目標、妻のPV超え。

Sunday, January 24, 2021 - Posted by Knz  at 8:50 PM
先ほど妻と会話してて、tiktokのPVが凄まじい速さで増えてて、初めて上げたら1,000超えてる、と…

妻もある程度驚いていたが、私はYouTubeで210,000回再生、とのことで、遥かに上回る…

ただ9年間で、らしい。しかも撮影したのは私でuploadしてあげたのも私。。。何か複雑…
コロナ禍に急増したらしい…みんな暇なのかな、とか呑気なことを言っていたが…まあ妻はその道のプロなので、そりゃ敵いませんがな、と。


とはいえ、多分、過去のMySpaceとかの経験よりも遥かに上回るkpiで、当の本人が一番驚いてますが、、、こうも露出の仕方、出し先で変わるのか、とくにPVやMAUが巨大なplatformだと個人の想定を遥かに上回るリーチ力。


個人とは切り離して、音楽用のアカウントで始めたから他人の目線で見てる感じはしてるが、ほんとに次の曲をはやく作りたい、と思ってきてる感じ。


妻によく言われるが歌が上手くないので、、、やや恐縮気味ですが、、、こっそり育てていこうかと…


Regards,

Knz

作詞について書いてみる。

Posted by Knz  at 7:58 PM
作詞について、プロでも何でもないのだが、
こうすると、うまくいくな、と思うに至ったことが
あるので書いてみる。自分の備忘も兼ねて。


ポイントは当たり前なのだが、書いてみたい、
表現したい、と思うことを手当たり次第書く、のだ。


とりあえずザーッと表現したいな、と頭にあることをテキストに落とす。自分はiPhoneのメモ帳に最近は書く。


あとは参考にする本や映像などあるなら、表現したい、と思うに至ったシーンを繰り返し読む、見る。


このテキストに書くのと、本や映像でイメージを確認するのを言ったり来たりして大体テキストレベルではAメロからこういう構成、というのを決める。


サビにはテキストレベルでどうまとまってるかは取り敢えずどうでもいいが、一番訴えたいな、という、コアなテーマを入れ込む。


このくらいのテキストができたレベルで曲の骨子を鍵盤とかで弾きながら何となくハマりそうなコードをメジャー、マイナーで探す。

ハマりそうだ、と思うコード進行、響きにアタリがついたら詞をコードにはめていく。ラララー、と鼻歌レベルでメロディーらしきものに変えていき、それとともに詞で言いたい内容のコアは変えずに、言葉を入れ替え、推敲していく。ポイントはメロディーと詞がマッチするところまで推敲すること。これが作詞から作曲までを同時並行で進め、というか、個人的にはこのプロセスでやらないと曲のイメージと詞がピタリフィットしない。世の中には詞と曲をバラバラに作ってる人達がいるが、自分にはあれは無理だ、と思う。自分の作るプロセスで一旦作り、天才的な作詞家に後で置き換えてもらう、とかでないもメロディーが自分は作れない。詞とメロディーを連動させないと、変な、というか、歌うのに無理がある曲になってしまい、サビが耳に残るものにできない。キャッチーさが確保できない、というのだろうか。


小室哲也のインタビューに作詞と作曲が同時並行、というのを読んだことがあるが、私は激しく同意。
小室哲也の作品で高校時代、育ったせいかもしれない…



プロではないが細々と中学から早20年以上はやってきてる経験を踏まえているので、一つのやり方としてありうべし、というやり方なのではないか。


Regards,


Knz

本。

Sunday, January 17, 2021 - Posted by Knz  at 1:32 AM
年末年始に本棚を眺めて、よくよく見るとオブジェと化してる、と妻に評されるほど、読んでないで置いてあるだけの本が大量に蓄積していたので、絶対今後読まない、と思うもの、それが恐らく100以上あり、、、大量に捨てたり、売りに出した。春から夏にかけても大量に捨てて、昨年から年始にかねて、本棚も4つ捨てた。。年末年始の前に大小様々200以上は捨てたと思う…おかげで凄く今の部屋はスッキリ(といってもまだモノが多いな、、、と感じる、、、)して、ストレス軽減効果を実感。


他方で先のエントリのように動画配信やdvdを観まくっていたのだが、それも中々、飽和してきて、オモロないものは観ていて苦なので、連ドラや映画の序盤で見切るように。とはいえ大抵面白いので、あまり見切ってはないのだが、見切るものもあるにはある。


これらを経て、残った本を手に取り読んでみると、かなり面白い、と思うものが残ってることに気づく。ほんとに何度も本をゴミ捨て場に持ち込んだあげく、まだ残ってるので、必要と判断された本だけある。

