軋み。

Saturday, June 19, 2021 - Posted by Knz  at 11:27 PM
どこか無理が生ずる。


身体か。精神か。身の回りの人間関係、家族か。



誰も語らないが、誰しもどこかが他より優れたら、どこかは凹む。


トレードオフだ。



そのバランスを自分なりに最適に保つ、目指すこと。



誰も正確なんて教えられないし、自分の中にしか答えはない。


答えばかり、だれかに聞いて、何かを為す。



こんな楽なことはないし、振り回されて不幸になることはない。



どこかで自分のなりの最適解が崩れたとき、それがunrecoveralbleとなるとき。





何かを変える、均衡を取り戻すために動くとき、何でしょう。




逆にある程度の均衡が確保できているとき。次なる不均衡にただ備える、準備を自分なりにするだけ。




会社での上司や同僚からの評価なんて小さな点のようなものだ。



自分の人生における均衡の最適化。わがままなのかもしれないが、許される限りのわがままは、無くなれば個人の幸せ、なんてゼロになる。


だから、結構、大事にした方がいい、と私は思う。




Regards,


Knz

脳天をつくような問い。

Friday, June 18, 2021 - Posted by Knz  at 11:31 PM
パパは何で勉強するの?


ママは何でお料理つくるの?





まだ幼い娘からのこの二つの問いは脳天突き抜けるかと思うくらいに脳裏に残った。


要は、娘の目に、明らかなる家庭内の分担が見えている、ということである。


私がほとんど仕事と勉強しかしとらん、と見えていて、妻は家事をやる人、と見えている。



嘘偽りなく娘の認識が正しい。




それだけに本当に今の時代に沿った親の在り方を見せられているのか?という疑問を呈されたら、それはNo、だろう。明らかに。


明治、大正、昭和の親の分担とさして変わらん姿が幼い娘の脳裏に焼き付いてるのか、と思うと愕然とする


バランス、というが、本当にバランスさせようとすると、経済面での家庭の安定に確信を持てない、ゆえにそれに集中せざるを得ない、というのが本音である。

ある種の畏怖、のようなものがついて離れない、というと大袈裟かもしれないが、でも、妻に自分程の諸徳形成能力も意欲もない、実現方法もない、と認識したら、のこるもう一人の親がすべきことは、ひとえに稼ぐしかない、倒れることなんて許されない、稼げるだけ稼ぎ続けるしかない、と、誰も言わない話だが、事実、それしかない、という現実がある。



メディアは好き勝手に、ふわふわした世論形成をしているが、世帯ごとの真実や事情などガン無視である。



自分の選択肢が正しいかどうか、より、少なくとも私は経済的に困窮する自分の唯一の家族を見たくない、という唯一無二の、非常にシンプルなポリシーを貫いているだけである。


散々カネの話で喧嘩だ親族の亀裂だ、というのを私は見てきた。多分、これがある種のトラウマだろうし、ゆえに会計士を取るようなところまでカネに興味を持ったのだと思う。


どうすれば良かったのか。




あの凄まじいまでの醜さを、どうしたら見なくて済んだのか。




多分、それだけ、なんだと思う。





書いていて非常に悲しいが、でも、自分の人生で何やわ実現したい。ということが本質的にはあるのかもしれないが、何を避けたいか、が根源的に優ってきた、それを極端に恐れ続けてきた、今なお恐れている、ただそれだけ何だと、最近、冷静に見つめなおして思うようになってきた。




多分、いまの生活レベルで十分満足、あとは今まで回避したいものを回避できる状態を担保しつつ、自分が培ってきたものが他の人に良い形で還元出来さえすればいいんだろうな、と。綺麗事のようだが、そんなに何にならないと気が済まない、みたいのは、もうあまり無い。


それより、自分から何かを与えられた、誰かに喜んでもらえた、助かった、と言ってもらえた、という無形の価値のようなものが、気づけば生きる糧になっている気はする。




ここまで正直に書いたのは初めてかもしれない。




これまで抑えてきたものを一気に吐き出したせいか、涙がなぜか止まらない。





自分がいる、生きていることの価値、のようなものが、本当にあるのだろうか、という、根本的な疑問、のようなもの、奥底には、凄まじいまでの自身の価値への自信の無さ、のようなものがあるのかもな、と正直なところ思う。



こんな話はとても人には話せないね。





Regards,



Knz




本には書かれないこと。想像力の膨らませ力✖️仮説力。

Friday, June 11, 2021 - Posted by Knz  at 11:03 PM
仮説思考、仮説ベースの問題解決アプローチ、というのはよく言われるスキル。

