悪く無いはずだ、どこかにボタンの掛け違いがあるだけだ、そこに何かできないか、と語りかけて突如起きる想定外の事象。


すいも甘いも経験してきた年齢だが、それでもどうにも判然としないこととは、こうも起きることか、と溜息しか出ない。


オレは何をやってんだよ。


何をしてんだよ。


ボケてる暇なんか無いから、ほんとに素朴にそう自問するが、自答はできないまま。答えなんかいつもあるものじゃないんだから、と投げやりになる。



何なんだろうね。



これが生きる、ということなのかね。



音楽くらいしか真に信じられる、不思議な力、魅力しかないのかなあ、とぼんやり山中千尋さんの演奏聴きながら思う。


Living Forward DVDを観ながら、というより聴きながら、聴き流しながらスコッチに身を委ねて、たまには甘えさせてよ、とか、わがままほざいてしまう感じかなあ…



とりとめもなし



Regards,


Knz

引導を渡す。

Tuesday, September 7, 2021 - Posted by Knz  at 10:56 PM
迷いに迷い、最終的には上司の実質判断、
によってしまったな…


どうすれば最適だったのか、すごく頻度高く悩んだが、結果、引導を渡して、良かった、と思う。


というか、それしかなかった。。


それを選択する勇気がまだ持てなかった、というのが正直なところか。



相馬の塔のように色々駆け巡るなあ…




Regards,


Knz

複数のPar.

Saturday, August 28, 2021 - Posted by Knz  at 9:22 AM
昨日、一年ぶりくらいにラウンドしてきたわけですが、池とバンカーに悩まされてハマったホールを除けばそれなりに安定したショット、パットができるようになり、124、うちPar2回、と、質的にベストスコア。120切れるか、、と思ったら、最後に叩きまくってしまい、、、何とももったいない…


当たり前ですが、一打一打を丁寧に考えて、どこに飛ばすか、どうホールアウトできるようにするか、ストーリーというのか、アプローチ、というのか分からんけども、1ホールずつ、どう組み立てるか、を意識し、丁寧にショット、パットを打つ。これに尽きる。
逆に言うとこれまでは丁寧さが欠如、というか、その前提になるショットやパットの安定性自体がなかったので、組み立てようにも組み立てられなかった、ということかもしれない…


氷嚢をホールとホールの間の待機時間にあてる、という地味にコンディションを正常に保つのも大事だな、と。昨日は借り物だったので、早速購入。水も飲みますが、冷やす、が炎天下だとかなり大事。


100を切れるようになるのはまだ先になりそうだけれども、少し自信になったラウンドだった。多分練習の仕方はそんなに間違えてないんだな、と。


Regards,

Knz

理想と実践。

Wednesday, August 25, 2021 - Posted by Knz  at 12:16 AM
理想が高く、夢ばかり語り、いざその夢を手にした後に、実はそんなに求めてなかったのか、単に野次馬レベルの夢だったのか、実践する、という人は極めて少ない、と感じる。


数百人会い、その中で10名前後のこり、というふるいの掛け方をして、さらにその中で数名いるかどうか、というレベル感ではないか。

夢を夢で終わらせず、地で実践する人は。

実践する、までならまだ軽く、実践できる、繰り返し何があろうが向き合い続けられる。


このレベルになると1,2名、いるかどうか、というレベル。ゼロかもしれない。




それだけ真に有能なひと、というのは世の中に少ないのだろう。


とすると、裏を返すととんでもない希少価値、というものが存在するのではないか。



自分のこと棚に上げている感もあるが、、、レベルやレイヤーが違くても、多分おんなじような感覚値なんじゃないか。



でも、それに気づくのも不幸なことに、そのように見られてる時はそんなに気づかないもの、違うレベル感、レイヤーの人とは永遠に合わない認識齟齬、なのかなあ…


諦めたら負け、とはよくいう話なので、いけるところまでまずは行くか。


Regards,


Knz


未来。

Saturday, August 7, 2021 - Posted by Knz  at 11:22 PM
自分がドキドキするもの、って何なんだろう、と
ふと思うと、


未来



だ、と初めて分かったかもしれない。


テクノロジーにこれほど興味があるのも、今の最新
技術で何ができるようになるのか、社会、世界がどう変わるのか、自分の身の回りがどう変わるのか。
これらが自分にとってのコアな関心事ではないか、と初めて思うに至った。




エスタブリッシュメントとかエリートとか社会の階層、とか、全く刺さらないんだけど、最近ちょいちょい報道されるトヨタの未来構想とか、ブルーオリジン、イーロンマスクの会社、ヴァージンの民間宇宙旅行、NASAの火星の探査、とか、カッティングエッジなニュースには、我ながら少年のような心でそれらを見ている。


多分、そういう革新的な変化が何より好きで、逆に言うと旧態依然とか保守的な変化の無いものが何より嫌い、という、白黒が極めてハッキリしている価値観何だと思うに至る。



言葉に落とし込めないモヤモヤが働き始めてからずーっとあった、何を求めてるのか、自分でもよく分からないけど、その時々のフィーリングで生きてきた感があるが、改めて何なんだ?というと、冒頭のことに帰着すると思う。



サチッたりすると、途端に変化はなくなるので、そんなものには全く情熱を燃やせないが、普通の人が嫌になるくらい、ついてこれないくらいの変化の連続、その中でどうすべきかを爆速で考え、策を講じ続ける、その結果、成果、結実するものがある、という、この忙しないサイクルの渦中にいるのが、自分が心地よい(ストレスフルだし、大変だし、疲れるけど)環境なんだろうな、と、何となく合点がいった。


社会人経験が15年以上となり、これまでずっと自分探しのような状況で、とにかくブランド力みたいのを前半から中盤まで繰り返して、何か違うんだよなあ、とどこに行っても思っていたことが、初めて言語化できた気がする。



Regards,


Knz

飽和…

Sunday, July 18, 2021 - Posted by Knz  at 9:52 PM
以前、飽和感、と書いたが、この夏の旅行、ある程度いい宿の最高ランクの部屋に宿泊したが、あまり感動が無い…

風呂などはいいのだが、他にいくらでも上はあるだろう、と思うこと数々。


妻と子供はある程度満足してそうで良かったが、もはや自分は外でいい思いをしようとしても難しいのか、と思うほど、感動が乏しい…


それよりは豊かな自然、パノラマの山々が空前絶後の好天で見れる風景の方がグッと来る。要は非日常度合いが高いほど感動できる、ということか。


感動をもたらすサービス、宿、というのは中々無いのですかね。


Regards,


Knz

効率性の先にあるもの。

Tuesday, July 13, 2021 - Posted by Knz  at 9:39 PM
効率性。


高めれば高めるほど良い、と世間では言う。


自分もそれを最高レベルに高められるよう、努力、精進を惜しむことなく取り組んできた。





かなり逆説的だが、理屈では効率性は上がっているし、と思うのだが、どこか物悲しいものがあるのはなぜだろうか。




ものすごい非効率さの塊、手のつけようもないほどどうしようも無かったが、どこか心の本心では人と人との生身の格闘技、のような、決して美しくはない、ドロドロしていたり、ダサかったり、みっともなかったりするんだけど、連帯感とか、こころが通じ合うような熱さ、繋がり、熱と熱とのぶつかり合いの結果澱む空気感への不快さ。



でも、しばらくすれば、どこか心は満たされて、逆にそれが無くなると欠乏症、というか、渇望感、というか、無い、と言えば嘘になる、自分でも信じられないようなwetなものへのノスタルジーを感じる。



多分、スーパードライ過ぎるのも、人間同士のぶつかり合いの濃さがスコーン、と抜けてて、違和感、物足りなさにいつしか発展するのかもしれない。



最近、海外ではオフィスに週数日を必須とするような動きは各社あり、なんて非効率な、と思うし、通勤なんぞもはや無駄以外の何者でもない、とも思うのだが、馬鹿みたいに心の奥底は自分の上部の所感と別のものが渦巻いている。



人と人の触れ合いに飢えてきてるのかもな、と。

いい加減、コロナ禍も出口がはよ来ないものか、と正直感じてしまう。




Regards,


Knz

軋み。

Saturday, June 19, 2021 - Posted by Knz  at 11:27 PM
どこか無理が生ずる。


身体か。精神か。身の回りの人間関係、家族か。



誰も語らないが、誰しもどこかが他より優れたら、どこかは凹む。


トレードオフだ。



そのバランスを自分なりに最適に保つ、目指すこと。



誰も正確なんて教えられないし、自分の中にしか答えはない。


答えばかり、だれかに聞いて、何かを為す。



こんな楽なことはないし、振り回されて不幸になることはない。



どこかで自分のなりの最適解が崩れたとき、それがunrecoveralbleとなるとき。





何かを変える、均衡を取り戻すために動くとき、何でしょう。




逆にある程度の均衡が確保できているとき。次なる不均衡にただ備える、準備を自分なりにするだけ。




会社での上司や同僚からの評価なんて小さな点のようなものだ。



自分の人生における均衡の最適化。わがままなのかもしれないが、許される限りのわがままは、無くなれば個人の幸せ、なんてゼロになる。


だから、結構、大事にした方がいい、と私は思う。




Regards,


Knz

脳天をつくような問い。

Friday, June 18, 2021 - Posted by Knz  at 11:31 PM
パパは何で勉強するの?


