コロナ禍で近づくOnline MBA。

Friday, April 30, 2021 - Posted by Knz  at 12:44 PM
Onlineで某資格の動画をパーツでポチっと買って、
ジムでランニングしているときに見始めているのだが、これが結構良い。テキストや問題に向き合うよりコンセプトが頭に入る。インドの専門学校の皆様、ありがとう、という感じ。


ファイナンス系の二強のライセンスが取れたとして、国際的にマネジメントとみなされるには経験値だけでなく、MBAが、となるときもあるのか、と思いに至るのだが、そういえばコロナ禍になると国外に行けないし、最近のオンラインMBAは進化してたりするのか?と想像したところ、案の定進化しており、今まではキャンパスに渡航する期間がマストで設定されていたのが、国によってはロックダウン状態、という状況では、入学から卒業までフルリモートでやれそうな雰囲気。実際はコロナ対応が緩和されたらフルリモートは許されなそうだが、これを機会に、フルリモートで済んでしまうオンラインMBAは結構出てきそうだな、というのを何となく感じる。

少し調べた感じだとまだチラホラそういう事例が出てきているくらいで、実際にはまだ少数で、ハイレベル校ではImperial college londonとかは先を行ってる感じがする。

オンラインだとリアルに留学する費用の半分以下で済む様子で、中々身近になる。


Zoomとメール、チャットがあれば、わざわざ国外に住んで、とまでしなくてよくなるのは良い流れ。あらゆる学校でリモート前提となるまでにはまだ時間かかりそうですが、この流れが加速することを期待。

住む場所に関係なく、いろんなことができるようになるのはほんとに素晴らしい変化。あとはこのウイルスによる感染が、インフルエンザに感染したときのような短期で完治、副作用にも慄く必要がなくなるようになれば…




Regards,


Knz


守るべきものが分からなくなるとき。

Posted by Knz  at 12:28 AM
サイレントトーキョーなる映画を自宅で鑑賞。

観た後の感想として、直感的に、守るべきものが分からなくなったときに見失うもの、自分の進むべき、進みたい道分からなくなること、というのがあるよな、と。

自衛官など崇高な世界の仕事でなくとも、自分の人生でも何度かそういうことがあった。

今は不思議とベクトルはあるはあるのだが、見失うと暫くただただ無気力になる。

自分のように、また普通の生活に戻れればまだマシな方で、そのままあらぬ方向に舵を切り、あり得ない方向が正である、と側から見ると暴走、狂ってしまった、というほかない結果になることもあるのだ。

戦争、という極限を経験すると、PTSDと言われるような精神障害を負うこともある、というのはよく言われること。多分、今回の映画の犠牲者もその一例のようなものだろう。


守ろうとしているものが自分の認識と異なる世界に向かおうとした時、信じてきたものの存在が大きいほど、自分の何かが瓦礫のように崩壊してしまう、憎悪や憤怒となりエネルギーの向く先が信じがたい結末をもたらす。


そういうギリギリの何か、というのは世の中に実は潜在的にありふれていて、亀裂のように日々、犯罪や戦争、というかたちに姿を変え、歪みとして現れるのだろう。


何でこうなるんだよ、と、ただただやるせない、というか、声なき声が正とならない、この切なさ、儚さ、灯火のようなものをどうすればいいのか。


歪みのひとつひとつが緩やかに優しく修復され、時間の経過とともに傷が癒えていくように、ゆっくりとでも平穏な姿へと収斂していく。そんな世の中であればどんなによいものか。


元あるパイを取り合うような、殴り合いみたいな世の中でなく、少しでも旨いパイを作り続け、みんなで分け合い、うまいね、と言いながら食べ続けられる、そんな世の中にはならんのかね。



Regards,


Knz

Fukushima 50.

Sunday, April 25, 2021 - Posted by Knz  at 12:26 AM
3.11, 福島原発事案から早10年が経過。


未だに3.11以来、ミネラルウォーターを買って飲む習慣であるが、当時は完全に恨み節で人災以外の何物でもない、と思っていた。


現場の混乱、地震だけでなく、炉心溶融回避のため、世界初のベントを実施するため、決死隊と呼ばれる現場作業員で圧力を外部に逃す、結果、爆発よりはマシな放射線量を放出する、という試みも実施。

次々と下される現場判断を見ていると、映画ゆえ、綺麗に描いているところはあり、実際はもっと混沌としていたのだろうと思うが、極めて厳しい環境下で最前線の原子力プラントエンジニアが奮闘し、炉心溶融回避のために原子炉を海水で冷やす活動をしていた人達、自衛隊員のひとつひとつの積み上げが、原発を放棄せずに沈静化することに繋がったのだろう。

東日本はチェルノブイリを超える惨状に至っていた可能性もゼロではなく、と振り返ると、全く違う未来になっていた、というか生きれてないかもしれない、ということである。

最前線で刻一刻と変わる状況を踏まえ、ひとつひとつ判断を下すのは勇気も覚悟も要る。その結果が吉と出るかは分からないが、その都度、最良と思える選択肢を決断するのは胃がキリキリするがリーダーはそれを求められる。

また、最前線で旗を振り続ける必要があるし、一波乱あれば現場の最前線に駆けつける必要がある。火事場を他山の石、と見ているだけの人も世の中いるが、リーダーは現場を目で見て最善を尽くす義務があると思う。それを地でいくような様子に只々感銘を受けた。生きるか死ぬか、という局面、連日徹夜のような状況下では、極めて難度の高い意思決定の連続だと思う。冒頭申したような、人災、と整理するにはあまりに不誠実で、むしろリーダーたるや、どうあるべきか、を大いに思いしらされる現場風景である。

肝に銘じておきたい教訓のようなものを再認識するに至った好作だと思う。


Regards,


Knz