妄想。

Friday, February 28, 2020 - Posted by Knz  at 12:21 AM

これがUIの良いソフトウェアで商用化されたら
自分が歌って欲しい、と思う人に歌わせる、
ということが実現できそうで憧れるなあ、と
ぼんやりと妄想。




まだR&D段階なんだろうけど、そんな妄想が
現実に使えるテクノロジーとなるのにどれくらい
かかるのかしらね…数年、では難しいんだろうな


Regards,



Knz

連休に考える。

Monday, February 24, 2020 - Posted by Knz  at 9:54 PM
金曜に年末年始以来、というか、たまたま
関係者が休みの日が金曜だったので、私も
休みをとった。


またみなとみらいに行ってしまった…


妻が呆れるほどみなとみらいに行ってるのだが、
元町中華街から入り、山下公園、
大桟橋、象のうんたらを通り、赤レンガから
観覧車を横目にランドマークタワーの方へ。


年末に掃除して元カノの写真が出てきてから
たまには一人でいきたい、というか
妻は呆れてるのでひとりでしか行けないのだが、
平日の空いている日を、コロナの影響もあり
余計に空いている横浜をただ静かに自分の
ペースで歩いていた。



先週の水曜日、前職のお客様、同僚に呼ばれて
久しぶりに再会。

CFO、と呼ばれ、側から見るとそういえば
そうなのか、と忘れていたことを思い出す。



普段、さん、と呼び合う仲なので、そんなことは
気にしてないので、忘れていた。


が、そうみられる、ということ、それに違和感
をもつ人もいたのかもしれないが、それで通る、
という状況に不思議な感覚を覚えた。



社会人になりたての頃は相当意識したタイトルで
あるが、大した規模の会社ではないにしても
一応は目標地点には至っていることに気づく。



これを突き進めたい、というよりより難易度の高いシチュエーションでも自分はCFOのロールをこなせるのか、ということにひとつ興味はある。


二つ目として、自分は何を成し遂げたい、どうしたいのか、というと、大きくいうと日本の産業の発展、
新たな、大きな存在感を示せる領域を創出し、
子供たちが大人として過ごすときにも、今なお
日本ゆえの強みが強力に国際競争力を保持して
いるようにしたい、ということではないか。

あまり、子供の世代まで、と考えたことは無いが、何故前段の産業の振興、というのを考えるのか、問題意識として長らくあるのか、というと、日本の美徳というか、きめ細やかさ、誠実かつきっちりとやり遂げる、協調してチームとして最大のアウトプットを出す、ということに優れる人たちの多さでは群を抜いている、という認識が過去の社会人経験から思っており、ゆえに世界一になるべきものがそこにはある、と信じてやまない。勿論、米国、中国に比べれば、数がモノを言う、というか、人口やトップノッチの層の分厚さからゆえ、勝ちようもないほどの彼我の差が生まれるのは否定のしようがない、とは思うものの、それでもミクロにみた時の勝率は日本のそれの方が高い、と思っている。


その勝率の高さを可能な限り、高い頻度、広範囲に生み出せることを実現できるとすると、人材もそうだが、テクノロジーによる革新が大きく寄与することと信じている。


テクノロジーの発展を、残念ながらエンジニアでもなく、エンジニアリングをやろうにも、嫌いではないが、どう考えてもそこが自分のコアな強みではない、という認識から、少なくとも最大威力を発揮するためのドライバーたる資金力の確保、そのための資金供与の主体へのアピール、そのための管理、制度会計、など、自分のコアとする領域で寄与できたら、と思っている。


それが特定の会社に属することで成り立つのか、フリーエージェント的にやるのか、そのハイブリッドか、などはまだ分からない。が、恐らく、今年度中には何らか、外的なプレッシャーからの可能性が大、だが、とらねばならなくなる、心の準備、というか、精神を落ち着けておかねば、と思う日々になってきている。



現実逃避ではないが、音楽にこの連休中に久々に触れた。いくつかの本もザーっと読んだ。

ある本に5,10年、と音楽をやるなら感覚だけに任せた制作よりも、ちゃんと理論やノウハウを身につけた上でやるべし、と。頭ではわかってはいるが、やってこなかった、でも5,10年経っても音楽だけは変わらず好きだし、やっぱりちゃんと作れるようになりたい、と思うのも変わらぬ事実。

コード理論の本を読めば耳コピを繰り返せば分かってくることも多い、というか、コード理論を身につける、理解するのに耳コピをお勧めされているのは、個人的な理解では、耳コピは音をちゃんと捕捉するために何度も聴いて確かめる、その間に何度も弾いて確かめるので、終わる頃には耳コピした曲は一通り最初から最後までセルフアレンジで、という前提付きだが弾けるのだ。そして、それらのプロセスで身につけたコード進行、展開の仕方や、自分にとって気持ちいい響き、という誰にも教えられない、自分だけの血肉となったノウハウが身についているのだ。思えば自分の曲は結構苦労して耳コピした曲の数々がベースになっている。結局、演繹的ではなく帰納的にしか自分の曲の引き出しは増えないのではないか。妻に自分の引き出しが少ないからいい曲が作れん、作れても物足りない、という話をしたら、伝えたいことをまずは決めて、そこからメロディ、最後にコード、だろ、と言われたが、正しいは正しいけど、具体的仕上げるときにはどうしても自分の引き出し、インプットしてきたものからしかアウトプットできない、とも話し、であればインプットを増やすのみ、だな、とジムで走って、風呂に入ってるときにぼんやり思った。




何か、連休中に巡らせていた考えを一通り書き出す
だけになってしまったが、大分考えが整理された気がする。


統計だ、ポートフォリオだ、の勉強もするのだけども
週末に少し、でもいいので、積み重ねを始めようかな、と。





Regards,


Knz