ママは何でお料理つくるの?





まだ幼い娘からのこの二つの問いは脳天突き抜けるかと思うくらいに脳裏に残った。


要は、娘の目に、明らかなる家庭内の分担が見えている、ということである。


私がほとんど仕事と勉強しかしとらん、と見えていて、妻は家事をやる人、と見えている。



嘘偽りなく娘の認識が正しい。




それだけに本当に今の時代に沿った親の在り方を見せられているのか?という疑問を呈されたら、それはNo、だろう。明らかに。


明治、大正、昭和の親の分担とさして変わらん姿が幼い娘の脳裏に焼き付いてるのか、と思うと愕然とする


バランス、というが、本当にバランスさせようとすると、経済面での家庭の安定に確信を持てない、ゆえにそれに集中せざるを得ない、というのが本音である。

ある種の畏怖、のようなものがついて離れない、というと大袈裟かもしれないが、でも、妻に自分程の諸徳形成能力も意欲もない、実現方法もない、と認識したら、のこるもう一人の親がすべきことは、ひとえに稼ぐしかない、倒れることなんて許されない、稼げるだけ稼ぎ続けるしかない、と、誰も言わない話だが、事実、それしかない、という現実がある。



メディアは好き勝手に、ふわふわした世論形成をしているが、世帯ごとの真実や事情などガン無視である。



自分の選択肢が正しいかどうか、より、少なくとも私は経済的に困窮する自分の唯一の家族を見たくない、という唯一無二の、非常にシンプルなポリシーを貫いているだけである。


散々カネの話で喧嘩だ親族の亀裂だ、というのを私は見てきた。多分、これがある種のトラウマだろうし、ゆえに会計士を取るようなところまでカネに興味を持ったのだと思う。


どうすれば良かったのか。




あの凄まじいまでの醜さを、どうしたら見なくて済んだのか。




多分、それだけ、なんだと思う。





書いていて非常に悲しいが、でも、自分の人生で何やわ実現したい。ということが本質的にはあるのかもしれないが、何を避けたいか、が根源的に優ってきた、それを極端に恐れ続けてきた、今なお恐れている、ただそれだけ何だと、最近、冷静に見つめなおして思うようになってきた。




多分、いまの生活レベルで十分満足、あとは今まで回避したいものを回避できる状態を担保しつつ、自分が培ってきたものが他の人に良い形で還元出来さえすればいいんだろうな、と。綺麗事のようだが、そんなに何にならないと気が済まない、みたいのは、もうあまり無い。


それより、自分から何かを与えられた、誰かに喜んでもらえた、助かった、と言ってもらえた、という無形の価値のようなものが、気づけば生きる糧になっている気はする。




ここまで正直に書いたのは初めてかもしれない。




これまで抑えてきたものを一気に吐き出したせいか、涙がなぜか止まらない。





自分がいる、生きていることの価値、のようなものが、本当にあるのだろうか、という、根本的な疑問、のようなもの、奥底には、凄まじいまでの自身の価値への自信の無さ、のようなものがあるのかもな、と正直なところ思う。



こんな話はとても人には話せないね。





Regards,



Knz




本には書かれないこと。想像力の膨らませ力✖️仮説力。

Friday, June 11, 2021 - Posted by Knz  at 11:03 PM
仮説思考、仮説ベースの問題解決アプローチ、というのはよく言われるスキル。

ファクトを全て収集して動く、と、ものすごくインプット探しに時間が膨大にかかる。

なので、最初に仮説を立ててて、その仮説で課題解決にあたるために必要なファクトだけ集めてアウトプットする、というのが仮説ベースの問題解決アプローチ。


これができないと、いつまでも仕事は遅いまま。ファクト収集して誰も求めないアウトプット、となった場合、時間の無駄、どうしようもない徒労感に襲われ、果てにはバーンアウト。



でもこれ自体ができない人は多い。感覚的に8割くらいの人はこれができない。仕事はなめてんのか?と思うくらいにアウトプットを出すスピードが遅い人が大半。


唯一、ある会社だけは、思い返すと、それができる人がそれなりにいた。だからあの会社は異様なスピードでの成長を遂げられるのだと今でも思う。



他方で、では仮説ベースでの課題解決アプローチだけできればいいのか?というとNo、である。


要は仮説の精度の高さは着地点、目指すゴールを初めから意識できて望むアウトプットを出せるか、ということが極めて大事なのだ。


盲点、というか、2割くらいの仮説ベースでの課題解決アプローチができる人の中でも、その仮説の精度が極めて高い、という人は感覚的にさらに1割くらいまで減る。とすると、数パーセントくらいの人しか、本当に仮説ベースで課題解決に当たれている人はいない、ということになる。


自分は2割の中にはいるが、精度については正直まだブレはそれなりにある。外すことはそれなりにまだある。

が、日々、仮説の精度を極限まで高めたい、外したく無い、という気概をもって、さまざまなインプットをし続けている。それは会社で起きるさまざまな話や情勢、外部環境の変化、要人が語る一言一言のことば。


これらの日々の精進が不可欠で、これこそほんとに本では語ることが不可能な話。汎用化不可能だから。



これが少しでもできてる場合には、側から見ると驚愕、となるらしい。
最近は驚かれることがそれなりに増えてきた。
たぶん、その意味では高い精度の仮説を立てられるようになってきたのだろう。


よくある道に通じるまでには10,000時間を要する、という法則がある、と言われるが、毎月250時間くらいを12か月続ければ3,000時間、なので、3年、同じペースで走り続ければ9,000時間、とかなり達人の息に達するのが早くなる。
自分の職業人としての人生はこのような連続であった、と思う。コンサル時代はもう少し上振れていたが…


ワークライフバランス、とよく言うが、ライフの割合が高い人はそれなりに増えてきていると思う。


ただ、何のために働いてるのか、が自分中心、になっていなければ、あまりそんなバランスは気にもならなくなる。

健康診断はピンポイントで危ないところは出てきていても、やはり、こうしたい、これを実現したい、という想い、というのか、目標とはまた違う気はするが、こういう世界を見てみたい、自分がそれを作り出したい、という精神で日々、コトに向き合い続けると、気づけば達人、というレベルに、誰よりも早く、ふと気づけば到達しているのではないか。



経済面で飽和している、というより、目の前のことに日々夢中で取り組めている、ということなのかもしれない。



タフではあるが、そんな人生もいいんじゃないか。一人でも多くの人に自分の何かが役立つなら、それで。




Regards,


Knz











本で語られないこと、その2。

Posted by Knz  at 12:25 AM
コンサルやそれに相当するポジションで重要なのは、
経営陣の頭の中への想像力と、それを踏まえた仮説ベースのネクストアクションの策定スキル、ではないか。

端的に言うと忖度、にも聞こえるが、経営者には独特の嗅覚、カンピュンターがある、その精度が高い、と言う場合には、相当有効なスキルであるはず、と思う。

巷では、ハードスキルや、どのレイヤーでも汎用的に通じるスキルしか語られないが、それは読み手がマジョリティであり、pageviewなどがKPIになり、間違った正解、のようなものを追求してるからだ。


語られないものが多分最も価値が高いもので、語られないのは、それを語れる人が少ないからであり、汎用性は極めて乏しく、野性の感、どこまでアンテナの確度を高められるか、という、文字にすると、誰も身につけることを放棄するようなことしか書けないから。