ファクトを全て収集して動く、と、ものすごくインプット探しに時間が膨大にかかる。

なので、最初に仮説を立ててて、その仮説で課題解決にあたるために必要なファクトだけ集めてアウトプットする、というのが仮説ベースの問題解決アプローチ。


これができないと、いつまでも仕事は遅いまま。ファクト収集して誰も求めないアウトプット、となった場合、時間の無駄、どうしようもない徒労感に襲われ、果てにはバーンアウト。



でもこれ自体ができない人は多い。感覚的に8割くらいの人はこれができない。仕事はなめてんのか?と思うくらいにアウトプットを出すスピードが遅い人が大半。


唯一、ある会社だけは、思い返すと、それができる人がそれなりにいた。だからあの会社は異様なスピードでの成長を遂げられるのだと今でも思う。



他方で、では仮説ベースでの課題解決アプローチだけできればいいのか?というとNo、である。


要は仮説の精度の高さは着地点、目指すゴールを初めから意識できて望むアウトプットを出せるか、ということが極めて大事なのだ。


盲点、というか、2割くらいの仮説ベースでの課題解決アプローチができる人の中でも、その仮説の精度が極めて高い、という人は感覚的にさらに1割くらいまで減る。とすると、数パーセントくらいの人しか、本当に仮説ベースで課題解決に当たれている人はいない、ということになる。


自分は2割の中にはいるが、精度については正直まだブレはそれなりにある。外すことはそれなりにまだある。

が、日々、仮説の精度を極限まで高めたい、外したく無い、という気概をもって、さまざまなインプットをし続けている。それは会社で起きるさまざまな話や情勢、外部環境の変化、要人が語る一言一言のことば。


これらの日々の精進が不可欠で、これこそほんとに本では語ることが不可能な話。汎用化不可能だから。



これが少しでもできてる場合には、側から見ると驚愕、となるらしい。
最近は驚かれることがそれなりに増えてきた。
たぶん、その意味では高い精度の仮説を立てられるようになってきたのだろう。


よくある道に通じるまでには10,000時間を要する、という法則がある、と言われるが、毎月250時間くらいを12か月続ければ3,000時間、なので、3年、同じペースで走り続ければ9,000時間、とかなり達人の息に達するのが早くなる。
自分の職業人としての人生はこのような連続であった、と思う。コンサル時代はもう少し上振れていたが…


ワークライフバランス、とよく言うが、ライフの割合が高い人はそれなりに増えてきていると思う。


ただ、何のために働いてるのか、が自分中心、になっていなければ、あまりそんなバランスは気にもならなくなる。

健康診断はピンポイントで危ないところは出てきていても、やはり、こうしたい、これを実現したい、という想い、というのか、目標とはまた違う気はするが、こういう世界を見てみたい、自分がそれを作り出したい、という精神で日々、コトに向き合い続けると、気づけば達人、というレベルに、誰よりも早く、ふと気づけば到達しているのではないか。



経済面で飽和している、というより、目の前のことに日々夢中で取り組めている、ということなのかもしれない。



タフではあるが、そんな人生もいいんじゃないか。一人でも多くの人に自分の何かが役立つなら、それで。




Regards,


Knz











本で語られないこと、その2。

Posted by Knz  at 12:25 AM
コンサルやそれに相当するポジションで重要なのは、
経営陣の頭の中への想像力と、それを踏まえた仮説ベースのネクストアクションの策定スキル、ではないか。

端的に言うと忖度、にも聞こえるが、経営者には独特の嗅覚、カンピュンターがある、その精度が高い、と言う場合には、相当有効なスキルであるはず、と思う。

巷では、ハードスキルや、どのレイヤーでも汎用的に通じるスキルしか語られないが、それは読み手がマジョリティであり、pageviewなどがKPIになり、間違った正解、のようなものを追求してるからだ。


語られないものが多分最も価値が高いもので、語られないのは、それを語れる人が少ないからであり、汎用性は極めて乏しく、野性の感、どこまでアンテナの確度を高められるか、という、文字にすると、誰も身につけることを放棄するようなことしか書けないから。


要は読まれないし、買われないのだ。身につけにくいから。


でも身につけにくいから価値が保全される。



気づいた人、それを身につけられるひとだけが多分成功、という名のものに近づけるんだと思う。


一方で、それに気づいてる人、身につけられる人は、自分の成功なんかあまり気にしてなくて、もっと壮大な、文字にすると恥ずかしいくらいの理想を掲げて、毎日ひたむきに精進してしてる、目の前のコトと向き合ってる。



