しのごの言わず。

Saturday, September 26, 2020 - Posted by Knz  at 12:26 AM
コンサルファーム時代に振り返ると現場と
組織上とで計10数名の部下がいたが、現場
だけでそれなりの人数がいるとマネジメント負荷は
かなり高い。

100名、1000名、とか管掌してる人には鼻で
笑われそうだが、ちゃんとひとりひとりに向き合う
前提だとそれなりに大変である、のは正直な感想。

前にも書いたが、結構マネジメントを軽視していたので、それを克服するのがテーマで転職してるし、多くても少なくても得意不得意を問わず、向き合えるか、は真剣にやったことがない限りは理解できないだろうな、とは思う。それだけケースバイケースで人の数だけ異なる対応、アプローチがあるから、だろうと思う。あまり教科書的なものは通用しない、地頭でその場、背景、状況、相手の反応や性質、スキルレベル、など、かなり色んな変数がある中で最適解を頭フル回転で探し、打ち込み続ける、という結構タフな仕事だ、と正直思う。

プレーヤーとして一人で作業し、失敗の許されない資料など作ったり、それをプレゼンするのはそれはそれで大変なのだが、個人に閉じる話と相手がいる話は次元が異なる。コントローラブルでないところが個人の場合より遥かに多いから、と思う。

部下の人たちと話していて思うのは、ハードスキルが偏ってて、しのごの言って仕事を選ぶ人と、よーわからんが、目の前の仕事、あるべき仕事をとにかく真摯にやる、大きくはこのふたつに分かれるな、と思う。

しのごの言ってる人はそれなりにできる人であることは事実なのたが、どこか成長の伸びしろがもうほとんど無い、年齢重ねてメンタル、体力的に衰退してる分かえって退化してないか、と感じることもままある。


他方でとにかくやりきる、という人も少数派だがいる。採用などではこういう、やりきれる人、を色んな角度からとれるよう、またそういう人に育成していけるよう、というのが極めて重要ではないか、と最近思う。大きな分岐点として、ガタガタ言わずにとにかくやり切る、という人はどんどん周りから信頼されるし、やる仕事も増えて、結果、他の人よりは数倍早く成長していくように思う。やりきったあとは何とも言えない感慨のようなものを感じているようにも側から見ると思える。


こう書いてると、要はしのごの言えるのはレイヤーの低いところだけで、しのごの言ってる暇などないし
そんなことやってる暇があればやるべき仕事しろ、というモードでシニアレイヤーに近づくほど仕事しているので、しのごの言って結局動けない人は一生今より大きな仕事もできないのだろうな、と、残念な気付きに至る。



そうだとするとこれまたよく言う話かもしれないが、伸びるやつは伸ばしまくり、どんどん仕事のレベルを上げていき、しのごの言ってる人は今の仕事を粛々やってくれ、と大別するほかないようにも思える。
寂しい話だが、今日、評価会議がありそういえば高いレーティングは一部の人にしかつかないし、世の中そんなものか、というある意味覚めた目でみる他ない、と思うふしもある。


もはやこの年齢になると、諦めるしかない人たちも一定数いることを受け入れるしかないかな、と世の中で当たり前のことを今更思ったりする…


こう書くと、しのごのいう人の思考回路が理解しがたく、どうしてこうなるのかな?と不思議で仕方がない。


仕事観、というか、何をあたまに置いて仕事に取り組むか、物事に取り組むか。戦略的、効率的、ショートカット、とか、みんな楽したり、ズルしたいのかもしれないけど、それじゃあ積み上がらないものもあるよ、って、みんな思わんのかな、と凄く個人的には不思議に思う。


不思議思うことを、そう思う相手に伝えてあげるのが仕事なのかな…



ぐるぐる回って目が回りそうなのでこのへんで…



Regards,



Knz