要は読まれないし、買われないのだ。身につけにくいから。


でも身につけにくいから価値が保全される。



気づいた人、それを身につけられるひとだけが多分成功、という名のものに近づけるんだと思う。


一方で、それに気づいてる人、身につけられる人は、自分の成功なんかあまり気にしてなくて、もっと壮大な、文字にすると恥ずかしいくらいの理想を掲げて、毎日ひたむきに精進してしてる、目の前のコトと向き合ってる。



多分、世の中で語られるスキルなんてものは、基礎力にしかならず、本質的な価値はもっと違うところに、デーン、と巨大な存在感で存在しているのだろう、と思う。メディアで語られるスキルなるものほどチープなものはない。



Regards,



Knz

自己防衛。

Sunday, June 6, 2021 - Posted by Knz  at 5:43 PM
こういう記事見ると、退職金、とはかなり効率悪そうだ…と思わざるを得ない…



退職金を支払う企業サイドはどういう経済環境下かによらず、運用資産分を売却し、退職者に退職金を支払う。

退職者は受け取った退職金が巨額で、いきなり運用商品に突っ込む…積立投資などしているとドルコスト平均法が使えるが、巨額資金だとしにくい…退職時から積立てを始めることも考えられるが、キャッシュインフローが入って来なくなるので、取り崩すしかなくなる。しかもこの記事でいう数千万など、現役並みの生活してたら数年くらいでなくなるような金額ではないか。もっても10年か。

とすると、その先どうするのか。

長寿リスクに晒されまくり、そのexposureたるや身の毛もよだつレベル。国民のいくらかがこの記事のような金融リテラシーの低い人だとすると、それだけで社会保障コストはドンドン高まりそうで、この国は大丈夫か?と思わざるを得ない。投信の購入時に3.3%も抜かれてることに気づかない、そもそも、ネット証券なら無料になってるような販売手数料が、窓口にわざわざ出向いてさらに抜かれ放題抜かれてる、と側から見るとアホか、と言わざるを得ないような有り様である。

長期でcashflowのプロジェクションをしたうえで、どう暮らすのか、自分と妻の長寿化リスクをどう見積もり、どう対処するのか。子供や親族に頼るなんてもってのほかで、自己防衛はつぶさに経済環境を見据え対応せねば。


Regards,


Knz







経済的な幸福の飽和点。

Saturday, June 5, 2021 - Posted by Knz  at 10:02 PM
まだ書くのは早い気がするが、家とか車とか、でかい買い物を除けば大半のことは望む通りにできると経済的にある程度満たされており、物では満たされなくなる。

関心事が違う物に移る、という方が感覚的に正しいか。

数十万の物を買って得られる幸せ度より、子供や妻と楽しい話ができてる方が幸せ、という方がより手触り感がある気がする。


子供の手を握って寝かしつけて、グースカ眠りに入る様を見ることの方が、心がグッときてる感じがする、というとよりダイレクトに伝わるだろうか。


私は残念ながら出来た夫でも父でもないと思う。かなり自分のやりたいようにやってしまっているので。ゆえに子供の寝かしつけの反応くらいで、世間では考えられないくらい幸福度が増している、逆に言うと、ほとんど触れ合ってなくて、かなり稀にそうした体験をしてるから、より大きく感情に訴求するものがある、ただそれだけだ。キレイな話でも何でもなく、仕事や趣味、勉強など、自分だけの時間に相当な割合を割いており、前時代的な男性像をそのまま地でいってるのだろう、と嘆かわしいが、でもそうでしか生きれていない自分が素の姿見なのだろう、と。


ワーカホリック、というより、多分、走り続けてないと不安、という、ただそれだけなんだと思う。就職氷河期のことや、老後、長寿化、とか考えると、日々、漫然と過ごすのがただ怖くて、フルスロットルで走り続けたられてるか、と自問して、はい、と言える状況を作り続けないと、どこかで踏み外し、家族を困窮させる、更には親など親族に迷惑をかけてしまうのではないか、という畏怖があるのだ、というのが正直なところ。多分、精神科医とかに診てもらうと一種のトラウマですね、とか言われるのではないか、と、あまり誇れる状況ではないのだと、何となく自認している。


でも、どこかでそういう可能性も気にし出すとキリがないし、どうでもいい、とも思っているのも事実。
アドレナリンが出続けてれば犯罪とかに手を染めない、倫理的に問題ない線でいる前提なら、自分がいやな思いをすることを極小化できている、ワクワク出来ている限りは、それでいいかな、ともぼんやり思っている。

新卒で働き始めたころには今のような精神的コンディションは想像もしなかったが、何かの手段で、自分の意思だけで実現できることにはあまりリターンが大きくはなくなる、ということもあるのだな、と。自分ではコントロールできないものを、自分の行動で想定を上回るリターンがあると幸せ、と思う、そういうことなのではないか。





Regards,


Knz

どんな本でも語られないこと。

Saturday, May 22, 2021 - Posted by Knz  at 11:14 PM
今まで読んだどの本にも書いてないが、恐らく真理と言えること。

世の中、もっと小さく言うと、自分の働く環境での利害関係者の効用最大化をすること、これが仕事をする上での最適行動、だと思う。

会社員だろうが独立して事業をしていようが関係ない。同じだと思う。

大前提として、コンプライアンスの遵守、不法行為はしない、ということが不可欠だが、その前提のもと効用最大化するためのアクションを取り続けることが、自分へのリターンの最大化、それは遅行指標なので後でついてくるだけ。

頭のいい人、インテリジェントな人はもっと難しいことを考えるのだろうが、真理はこれしかない、と信じている。

ちなみに利害関係者、とは上位職者だけでなく、同僚、部下に対しても同義である。レベル感として上位職者が優先度高くなる気はするが、同僚、部下も無視をすることは、結局自分に跳ね返るので、合理的ではない。


もっと抽象化すると、常に正しい、と思うことをやるだけである。何が正しい、とされるのか、数多の要素に鑑み、複合的に都度判断するしかない。


その判断の成否はひとえに自分次第である。



判断の成否を高めるには自分がひとつでも多くの経験、成功と失敗を積み重ね、自分の事例だけでなく他の事例からも貪欲にlessons learnedを繰り返す、積み上げることでしかなし得ない、と考える。



ふと落ち着いて思いにふけ、真理と言えるであろうことを自分なりに整理し、前に進む、軌道修正することが大事だと思う。何度も何度も飽き足らず、ね。



私なりの考えはこうだが、このような自省、振り返りが個々人には必要だと強く思う。これを継続的にやっている、という人に過去の上司で一人だけあったことがあるが、彼は大嫌いな人であると共に最も尊敬する、いいところだけはロールモデルにしている人である。あり得ないくらいのスピードで成功を成し遂げている人であると思うが、いいところだけに限れば本当に見習うべき点は多く、日々の自分の行動の指針にもなっている。


やはり自省の繰り返しは大事なプロセス、習慣なのだと思う。




Regards,

Knz

学卒就活。

Wednesday, May 19, 2021 - Posted by Knz  at 11:01 PM
大学出るときの、いわゆる新卒の時の就活は
どう考えても失敗だったと思う。

当時は凄まじく苦労した、悔しい、と思ったが、
その後の専門学校数年をバイトしながら試験勉強して、と一人で黙々と将来こうしたい、こうなりたい、と思いながら取り組んでいった時間は、振り返るとあれで良かった、と思う。


下手に汎用的なスキルも磨けない、30代まで若手前提で下働き、みたいな人生で、今のようなご時世となると、茹でガエルで過ごして、気づけば退職勧告、とかなっていたのでは?と思う。


大した大学も出てないので、腕一本で勝負できるようになることしか考えずに過ごしてきたが、ふと思えば景色がだいぶ違うことにも気づく。


やはりいつも思うのは、人は欺けても、自分の素は欺けないのだ。人を欺きつづけていると結局欺くことに長けるのみで、自分のその他は成長していない。いざというときには何もできないのだ。


