意思決定できること。

Friday, October 9, 2020 - Posted by Knz  at 11:58 PM
意思決定できる、という人は意外と少ないのかもしれない、というか、それを勇気というのか、腹括るというか、それができる、できない、という大きな分岐点があるのではないか。


先般書いたようにしのごの言うひとつとして、この意思決定への不安、というか、それを完全に回避したい人というとはいるのだ、という現実に最近愕然とする。


それができるであろう人もいるのだが、こちらの目からできるだろう、というのと、その人の自己認識は大いに異なることがひとつやふたつではない。


その意味ではかなり意思決定を自分はこなしてきていたのか、とカン違いなのかほんとなのか分からないような今日この頃である。

前にも書いてるとおり、当然私以上に責任範囲が広い、重い人はたくさんいるのだが、それでも私を基準にしても、そんなにちんまりしてていいのか、もっとできるはずだぞ、と傍目に見ても、自分で天井作ってしまってる人が少なからずいるように見受ける。


失敗への恐怖心がその人たちよりは私は希薄なのかもしれない。もちろん家族を養わなければならないし、それなりに自分の好きなことはしたいし、必需品以外で買いたいな、と思うものもあることはあるから、当然だと私も失敗が全く怖く無いとはいわないし、失敗せんように慎重を期す、むしろ失敗して関係者が何だこりゃ、となる事態を回避したい、という方が適切だろうか。


最悪クビがとんでもなんとかする、というある意味割り切ってるからなのかもしれない。だってそうなったらなんとかするしかないんだから。


その腹づもりがあるかどうかの違いなのかな。こう書いてるとそんな気もする。


そんな人に限って他人には厳しく、やけに自分の評価がインフレしてる気もするので、そこは不思議だが…


私のようにそんなに大したものを生まれ持ってない身からすると、何と勿体ない、と思うことがほんとに多い。



世の中不思議なことを歳を重ねても目にするものだし、その衝撃のレベル感たるや唖然としてしまうほどだ。マヨネーズのパッケージを絞り切ってようやく出てきた数滴、のようなレベルまで活用しないと自分は何だが生きてる気がしないので尚更だ。




うーん、不思議、、、




Regards,


Knz