本やネットでも何でもいいのだが、会うことも無いが面白そう、凄いな、と思う人の著述に触れる機会はいつになっても大事だ、と思う。ベンチマークが日常で会う人たちだけだと広がりがあまり無い、レバレッジが効かない気がする、というか凄い機会ロスになってると思う。
自分の身の回りにいる人たちだけだと、自分の能力以上のものはあまり得られないだろう、と思ってるので(よく見えてるものは鏡のようなもの、と言いますね)、自分の能力なんかさておいて、常に、すげえな、と思う人から学ぶ機会を失わないようにするには、本は不可欠だ、と思う。ベンチマークを常に高くし続けると、自己満足、とかなる日は一生来ないと思う。何か、ナルシストみたいになってる人は何でそんな余裕なのか、といつも不思議に思う。自分がベンチマークにする人たちと自分を比べると、とても自己満足など恥ずかしくてできない。
これまでリアルに会って、あーこれは次元が違う凄さで、参りました!みたいなことは何度もあったし、その人たちを頭に浮かべると、自分が最強、とかそう思う日が来ることは皆無だと思う。
それほど自分には未知、未体験ゾーンがまだまだあると常に思う。それを常に求めていきたい、というのが生きる目的みたいな感じかなあ。何か高いものとか安いもの、とか金額の多寡はどうでもよくて、未体験ゾーンへの興味、関心が一番強いかも。勿論、食っていくために必要なことはしますが、人生、何が楽しみか、って、未体験ゾーンを少しでもお送り経験できること、これに尽きる。





思い返すと小学生のときに偉人の伝記のマンガ、読むのがすごい好きで、中高生も音楽とか映画、小説ばかりに入れ込んでいたので、あまり先生とか身近な人は眼中に入ってないことが多かったかもしれない。勿論、何人かの先生には音楽でも学校でも英会話とかでも大変影響を受けたし、それらがないと今の自分は無いな、と人生の岐路に極めて大事なひとたち、と思いあたる人たちはいる。
家族、友人や同僚、元カノとかも(実はかなり人間的なところでは元カノやその周辺までいった人達の影響はでかいのではないか・・・妻も勿論多大な影響を及ぼしてるのではあるが…)…



何がいいたいか、というと、実は本を捨てまくってさらに捨てようか、本棚なんか要らないんじゃないか、という考えにまでここ最近来ていたのだが、実際読んでみるとそんなことは全くない、というかあってはならない、あり得ない、とすら今は思った。

ネットのニュースとかは速報性はよく、質の高いものもあるが、やはり構想をじっくり練り、整理して執筆、編集をちゃんとした本という媒体は得るものが大きい。なんというか、残る感じがする。血肉になる感というのか。フラッシュメモリみたいに、短期記憶を常に更新しているような読み方ではない。ハードディスクに記録して残していく感じ。


なんか20:00くらいに眠くなって、23:00くらいに起きてしまい、、、少し読書してたらそんなことを考えるに至ったのでツラツラと書いてみた。

このままだと徹夜になってまうので、二度寝します…


Regards,


Knz










シャーロック。

Saturday, January 16, 2021 - Posted by Knz  at 9:10 AM
ミス・シャーロックなる連ドラを昨晩、仕事後に見始めて、結局3時くらいまで通しで観切ってしまった…
ドラマは次が気になると、結構通しで観てしまう。動画配信の時代になると簡単にそれができてしまうし…


竹内結子さんのドラマ、映画を年内、試験が終わってから集中的に観ている、のだが、新旧、諸々の出演作を振り返ると、スタンダードな役もやるが、結構、後年はキワドイ役を器用にこなしている、と感じる。チープな言い回しになるが、さながらカメレオンのよう。


多様な役回りを、恐らく自己解釈のセンスが相当いい、もしくは、または加えてなのか、周囲のスタッフの演出や監督などのアドバイスの吸収力が凄まじく高いか、ということと推察するが、後年の作品になればなるほど、かなり個性の異なる、また、難易度の高い表現が出来るようになっているのではないか。 

ひょっとすると、そういう、どこか一般社会ではスポットが当たらないが、非常に稀有な職業や人生を歩む人がおり、それを自分で演じてみたい、という、ニッチというか、メジャーな人ではあるが、かなりアウトローな志向であった、もしくはそういう個性をもつ女優、と業界で認識され、そうした仕事が数多く来た、ということなのか。

今となっては、というか、仮に現役であっても知る由は無いのだが、どこか、気になる、という存在感のあるひとと思う。

他の人ではあまり感じることは少ないが、声と雰囲気が独特のものがあり、ふんわりした雰囲気の時は何とも言えない穏やかさのようなものを感じる。一方、際どい役回りのものは、普段はなんじゃこりゃ、みたいな風情でも、どこか芯が通った人物像、というか、ここぞ、というときには、全然違うストーリー、役なのだが、同じものを感じるひたむきさ、真剣さ、セリフを通じ、世の中や人生観に対しての想いをぶつけてきている、というのか、際立ったコアなインパクト、というのか、ある種強烈な印象が残る。


今回観た、サイドカーと犬、ストロベリーナイツ、段田凛など演じた後の年代、比較的最近のミス・シャーロック、イノセントデイズ、弁護士Queenとかはカメレオン度合いにさらにエッジが効いている。今も健在なら、もっとその先、発展の軌跡を観れたのだろうな、と改めて残念至極である。