そういう可哀想な人は世の中にごまんといる。というかそういう人がマジョリティと言っても過言ではない。


アリとキリギリス、うさぎとカメの話はシンプルだが非常に真理を語っているなあ、といくつになっても変わらず思う。



ごまかしは効かない時代に益々なっていくんだろうな。



まあ、他人はどうでもいいので、自分が粛々とやるべきこと、目指すことをやるのみ。



Regards,


Knz

コロナ禍で近づくOnline MBA。

Friday, April 30, 2021 - Posted by Knz  at 12:44 PM
Onlineで某資格の動画をパーツでポチっと買って、
ジムでランニングしているときに見始めているのだが、これが結構良い。テキストや問題に向き合うよりコンセプトが頭に入る。インドの専門学校の皆様、ありがとう、という感じ。


ファイナンス系の二強のライセンスが取れたとして、国際的にマネジメントとみなされるには経験値だけでなく、MBAが、となるときもあるのか、と思いに至るのだが、そういえばコロナ禍になると国外に行けないし、最近のオンラインMBAは進化してたりするのか?と想像したところ、案の定進化しており、今まではキャンパスに渡航する期間がマストで設定されていたのが、国によってはロックダウン状態、という状況では、入学から卒業までフルリモートでやれそうな雰囲気。実際はコロナ対応が緩和されたらフルリモートは許されなそうだが、これを機会に、フルリモートで済んでしまうオンラインMBAは結構出てきそうだな、というのを何となく感じる。

少し調べた感じだとまだチラホラそういう事例が出てきているくらいで、実際にはまだ少数で、ハイレベル校ではImperial college londonとかは先を行ってる感じがする。

オンラインだとリアルに留学する費用の半分以下で済む様子で、中々身近になる。


Zoomとメール、チャットがあれば、わざわざ国外に住んで、とまでしなくてよくなるのは良い流れ。あらゆる学校でリモート前提となるまでにはまだ時間かかりそうですが、この流れが加速することを期待。

住む場所に関係なく、いろんなことができるようになるのはほんとに素晴らしい変化。あとはこのウイルスによる感染が、インフルエンザに感染したときのような短期で完治、副作用にも慄く必要がなくなるようになれば…




Regards,


Knz


守るべきものが分からなくなるとき。

Posted by Knz  at 12:28 AM
サイレントトーキョーなる映画を自宅で鑑賞。

観た後の感想として、直感的に、守るべきものが分からなくなったときに見失うもの、自分の進むべき、進みたい道分からなくなること、というのがあるよな、と。

自衛官など崇高な世界の仕事でなくとも、自分の人生でも何度かそういうことがあった。

今は不思議とベクトルはあるはあるのだが、見失うと暫くただただ無気力になる。

自分のように、また普通の生活に戻れればまだマシな方で、そのままあらぬ方向に舵を切り、あり得ない方向が正である、と側から見ると暴走、狂ってしまった、というほかない結果になることもあるのだ。

戦争、という極限を経験すると、PTSDと言われるような精神障害を負うこともある、というのはよく言われること。多分、今回の映画の犠牲者もその一例のようなものだろう。


守ろうとしているものが自分の認識と異なる世界に向かおうとした時、信じてきたものの存在が大きいほど、自分の何かが瓦礫のように崩壊してしまう、憎悪や憤怒となりエネルギーの向く先が信じがたい結末をもたらす。


そういうギリギリの何か、というのは世の中に実は潜在的にありふれていて、亀裂のように日々、犯罪や戦争、というかたちに姿を変え、歪みとして現れるのだろう。


何でこうなるんだよ、と、ただただやるせない、というか、声なき声が正とならない、この切なさ、儚さ、灯火のようなものをどうすればいいのか。


歪みのひとつひとつが緩やかに優しく修復され、時間の経過とともに傷が癒えていくように、ゆっくりとでも平穏な姿へと収斂していく。そんな世の中であればどんなによいものか。


元あるパイを取り合うような、殴り合いみたいな世の中でなく、少しでも旨いパイを作り続け、みんなで分け合い、うまいね、と言いながら食べ続けられる、そんな世の中にはならんのかね。



Regards,


Knz

Fukushima 50.

Sunday, April 25, 2021 - Posted by Knz  at 12:26 AM
3.11, 福島原発事案から早10年が経過。


未だに3.11以来、ミネラルウォーターを買って飲む習慣であるが、当時は完全に恨み節で人災以外の何物でもない、と思っていた。


現場の混乱、地震だけでなく、炉心溶融回避のため、世界初のベントを実施するため、決死隊と呼ばれる現場作業員で圧力を外部に逃す、結果、爆発よりはマシな放射線量を放出する、という試みも実施。

次々と下される現場判断を見ていると、映画ゆえ、綺麗に描いているところはあり、実際はもっと混沌としていたのだろうと思うが、極めて厳しい環境下で最前線の原子力プラントエンジニアが奮闘し、炉心溶融回避のために原子炉を海水で冷やす活動をしていた人達、自衛隊員のひとつひとつの積み上げが、原発を放棄せずに沈静化することに繋がったのだろう。

東日本はチェルノブイリを超える惨状に至っていた可能性もゼロではなく、と振り返ると、全く違う未来になっていた、というか生きれてないかもしれない、ということである。

最前線で刻一刻と変わる状況を踏まえ、ひとつひとつ判断を下すのは勇気も覚悟も要る。その結果が吉と出るかは分からないが、その都度、最良と思える選択肢を決断するのは胃がキリキリするがリーダーはそれを求められる。

また、最前線で旗を振り続ける必要があるし、一波乱あれば現場の最前線に駆けつける必要がある。火事場を他山の石、と見ているだけの人も世の中いるが、リーダーは現場を目で見て最善を尽くす義務があると思う。それを地でいくような様子に只々感銘を受けた。生きるか死ぬか、という局面、連日徹夜のような状況下では、極めて難度の高い意思決定の連続だと思う。冒頭申したような、人災、と整理するにはあまりに不誠実で、むしろリーダーたるや、どうあるべきか、を大いに思いしらされる現場風景である。

肝に銘じておきたい教訓のようなものを再認識するに至った好作だと思う。


Regards,


Knz


外交官。

Saturday, March 20, 2021 - Posted by Knz  at 9:28 AM
今更感あるのだが、映画、アンダルシアから戻ってアマルフィ、を見て、連ドラの外交官 黒田康作をここのところ連発で観ていた。


最後のクライマックスとか、ほんとにグッとくるようなフレーズがいくつもあったが、霜村、黒田のやりとり、ラストにそれが国連イベントのスピーチで表に出される、という流れは何とも言えない。


国益、という御旗を掲げて政治、官僚は動く。が、そのベクトルがどこに向くのか。関係国なのか、そこに生きる人、なのか。大きな違いはそこにあるのではないか。

意思決定の先やその陰にいる声なき人たち。それが国際関係の保全のために隠蔽、のような形となるときには悲劇を生む。生み出そうとせずとも、途中で軋みが出て、それが悪夢に発展し、と。


誰かが死なないと何も動かせない国って何なんだよ、という、厳密ではないかもしれないが、そのような一節は頭がスカーン、と弾かれたように印象に残る。


国家や官僚組織など、個人からするととてつもない巨大な存在を動かすには、覚醒させるには、今も昔もそれまでに失われる命がつきまとうことが多いように思う。

国連イベントのスピーチや黒田の言葉にもあったが、テロリズム、復讐というのはあってはならないこと、なのだろう。とはいえ、それが起きる背景にある声なき人の声に傾聴しない存在もまた大きな責があるのではないか。


国家や組織、といった人が作り上げた概念的なものではなく、生きる人、関係する人、そこから目を背けることなく向き合う、という、決して外交官だから必要な姿勢ではなく、ひとりの人として考えれば当たり前のこと、人を不幸せにしない、悲しませない、そういった想いを持って物事に取り組めば、誤ったベクトルに傾いていくのを少しでも避けられる可能性が高まるのではないか。


そんな国にしたくて官僚になったんじゃない。

日本を信じることを諦めない。


このような理想像のようなものかもしれないが、想い続けること、それはいつもひとつひとつの行動を戒めてくれるのではないか。




Regards,


Knz









コトバの感覚値。

Posted by Knz  at 6:22 AM
詞の重要さをこの歳になって感じる、刺さる、刺さらないが、詞によっても左右される、と思うほどよく言葉に耳を傾けるようになった、とか、動画だと思い切り詞が出てくるわけで、とすると気になる、という。


色んな曲の詞をつぶさに見ると、どうしてこんな言葉の選定になとちゃうの?とか、いや、それは選ばんでしょ?とか、ストーリーが滅茶苦茶ではないか?とか、何と言うのか、空気感、世界観のようなものが全く異質で異次元と言っていいくらい合わない、と感じるものが結構、巷にはありふれている。