多分、世の中で語られるスキルなんてものは、基礎力にしかならず、本質的な価値はもっと違うところに、デーン、と巨大な存在感で存在しているのだろう、と思う。メディアで語られるスキルなるものほどチープなものはない。



Regards,



Knz

自己防衛。

Sunday, June 6, 2021 - Posted by Knz  at 5:43 PM
こういう記事見ると、退職金、とはかなり効率悪そうだ…と思わざるを得ない…



退職金を支払う企業サイドはどういう経済環境下かによらず、運用資産分を売却し、退職者に退職金を支払う。

退職者は受け取った退職金が巨額で、いきなり運用商品に突っ込む…積立投資などしているとドルコスト平均法が使えるが、巨額資金だとしにくい…退職時から積立てを始めることも考えられるが、キャッシュインフローが入って来なくなるので、取り崩すしかなくなる。しかもこの記事でいう数千万など、現役並みの生活してたら数年くらいでなくなるような金額ではないか。もっても10年か。

とすると、その先どうするのか。

長寿リスクに晒されまくり、そのexposureたるや身の毛もよだつレベル。国民のいくらかがこの記事のような金融リテラシーの低い人だとすると、それだけで社会保障コストはドンドン高まりそうで、この国は大丈夫か?と思わざるを得ない。投信の購入時に3.3%も抜かれてることに気づかない、そもそも、ネット証券なら無料になってるような販売手数料が、窓口にわざわざ出向いてさらに抜かれ放題抜かれてる、と側から見るとアホか、と言わざるを得ないような有り様である。

長期でcashflowのプロジェクションをしたうえで、どう暮らすのか、自分と妻の長寿化リスクをどう見積もり、どう対処するのか。子供や親族に頼るなんてもってのほかで、自己防衛はつぶさに経済環境を見据え対応せねば。


Regards,


Knz







経済的な幸福の飽和点。

Saturday, June 5, 2021 - Posted by Knz  at 10:02 PM
まだ書くのは早い気がするが、家とか車とか、でかい買い物を除けば大半のことは望む通りにできると経済的にある程度満たされており、物では満たされなくなる。

関心事が違う物に移る、という方が感覚的に正しいか。

数十万の物を買って得られる幸せ度より、子供や妻と楽しい話ができてる方が幸せ、という方がより手触り感がある気がする。


子供の手を握って寝かしつけて、グースカ眠りに入る様を見ることの方が、心がグッときてる感じがする、というとよりダイレクトに伝わるだろうか。


私は残念ながら出来た夫でも父でもないと思う。かなり自分のやりたいようにやってしまっているので。ゆえに子供の寝かしつけの反応くらいで、世間では考えられないくらい幸福度が増している、逆に言うと、ほとんど触れ合ってなくて、かなり稀にそうした体験をしてるから、より大きく感情に訴求するものがある、ただそれだけだ。キレイな話でも何でもなく、仕事や趣味、勉強など、自分だけの時間に相当な割合を割いており、前時代的な男性像をそのまま地でいってるのだろう、と嘆かわしいが、でもそうでしか生きれていない自分が素の姿見なのだろう、と。


ワーカホリック、というより、多分、走り続けてないと不安、という、ただそれだけなんだと思う。就職氷河期のことや、老後、長寿化、とか考えると、日々、漫然と過ごすのがただ怖くて、フルスロットルで走り続けたられてるか、と自問して、はい、と言える状況を作り続けないと、どこかで踏み外し、家族を困窮させる、更には親など親族に迷惑をかけてしまうのではないか、という畏怖があるのだ、というのが正直なところ。多分、精神科医とかに診てもらうと一種のトラウマですね、とか言われるのではないか、と、あまり誇れる状況ではないのだと、何となく自認している。


でも、どこかでそういう可能性も気にし出すとキリがないし、どうでもいい、とも思っているのも事実。
アドレナリンが出続けてれば犯罪とかに手を染めない、倫理的に問題ない線でいる前提なら、自分がいやな思いをすることを極小化できている、ワクワク出来ている限りは、それでいいかな、ともぼんやり思っている。

新卒で働き始めたころには今のような精神的コンディションは想像もしなかったが、何かの手段で、自分の意思だけで実現できることにはあまりリターンが大きくはなくなる、ということもあるのだな、と。自分ではコントロールできないものを、自分の行動で想定を上回るリターンがあると幸せ、と思う、そういうことなのではないか。





Regards,


Knz