あまり放送分野は詳しく無いが、テレビで観れるものより、WOWOW、ネット配信もの、の方は映画以上に制約が外れて、好き放題やれるのか、作風が際どいものが多い気がする… スリラー、とかだとホラー並みの描写もあるなあ、、、と、一般のテレビ局は凄まじくリーチ力が高い故の自己制限のようなものが多分結構あるんでしょうね…


Regards,

Knz





同じような感触のコメント。

Monday, January 11, 2021 - Posted by Knz  at 2:29 PM

Appleの製品、サービスなど、凄まじくui/uxのレベルが高いものに慣れている世の中のせいか、やはり同じような感触を感じる人は私だけではないらしい…

コンセプトはほんとうに良すぎるくらいいいので、ui/uxがハイグレード版とか多少高くてもいいので、出て欲しいなあ…


I wonder whether it’s worth all the trouble to craft a vocal performance in software when perhaps you could get your mate to sing it instead. It definitely has possibilities although I’m not sure we’re ready for it on this side of the planet yet.


メロディーはシンプルに。

Posted by Knz  at 1:00 PM
機械に歌わせるのに無理があるのはメロディーが
無茶なのではないか、という、そもそも論の
ところに思いが至り…

SAKI AIなる音声合成ソフトで制作されたものが
ネットにいくつか落ちてるが素晴らしい完成度のものがちらほら。すごいな、、、と。
よくこんなに歌わせられるな、と何度か聴いてると、
当然なのかもしれないが、そこまで無知なメロディーの運び方をしてない、普通の人でも歌える、いわゆるカラオケで歌えるようなメロディーライン、であることに気づく。

意外と上手く使いこなすテクニックとはシンプルなメロディーとしておくこと、ではないか、と。

備忘録。


Regards,


Knz

歌う、というのは凄く複雑なこと、なのか。

Sunday, January 10, 2021 - Posted by Knz  at 11:52 AM
機械に歌わせようとすると直面すること、その2。

メロディーラインがそのまま歌、ではない。
ピアノロールでメロディーラインを打ち込み、歌詞を突っ込んでも、人間が歌ったようにはすぐにはならない。。
これはいわゆるボカロPと言われるボカロ使いであれば、なにを今更?と言われること請け合いな気付きだが、メロディーだと一音、そのまま全音、であっても、歌、というのは全音でなく、実際は八部音符のように、言葉の一塊ごとに構成されてる、ということなのか、歌ったときのそれとは響きが異なる。

愕然とするほど編集作業が必要となることに気付き、今はこのレベルのUIが限界なのか、、、と自分のスキル不足を棚に上げつつ、痺れ切った次第。。

ボイスチェンジャーのように、オーディオファイルを読み込んで、AIが読み込んだファイルを違う声で歌う、という、アプローチから見直さないと、根本的に機械に歌わせる、を、midiデータのようなプログラム化されたものをベースに機械に歌わせる、は機械に人間たるや何なのか、というレベルのことを形式的な音程レベル以上のものに付加、考慮していかねばならぬことになるのでは?と思う。
途方も無く未来にならねば、人間が意識せずに自然に出している表現力、というのを機械が具備できるようになるのは不可能ではないか。

コンセプトは非常にいいと思うが、いざ使ってみると悶絶するような障害がまだ相当数あるので、これを人間が歌ったかのように聞き違えるレベルにするのはもう少し先までのバージョン改善の行方を見たい。


Regards,


Knz


AIの音声。

Posted by Knz  at 10:03 AM
英語を読める、という仕様でない場合、英語が読めない、という、想定外のことあり。

ソフトウェア、なので、そのようにプログラムしなければ当然、と実際に触れてみては思うのだが、人間だと、二カ国語を意識せずに使い分けられるが、機械はそうはいかない、と、自分の曲の場合は両方使うので、この点はいきなり平手打ちビンタをくらうくらいの衝撃…

日本語部分を前提に、やはり、完全代替とはならないが、日本語ならある程度は歌わせられる、くらいの期待値で使う必要あり、と今更ながらのことに気づいた…

あと、何気にある程度作り込んだ曲にVSTを立ち上げると、pluginが落ちる、という根本的な課題が…macproでメモリは64GB積んでるから不足することはないと信じてるのだが…

Regards,


Knz

Synthesizer V pro AI.

Posted by Knz  at 1:00 AM
期待していた音声合成のAI版がリリースされたので、
アマゾンで購入。

先日、久々に作った曲を歌わせてみたい…

ピアノロールと歌詞を打ち込めば、煩雑な編集をせんでも人間のように歌わせられる、と、紹介ビデオとかで見て、感動的。

大袈裟な例も書いてあったが、人間だと無理な注文も、機械だから全然できてしまう、まさに声をひとつの楽器のように取り扱える、というのが自分のように自己完結で作り終わったらすぐに歌どり、というフローを変えることなく作業できるのがよい。

昔はイチイチ歌ってくれる人を募らねばならなかったことを思い出すと、とんでもなくショートカットできる。

まだ草創期ではあるが、どんどん進化していってほしい注目の領域で興奮気味。


Regards,


Knz