英語も、いや、そりゃ無いでしょ、というのは結構あるし、英文法、最低そこは守りませんか、とか、いや、それ、使わんでしょ、そこで、とか、ツッコミどころ満載であることに最近、特に気になる。


これらを踏まえると、ざーっと詞をある程度書いて以降の推敲の精度をどれだけ高められるか、世界観を潰さずに言葉を選び切れるか、音楽とのフィッティング、英語で行くのか、日英混在、日本語だけであえていくのか、など、実は相当な選択の集積なのではないか、と思う。


そう考えると、やはり、これは、と感じる音楽というのは、詞に世界観があり、言葉にも違和感はなく、英語など言語選定も、そうだよね、と思うに至るのであり、例えばmiletさんのinside you、というのは曲も詞も良く、果てにはその人の雰囲気、ルックスまで良くて、もう神かよ、というレベルだと個人的には思うのだが、、、要はそこまでの集合体でないと成功しない、ということ、何だろう。


ランキング上位に行くものも大半よーわからん、と思うものが少なく無いが、やはりしかるべき位置にいるのは理由がある、と痛感する音楽、曲もある。


それ相応の歳になってくると、哀愁、というのか、これまではそこまで意識してこなかった部分も気になるようになる、というのか、こう書いてると、実は日々のサラリーマンの仕事で資料作成でフィードバックを受けたり、部下の資料のレビューなどでフィードバックするときの目線で詞を書いて、推敲して、ということゆえ、アウトプットとして自分以外の人に提示するときのシリアスさ、のようなものが、実は思い切り影響してるのではないか、ということにも気づく。


仕事上はワーディング、などという言葉で括られるが、詞もまさにワーディングをとことん突き詰められるか、というところが勝負なのではないか。


これが出来ないと、いくら曲が良くても、音楽としては死んでしまう、と思う。



Regards,


Knz


ネスレのメンテ対応がスゴイ。

Sunday, March 14, 2021 - Posted by Knz  at 3:58 PM
ネスプレッソのコーヒーメーカーが部屋にあるのだが、このところ調子が悪く、水曜日に修理依頼、木曜日に代替機が来て、故障分は引き取られ、本日日曜に修理済みで配送されてきた…

オマケのようにサンプルのコーヒーカプセルもついており、いたれりつくせり。

ここまで修理スピードが速いのは他社では見たことがない。代替機のレンタルが来たからひと月くらいかかるか、と思ったが、断然早かった…

故障、となると、おそらく本体で稼ぐのではなく、カプセルが稼ぐモデルゆえ、機会ロスがでかいから修理も早い、代替機も渡す、ということだとは想像するが、故障、というと客は不快なわけで、それを真っ先にリカバリすることでブランド力を強固に保つ、ということか。


私のようにカプセルが純正でなく互換メインで使う人からは想定リターンが得られないのかもしれないが…
互換カプセルの販売社からはネスレはロイヤルティを受けてるのだろうか。受けてるなら納得はいくが、そうでなければブランド力への投資だろうか。ネスレは安心のブランドゆえ、使い続けてもらいたい、ロイヤルカスタマーがリピートするのが、1番販売効率は良いから。新規獲得コストはどの企業にとっても非常に高くつくので。


Regards,



Knz

今読むと分かる音楽関連の本。

Sunday, March 7, 2021 - Posted by Knz  at 11:11 PM
音楽に向き合いたい、と書いてみて、取り敢えず
機材は十分だろう、と思いつつも憧れの音、はあったので、native instrumentsのkomplete ultimateからcollector’s editionにupgradeしてしまった。
エクスパンションがいくつか欲しい、と思っていたのと、ピアノのnoire、シンセボイス、何と言ってもストラディバリウス、アマティ等、ストリングスの名器を自分の曲に入れてみたい、というミーハーの極みを実現することに。

これで機材的には言い訳は効かないので、あとは技術が全般足りないので、ミックスだ、コードだ、マスタリングだ、編曲だ、とパラパラと部屋に長らく積むだけ積んでた本を表に出してざーーっと読んでいたが、結構読めるようになっていることに気づく。


昔よりもDAWでの作業中にエフェクターを数多くミックスに使うようになっていたので、どんなパラメーターがコンプだ、EQだ、リバーブだ、にあるのは知らず知らずの内に頭に入っていたので、読めるようになったのかと。

ただ、全く感覚で使っていたので、改めてプロの使い方を読むと、自分の無知さに呆れる…


頭でっかちになっても仕方がないが、どうにも市販の音楽と自分の曲の音の出来栄えに差を感じるので、ちゃんとミックス、マスタリングをできるようになっておきたい…まあ、プロのエンジニアには恐れ多いが、最低、人に聴いてもらうときに違和感ないレベルにしておきたい…

コードも慣れ、というか、繰り返しいろんな本で同じことを言い換えられて読んでいると段々血肉になってきてる感がある。iPadに32鍵のミニキーボード繋いで本読みながら鍵盤いじると理解できるところが増える。まあ、全部はまだ頭に入りませんが、週末に気晴らしにコツコツやろうと思います。


なんでもそうだが、こんなん絶対頭に入らん、と統計学のようなものを試験勉強がてらやり始めたときも、試験合格するくらいに理解できるようになるんだから、何度も何度も練習、書いて解いて解きまくる、実践しまくれば、いつかは分かる日が来る、と思う。
妻曰く、私が取り組んでる試験勉強の方が音楽理論より難しい、というので、であれば時間かければ分かるようになるはずだ、とかなり楽観的に構えることに。



ど真ん中しか投げられなかったのが、少し変化球も投げられますよ、となれればいいな…


Regards,


Knz

作ってから歌わせる。

Saturday, March 6, 2021 - Posted by Knz  at 11:50 AM
SAKI AIを使うスピードが遅いので、制作スピード上、合わない、という話を以前書いたが、自分で歌い、制作完了してからSAKI AIに歌わせればいい、と冷静に考えると、人に歌わせる順序と同じにすればいいだけか、と。

そうしないと、メロディー鍵盤で弾いてる暇あったら歌詞とメロディーのマッチングの方に時間を使いたいので。メロディーを鍵盤で弾けばいいじゃない、と言うのは簡単なのだが、、、わたしにはそれが著しく制作スピードを落とすことになり、そんなことやってたら浮かんだインスピレーションがまとまらない、という、、、。こう書くと、エンジニアリング、というか
DTMのスキルは決して高くない自分に気づく…騙し騙しDTMやってる感じ…逆に言うとそれでも一応曲は作れる、ということで。。完全に開き直りだが…


冒頭の点に気づいたら妙に気が楽になった、というか光明が見えてきた。


Regards,


Knz

Soundcloud上のSakiAIのデモ。

Posted by Knz  at 11:17 AM
Soundcloud上でsaki AIがリリース後、どのくらいのクオリティで皆さん作れてるのか色々物色すると、スゴイ、の一言。よくこんなに使いこなせるな、と感心を超えて尊敬…

ここまで使いこなせたらほんとにこのままリリースできるだろう、と。

私も使いこなせるように訓練かな…
wikiもご丁寧に非公式でネットにございますし…
機械が歌ってます、と言われないとほんとに普通に誰が歌ってるの?と尋ねたくなるくらいの質。

よーく聴くと、ああ、と思うのは思うが、耳をすまさなければほんとに普通に人間やろ、と。下手な歌い手よりよっぽど良い。



世の中にはほんとにスゴイ人が山ほどいるんだわな、と思い知ると同時に、ここまでできる時代になってるんだな、来るところまで来たわ、と思う。作詞作曲編曲、ミックスまでできるなら、ボーカルまでほんとに自己完結できるんですから。その先はSNSだ動画制作でネット展開だ、とほんとに昔では考えられないほどdistribution、マーケティングまでが自分のコントロールできる範囲にあるな、と。あとはほんとやるかやらないか、だけ。

となると、やる、ということしかない、ですよねえ。もういい歳だし、大きくやり残してることとして頭にいつも浮かぶのは、音楽。

音楽をほんとにやり切ってみたい(というか普段はサラリーマンの仕事あるから、それ以外の時間で)、と思う。

どこまで影響力ある、人の人生に突き刺さる音楽とか、自分がどこまでやれるのか、に非常なる興味。
理想言うとノルウェーの山奥とかで一人黙々と自宅スタジオに篭りきりで取り組みたいくらいww。



キレイな空気、景色を身近に眺めながら、喧騒からは遠く離れた世界でただただ音楽に向き合う。



究極の幸せはそんなことなのかもねえ。

現実は働きバチ無しでは生きれまへんが。




Regards,


Knz



Daniel&Bob@Barneys.

