無神論者。

Sunday, January 4, 2015 - Posted by Knz  at 12:54 AM
私はミッション系の学校を出たものの、家も無宗教で、無神論者と自認している。

ただ、冠婚葬祭というか、チャペルで式をあげたり、仏教式の葬式に出たり、正月にはお参りに行ったり、と一般的なことにはそれなりに神仏ものにお世話になっている。

親は無宗教なんだけども、私と比べると濃淡があることに今回帰省したときに理解した。

法事が今度あるので、そろそろあなたも坊主にいくらか納めなさい、的な話をされてドン引きしてしまった。

無宗教なのに、しかも私の直接的な親でない人になぜそんなことを、と、あなたも無宗教なのになぜそんなこと言いますがな?と、両親に言い放ったところ、両親はドン引き。理由を聞けばそういうものなのよ、と意味不明な言明でさらに私はドン引き。

後の親族が、無宗教なのにこんな思いをするくらいなら、私は墓なんぞ買わず、私が死んだら燃やして海にまいとくれ、と自分の家族には伝えておくことにした。


ドライに経済的なことだけ言うと、死んだら自分は無に帰するのに、後に残った人が坊主に金を払い続ける。


こんなにふざけたことはない。


坊主は宗教法人で無税で、かつ、宗教に頼る人達は大方貧しいのにさらに坊主に金を払う。説いている内容は、信じれば救われる、というのが根本だろう。でも貧しいのは自分で何とかせん限り変わらんから、坊主頼りの人は、また坊主に頼りにきて、また金を落とす。友人で証券会社に勤める人から聞いたが、坊主が多い京都のメインの客先は坊主らしい。坊主の金は唸っとる、と。唸らせるくらいの金はどこから来たか、考えれば、何ともスッキリしない気分になる。


無宗教の自分からすると、何とも正当とは言い難い構図に、閉口する。でも宗教家は間違いなく世のため人のためにやっているはず、というのは理解はしている。決して悪そうな坊主は幸い見たことがない。とすると、坊主が嫌い、というより、既成概念として成立している、坊主にはたんまり金を払う、という構図が嫌い、という方が正確か。



思い返せば、私がこんなに坊主、というか坊主にたんまり払う慣習を嫌うのは、両親の親が死んだときに凄まじい金額を坊主に払っていたのを知ってからだ。


なぜあんなものにそんな大金を、と、唖然とした。経を読んでもらうくらいは先に述べた冠婚葬祭ものでいいけども、なぜにそんなに高いんだ、と。人が死んでただでさえ悲しいときに何でそんな金を払わねばならんのだ。


私の身近な人には坊主に金を使うくらいなら、自分たちのために使ってほしい。なぜなら自分にとって大事なのは、死んで藻屑となった自分より坊主より、残って生き続ける大切な人たちだからだ。


別に地を這うような生活をしてるわけではないけども、普通の中流層の一人として、慣習とされるものに、ああそうですか、とあれよあれよと金を払ってほんとに払うべきものと思ってますか?と思うのである。



歳を食っておじさんになっても、摩訶不思議なことは世の中まだまだあるものだ。



regards,


kenji