Friday, February 26, 2021 - Posted by Knz  at 5:45 PM
有給消化のため、休暇を取ったのだが、ここのところ、休みの日に音楽作り、とかして全然休養になってないので、今日は外出。

横浜に久しぶりに繰り出し、曇りだけどもやはり中華街から山下公園、大桟橋を抜けて赤煉瓦、ワールドポーターズ、クイーンズスクエア、という黄金ルートは散歩にはピッタリで気持ちいい。晴れてるともっといいんだけども…


ここのところ、ウインドウショッピングなんて全然してなかったので、ふらりと山下公園近くのバーニーズへ。


何も買う予定は無かったが、あるカバンがたまたま目にとまり、店員さんに勧められるままに鏡に合わせてたら気づいたら買ってた…キレイなお姉さんとかでなく、お兄さんに勧められたので、特に店員にやられた、とかではなく、あまり一眼ボレのような品にはここのところ出合っておらず、たまにはいいか、と。よくよく考えたら、今日持ってたバッグは20代後半から使ってて、ちょい若すぎるな…と冷静に年齢を考えると買い時か、とも。


Daniel&Bobなるブランドで、ブランドはそんなに興味ないのだが、今使っている型に近く、見た目は落ち着いた様子なので、ジーさんになっても使えるか、と少々高いがよしとした。が、思いがけず消費税の乗っかり方が凄く、、あらためて10%ってすごいな、と…

こんな感じ。バーニーズだけの取扱みたい…
試験に合格したので、自分へのご褒美かな。次も頑張らねば…





Regards,


Knz

虚脱感。

Tuesday, February 23, 2021 - Posted by Knz  at 8:26 PM
3発、相当、高校、大学時代並みのリードタイムで曲を作ったせいか、何も浮かばない…というか作りたい、という気持ちが消え失せた…出しすぎた、という感覚… あくまで個人的な感覚で、プロの人から見たらちゃんちゃらおかしいレベルなんだろうけど。

プロだったらこんな状態になったらめちゃくちゃ焦るだろうな…この状態で作り続けろ、と言われるほどきついことはない。

また再来するのか。


再来しない間はミニキーボードでまた理論をかじっておこうかと。

Regards,


Knz

コンデンサマイク。

Saturday, February 20, 2021 - Posted by Knz  at 10:59 AM
ボーカルの録音が何となくしょぼく、、、気になっていたので、Shure KSM9なるハイグレードなマイクを
確保。

コンデンサマイクも色々あるが、ボーカル用の方がいいかな、と思ったのと、今のShure SM58なるエントリ的なマイクと使い勝手が似ている方がいいか、と。

取扱は要注意…
壊さないように使えるか…


Regards,


Knz

音声合成について期待すること。

Sunday, February 14, 2021 - Posted by Knz  at 2:46 PM
Siriやgoogle翻訳の音声入力、のように、vocaloidとか、音声を発することができるソフトウェアの声でアウトプットしなおす、ということはできないのか、というのが最近期待すること。

これができると何がすごいのか、というと、

インプット
音程とともに、歌を認識。

アウトプット
録音したあとにソフトウェアの声で置き換える


となるので、歌い手の歌声が男性か女性か、というのは無意味となる。これがポイント。今の市販のものは、声での入力ができない(声自体はできても音程の認識ができない、ということかもしれない)。



今の技術はこの声のインプットをリアルタイムで完全変換することができず、歌い手の歌声を前提にした変換となり、男性の声は男性の声質を根本的には継承した後となり、実用に耐えない。


他方、既存のボーカロイド的な入力インターフェイスはいかにもエンジニアリング的な入れ方で、ステップバイで入れる必要がある。ここにクリエイティビティが発生しているときの即応性に対応できない、という痛い本質的な課題がある。


おそらく、下記のように歌声というインプットを要素分解し、別の声に出力させる、というのはリアルタイムだと無理がある、のだろう。処理に負荷が相当かかりそうな印象。ただ、インプットをまずした後にステップバイで処理をかませ、アウトプットする、なら不可能ではないのではないか。

人間の歌い手がどうしても必要であり続けるとしたら、声質と表現力の部分だろう。私の想像だと下記のようなやり方しかないだろう、と思ってしまうが、どうしても表現力をデータで捉える、というところに機械のような表現に陥る、という可能性を感じる。



-翻訳ソフトの精度で言葉を認識する
-音程はメロダインのように認識する
->表現面も別途解析して、データ化する

-これらのインプット及び処理したデータを組み合わせたものを、ソフトウェアの声に歌わせる

-言葉、音程、表現を別の声で出力する



この表現力、のところは膨大な歌い手の歌い方をインプットして機械学習させたあととソフトウェアの自動判定は直近のAI搭載の音声合成ソフトはいい線を行っていると思う。

とするとインプットのところの入力インターフェイスが、ステップバイの煩雑な仕様ではなく、歌う、という入力の仕方に合った入力インターフェイスしかないのではないか。というより、そのインターフェイスにできないから今の仕様なんだ、ということかもしれない。

前も書いたが、非常にUI/UXデザインに優れた、できれば自分自身が音楽の作り手、歌い手である人が音声合成ソフトウェアの開発現場にいることが、今後の技術革新には不可欠、と、また同様の所感を持つに至る。



頭の体操でした。




Regards,



Knz








妻と壁打ち。

Posted by Knz  at 12:39 PM
新曲を妻に聴かせていたら、歌の音程が外れて
て、頭が痛くなる、と酷評。相変わらず厳しい…


歌うときにガイドメロディをつけてんの?と
質問され、



つけててない、感覚でやっとる



とアホみたいな回答。。


次からガイドメロディをサボらずつけて歌録音しようも思います…



Regards,



Knz

音楽の民主化。

Saturday, February 13, 2021 - Posted by Knz  at 9:53 PM
Tiktokに音楽用のアカウントを作って、数曲をアップしてみて思うこと。


レコード会社なんか通さずとも、出来立ての曲にダイレクトに反応が得られること。

石橋貴明氏が情熱大陸で言っていたが、数の大小というより、ダイレクトに反応が分かるのが面白い、と。

完全に同感。産地直送、という感じか、出来立てのものをすぐに誰かに聴いてほしい。聴いて、だれか一人でもいいね!となれば、それだけで作り手としては感無量、である。
それが複数人となり、想定以上の反応、となると、石橋さんとは違うが、数が積み上がるのはそれはそれで嬉しい。前にも書いたが魂込めて作ったもの、絶対これいいでしょ?と自分なりに思うからこそ完成まで持っていくのだが、それに共感してもらえたら、それが多分、自分にとって生きてて一番嬉しいこと、じゃないか。

さっき、妻に思わず、


ハートをたくさんもらいました💌



と言ってしまったが、そのときの顔が、多分、生きてて最高!と感じてる顔してたんじゃないかな。


金は十分会社員として稼いでるから、思う存分、好きだ!これがいいでしょ!?と実験のように作っては投げかけてみる、というのが、個人的には今、一番楽しい。

が、試験も一段階目を合格して、二合目に行かねばならんので、、、ほどほどにせねば…
もう、年始から二発作ったから、作れんだろ、と思ったら、作れてしまった、、、、という感じで、もういい加減ネタ切れ感もあるので、また休憩。。ちゃんと勉強せねば…


それにしても妻は私の曲には、


歌が全然頭に入ってこないな〜



とか普通にドギツいコメントをこの前作ったのにカマしてくるので、何作ったらこの女は満足すんねん、とか思う今日この頃。
結婚する前にいくつか過去の曲を聴かせたら、もっと聴きたい、とか言ってくれてたのに、と思うと、劣化したのか?とか心配するが、一般の皆様の反応を見るにまだ捨てたものではない。


また気が向いたら作るべな。てか、感度するようなドラマ、映画に巡り合うかどうかやね。
自然と作りたくなる、というか、作らねば気がおさまらなくなるので。




Regards,



Knz

制作疲労…

Monday, February 1, 2021 - Posted by Knz  at 10:34 AM
短期間に今年入って二つ目の曲を昨日作り終えたら
想定外に疲労…


出し切ってしまい、、暫く制作意欲が無くなりそうな… 大分前に、絵を描く友人が、描き終わるといつも体重が数キロ落ちる、と言っていたが、今はその感覚が分かる気がする…もっともオッサンだから体重には大してわたしは影響しないのだが…


暫くまた制作自体からは敢えて遠ざかり、試験勉強しながら音楽、映像など見て、気長に作りたくなるときが再来するのを待つかな。趣味だと無理せず作りたい時に作ればいいのが気楽。これを職にすると寿命が縮まりそうな気がする… ひとつひとつに魂込めて作るので、その数が多いと、普段の日々ではかけないレベルの、遥かに膨大なエネルギーを投じることになるので、老けるのが早くなる気がする… 


曲、歌、ミックス、最近はコンセプト動画とのフィッティングを意識して詞に今まで以上に時間をかける、など、すべての工程をゼロから自分でフルフルやりきるのは相当負荷が高い…だから作詞家と作曲家、編曲家、レコーディングエンジニア、とか職種ごとにわかれ、分業して一つのものを作るんでしょうかね…

自分の場合、自分の頭にあるイメージ、感覚だけがすべての鍵なので、デモ版を作るまでは結局全て分業は不可だろうけども、あえてコラボをして、新たな活路を、たまには変化球、みたいのも面白いんだろうな。ディスカッションしながら、ここはこうじゃない、ああじゃない、と進めていくと、それはそれで面白いものができるのかも、ですね。その中で自分の頭の中にあるものを吐き出していけば、最終版をつくるときには分業できるのかも。





Regards,


Knz



目標、妻のPV超え。

Sunday, January 24, 2021 - Posted by Knz  at 8:50 PM
先ほど妻と会話してて、tiktokのPVが凄まじい速さで増えてて、初めて上げたら1,000超えてる、と…

妻もある程度驚いていたが、私はYouTubeで210,000回再生、とのことで、遥かに上回る…

ただ9年間で、らしい。しかも撮影したのは私でuploadしてあげたのも私。。。何か複雑…
コロナ禍に急増したらしい…みんな暇なのかな、とか呑気なことを言っていたが…まあ妻はその道のプロなので、そりゃ敵いませんがな、と。


とはいえ、多分、過去のMySpaceとかの経験よりも遥かに上回るkpiで、当の本人が一番驚いてますが、、、こうも露出の仕方、出し先で変わるのか、とくにPVやMAUが巨大なplatformだと個人の想定を遥かに上回るリーチ力。


個人とは切り離して、音楽用のアカウントで始めたから他人の目線で見てる感じはしてるが、ほんとに次の曲をはやく作りたい、と思ってきてる感じ。


妻によく言われるが歌が上手くないので、、、やや恐縮気味ですが、、、こっそり育てていこうかと…


Regards,

Knz

作詞について書いてみる。

Posted by Knz  at 7:58 PM
作詞について、プロでも何でもないのだが、
こうすると、うまくいくな、と思うに至ったことが
あるので書いてみる。自分の備忘も兼ねて。


ポイントは当たり前なのだが、書いてみたい、
表現したい、と思うことを手当たり次第書く、のだ。


とりあえずザーッと表現したいな、と頭にあることをテキストに落とす。自分はiPhoneのメモ帳に最近は書く。


あとは参考にする本や映像などあるなら、表現したい、と思うに至ったシーンを繰り返し読む、見る。


このテキストに書くのと、本や映像でイメージを確認するのを言ったり来たりして大体テキストレベルではAメロからこういう構成、というのを決める。


サビにはテキストレベルでどうまとまってるかは取り敢えずどうでもいいが、一番訴えたいな、という、コアなテーマを入れ込む。


このくらいのテキストができたレベルで曲の骨子を鍵盤とかで弾きながら何となくハマりそうなコードをメジャー、マイナーで探す。

ハマりそうだ、と思うコード進行、響きにアタリがついたら詞をコードにはめていく。ラララー、と鼻歌レベルでメロディーらしきものに変えていき、それとともに詞で言いたい内容のコアは変えずに、言葉を入れ替え、推敲していく。ポイントはメロディーと詞がマッチするところまで推敲すること。これが作詞から作曲までを同時並行で進め、というか、個人的にはこのプロセスでやらないと曲のイメージと詞がピタリフィットしない。世の中には詞と曲をバラバラに作ってる人達がいるが、自分にはあれは無理だ、と思う。自分の作るプロセスで一旦作り、天才的な作詞家に後で置き換えてもらう、とかでないもメロディーが自分は作れない。詞とメロディーを連動させないと、変な、というか、歌うのに無理がある曲になってしまい、サビが耳に残るものにできない。キャッチーさが確保できない、というのだろうか。


小室哲也のインタビューに作詞と作曲が同時並行、というのを読んだことがあるが、私は激しく同意。
小室哲也の作品で高校時代、育ったせいかもしれない…



プロではないが細々と中学から早20年以上はやってきてる経験を踏まえているので、一つのやり方としてありうべし、というやり方なのではないか。


Regards,


Knz

本。

Sunday, January 17, 2021 - Posted by Knz  at 1:32 AM
年末年始に本棚を眺めて、よくよく見るとオブジェと化してる、と妻に評されるほど、読んでないで置いてあるだけの本が大量に蓄積していたので、絶対今後読まない、と思うもの、それが恐らく100以上あり、、、大量に捨てたり、売りに出した。春から夏にかけても大量に捨てて、昨年から年始にかねて、本棚も4つ捨てた。。年末年始の前に大小様々200以上は捨てたと思う…おかげで凄く今の部屋はスッキリ(といってもまだモノが多いな、、、と感じる、、、)して、ストレス軽減効果を実感。


他方で先のエントリのように動画配信やdvdを観まくっていたのだが、それも中々、飽和してきて、オモロないものは観ていて苦なので、連ドラや映画の序盤で見切るように。とはいえ大抵面白いので、あまり見切ってはないのだが、見切るものもあるにはある。


これらを経て、残った本を手に取り読んでみると、かなり面白い、と思うものが残ってることに気づく。ほんとに何度も本をゴミ捨て場に持ち込んだあげく、まだ残ってるので、必要と判断された本だけある。

本やネットでも何でもいいのだが、会うことも無いが面白そう、凄いな、と思う人の著述に触れる機会はいつになっても大事だ、と思う。ベンチマークが日常で会う人たちだけだと広がりがあまり無い、レバレッジが効かない気がする、というか凄い機会ロスになってると思う。
自分の身の回りにいる人たちだけだと、自分の能力以上のものはあまり得られないだろう、と思ってるので(よく見えてるものは鏡のようなもの、と言いますね)、自分の能力なんかさておいて、常に、すげえな、と思う人から学ぶ機会を失わないようにするには、本は不可欠だ、と思う。ベンチマークを常に高くし続けると、自己満足、とかなる日は一生来ないと思う。何か、ナルシストみたいになってる人は何でそんな余裕なのか、といつも不思議に思う。自分がベンチマークにする人たちと自分を比べると、とても自己満足など恥ずかしくてできない。
これまでリアルに会って、あーこれは次元が違う凄さで、参りました!みたいなことは何度もあったし、その人たちを頭に浮かべると、自分が最強、とかそう思う日が来ることは皆無だと思う。
それほど自分には未知、未体験ゾーンがまだまだあると常に思う。それを常に求めていきたい、というのが生きる目的みたいな感じかなあ。何か高いものとか安いもの、とか金額の多寡はどうでもよくて、未体験ゾーンへの興味、関心が一番強いかも。勿論、食っていくために必要なことはしますが、人生、何が楽しみか、って、未体験ゾーンを少しでもお送り経験できること、これに尽きる。





思い返すと小学生のときに偉人の伝記のマンガ、読むのがすごい好きで、中高生も音楽とか映画、小説ばかりに入れ込んでいたので、あまり先生とか身近な人は眼中に入ってないことが多かったかもしれない。勿論、何人かの先生には音楽でも学校でも英会話とかでも大変影響を受けたし、それらがないと今の自分は無いな、と人生の岐路に極めて大事なひとたち、と思いあたる人たちはいる。
家族、友人や同僚、元カノとかも(実はかなり人間的なところでは元カノやその周辺までいった人達の影響はでかいのではないか・・・妻も勿論多大な影響を及ぼしてるのではあるが…)…



何がいいたいか、というと、実は本を捨てまくってさらに捨てようか、本棚なんか要らないんじゃないか、という考えにまでここ最近来ていたのだが、実際読んでみるとそんなことは全くない、というかあってはならない、あり得ない、とすら今は思った。

ネットのニュースとかは速報性はよく、質の高いものもあるが、やはり構想をじっくり練り、整理して執筆、編集をちゃんとした本という媒体は得るものが大きい。なんというか、残る感じがする。血肉になる感というのか。フラッシュメモリみたいに、短期記憶を常に更新しているような読み方ではない。ハードディスクに記録して残していく感じ。


なんか20:00くらいに眠くなって、23:00くらいに起きてしまい、、、少し読書してたらそんなことを考えるに至ったのでツラツラと書いてみた。

このままだと徹夜になってまうので、二度寝します…


Regards,


Knz










シャーロック。

Saturday, January 16, 2021 - Posted by Knz  at 9:10 AM
ミス・シャーロックなる連ドラを昨晩、仕事後に見始めて、結局3時くらいまで通しで観切ってしまった…
ドラマは次が気になると、結構通しで観てしまう。動画配信の時代になると簡単にそれができてしまうし…


竹内結子さんのドラマ、映画を年内、試験が終わってから集中的に観ている、のだが、新旧、諸々の出演作を振り返ると、スタンダードな役もやるが、結構、後年はキワドイ役を器用にこなしている、と感じる。チープな言い回しになるが、さながらカメレオンのよう。


多様な役回りを、恐らく自己解釈のセンスが相当いい、もしくは、または加えてなのか、周囲のスタッフの演出や監督などのアドバイスの吸収力が凄まじく高いか、ということと推察するが、後年の作品になればなるほど、かなり個性の異なる、また、難易度の高い表現が出来るようになっているのではないか。 

ひょっとすると、そういう、どこか一般社会ではスポットが当たらないが、非常に稀有な職業や人生を歩む人がおり、それを自分で演じてみたい、という、ニッチというか、メジャーな人ではあるが、かなりアウトローな志向であった、もしくはそういう個性をもつ女優、と業界で認識され、そうした仕事が数多く来た、ということなのか。

今となっては、というか、仮に現役であっても知る由は無いのだが、どこか、気になる、という存在感のあるひとと思う。

他の人ではあまり感じることは少ないが、声と雰囲気が独特のものがあり、ふんわりした雰囲気の時は何とも言えない穏やかさのようなものを感じる。一方、際どい役回りのものは、普段はなんじゃこりゃ、みたいな風情でも、どこか芯が通った人物像、というか、ここぞ、というときには、全然違うストーリー、役なのだが、同じものを感じるひたむきさ、真剣さ、セリフを通じ、世の中や人生観に対しての想いをぶつけてきている、というのか、際立ったコアなインパクト、というのか、ある種強烈な印象が残る。


今回観た、サイドカーと犬、ストロベリーナイツ、段田凛など演じた後の年代、比較的最近のミス・シャーロック、イノセントデイズ、弁護士Queenとかはカメレオン度合いにさらにエッジが効いている。今も健在なら、もっとその先、発展の軌跡を観れたのだろうな、と改めて残念至極である。


あまり放送分野は詳しく無いが、テレビで観れるものより、WOWOW、ネット配信もの、の方は映画以上に制約が外れて、好き放題やれるのか、作風が際どいものが多い気がする… スリラー、とかだとホラー並みの描写もあるなあ、、、と、一般のテレビ局は凄まじくリーチ力が高い故の自己制限のようなものが多分結構あるんでしょうね…


Regards,

Knz





同じような感触のコメント。

Monday, January 11, 2021 - Posted by Knz  at 2:29 PM

Appleの製品、サービスなど、凄まじくui/uxのレベルが高いものに慣れている世の中のせいか、やはり同じような感触を感じる人は私だけではないらしい…

コンセプトはほんとうに良すぎるくらいいいので、ui/uxがハイグレード版とか多少高くてもいいので、出て欲しいなあ…


I wonder whether it’s worth all the trouble to craft a vocal performance in software when perhaps you could get your mate to sing it instead. It definitely has possibilities although I’m not sure we’re ready for it on this side of the planet yet.


メロディーはシンプルに。

Posted by Knz  at 1:00 PM
機械に歌わせるのに無理があるのはメロディーが
無茶なのではないか、という、そもそも論の
ところに思いが至り…

SAKI AIなる音声合成ソフトで制作されたものが
ネットにいくつか落ちてるが素晴らしい完成度のものがちらほら。すごいな、、、と。
よくこんなに歌わせられるな、と何度か聴いてると、
当然なのかもしれないが、そこまで無知なメロディーの運び方をしてない、普通の人でも歌える、いわゆるカラオケで歌えるようなメロディーライン、であることに気づく。

意外と上手く使いこなすテクニックとはシンプルなメロディーとしておくこと、ではないか、と。

備忘録。


Regards,


Knz

歌う、というのは凄く複雑なこと、なのか。

Sunday, January 10, 2021 - Posted by Knz  at 11:52 AM
機械に歌わせようとすると直面すること、その2。

メロディーラインがそのまま歌、ではない。
ピアノロールでメロディーラインを打ち込み、歌詞を突っ込んでも、人間が歌ったようにはすぐにはならない。。
これはいわゆるボカロPと言われるボカロ使いであれば、なにを今更?と言われること請け合いな気付きだが、メロディーだと一音、そのまま全音、であっても、歌、というのは全音でなく、実際は八部音符のように、言葉の一塊ごとに構成されてる、ということなのか、歌ったときのそれとは響きが異なる。

愕然とするほど編集作業が必要となることに気付き、今はこのレベルのUIが限界なのか、、、と自分のスキル不足を棚に上げつつ、痺れ切った次第。。

ボイスチェンジャーのように、オーディオファイルを読み込んで、AIが読み込んだファイルを違う声で歌う、という、アプローチから見直さないと、根本的に機械に歌わせる、を、midiデータのようなプログラム化されたものをベースに機械に歌わせる、は機械に人間たるや何なのか、というレベルのことを形式的な音程レベル以上のものに付加、考慮していかねばならぬことになるのでは?と思う。
途方も無く未来にならねば、人間が意識せずに自然に出している表現力、というのを機械が具備できるようになるのは不可能ではないか。

コンセプトは非常にいいと思うが、いざ使ってみると悶絶するような障害がまだ相当数あるので、これを人間が歌ったかのように聞き違えるレベルにするのはもう少し先までのバージョン改善の行方を見たい。


Regards,


Knz


AIの音声。

Posted by Knz  at 10:03 AM
英語を読める、という仕様でない場合、英語が読めない、という、想定外のことあり。

ソフトウェア、なので、そのようにプログラムしなければ当然、と実際に触れてみては思うのだが、人間だと、二カ国語を意識せずに使い分けられるが、機械はそうはいかない、と、自分の曲の場合は両方使うので、この点はいきなり平手打ちビンタをくらうくらいの衝撃…

日本語部分を前提に、やはり、完全代替とはならないが、日本語ならある程度は歌わせられる、くらいの期待値で使う必要あり、と今更ながらのことに気づいた…

あと、何気にある程度作り込んだ曲にVSTを立ち上げると、pluginが落ちる、という根本的な課題が…macproでメモリは64GB積んでるから不足することはないと信じてるのだが…

Regards,


Knz

Synthesizer V pro AI.

Posted by Knz  at 1:00 AM
期待していた音声合成のAI版がリリースされたので、
アマゾンで購入。

先日、久々に作った曲を歌わせてみたい…

ピアノロールと歌詞を打ち込めば、煩雑な編集をせんでも人間のように歌わせられる、と、紹介ビデオとかで見て、感動的。

大袈裟な例も書いてあったが、人間だと無理な注文も、機械だから全然できてしまう、まさに声をひとつの楽器のように取り扱える、というのが自分のように自己完結で作り終わったらすぐに歌どり、というフローを変えることなく作業できるのがよい。

昔はイチイチ歌ってくれる人を募らねばならなかったことを思い出すと、とんでもなくショートカットできる。

まだ草創期ではあるが、どんどん進化していってほしい注目の領域で興奮気味。


Regards,


Knz