通勤ほぼ無し生活。

Thursday, September 10, 2020 - Posted by Knz  at 11:09 PM
どこの会社もそうなってきているんだろうが、通勤無し生活、とは、慣れてくると意外と自分に合ってる、と思うように。


たまに社外関係者に会うために都内に出る必要があるのはあるんだが、月イチくらい。


東京は確かに刺激に満ちており、色んな店だの新しい発見が色んな場所で相次ぐ、エネルギーは感じるが、他方で毎日いかんでもええやろ、とも思う。


たまにいくくらいが郊外育ちの自分には丁度いい。
もはやいま治療中の歯医者にいく頻度の方がオフィス行くより多い状態。



たまにいくと、東京はやはり面白いほど景色が変わるし、まだいったこともない場所があるし、いったことがないところに行くと胸が躍る。

そんな楽しみは住居のある場所にはほとんど無い。



通勤が無いので運動不足になるからほぼ毎日ジムにいき、ジムが休みの日以外、週6で行ってるし、夕飯食べる時間も仕事の合間、とかだから夜遅くに食べることはなくかなり健康的。


思えば最初に入った会社でアメリカに出張したとき、もう10年以上前だが、当時からアメリカの人達は自宅で仕事するのがスタンダードだった。国土が広いから通勤なんか無い方がいいのだ、とそりゃ当然だなと思ったが、今、日本で同じことがやっと起きてる、しかもコロナという必要に迫られて、ということがないとそうならないのは、最近よく言われるITリテラシーの低さゆえか。。世の中、ITリテラシー低い人に向けた労力が社会全般でかかってる、と何ともレベルの低い話が公然と書かれているのはどんな国やねん、と突っ込みたくなる。


テクノロジー礼賛、となりがちだが、確かにテクノロジーへの期待値は高く、より便利により効率的に短時間でできるようになることが増えるのはwelcome、とは思う。とはいえ田舎も好きだし、アナログなものもモノにより好き、と自分の中で相反する概念がモノにより混在している。



何を書いてるのか分からなくなってきたが、、、自宅で過ごすことが増えると、コントローラブルなことが多いのでストレスが少ないのだ、ということでないか、と。

オフィスの良い悪い、特に公共交通機関を含め、自分には冷暖房の非効率さがものすごいストレスで、自分の体調に合わせて服をすぐさま着替えるし、冷暖房も自分に最適にコントロール可能。皆んなが暑くても自分には寒い、となれば厚着する必要があったが、自宅にいれば都度調整できて、快適である。仕事の合間に着替えもできるから汗かきっ放しで風邪を引いた、とかもこの夏は皆無。

また、何より作業に集中できるし、会議さえなけれ
ば途中でジム行って、また再開、とかできるし、子供にもたまに話せたり。土日しかほとんど家族と話せない、とよくあるモーレツサラリーマンに陥ることもない。実態はあまり変わらないが、オフィスにいたら同僚と会話するのだろうが、家族と話す時間に充当され、家族持ちとしてはかなり健全。


他方で、やはりネックは同僚との関係性作りか、と。未だに殆ど会ったことがない人達とリモートで会うのみ、というのは、慣れるしかないが、やはりどこか薄っぺらい、というか、本来の信頼関係、のようなものが希薄なまんま、に思ってしまい、そこは何となく寂しいものも無くはない。


トレードオフはいつでもあるので、100%完璧、は無いが、ネットしても自分には今のような働き方なら死ぬまで働けそう、とは思う。需要さえあれば、だが。

最近は投資にもまたトライするかな、と思う今日この頃だが、投資家の人生がいいか、というとまたそれは違うか。

起業家よりは参謀型かな、自分は、とこの歳で何となく感覚値としてそう思うので、参謀型の仕事は持ちつつ、投資家でもあり、空いた時間は音楽に投じる、とかが理想形かもなあ、と何となく最近思いはじめている。

一通り機材も売れるものは売り、最近のテクノロジーにリプレースして、殆どセミプロレベルの環境は再構築できたので、また年内に試験が終わったら、しばらく遠ざかってた創作活動に精を出すかな、とか思ってたり。


こうして書いてると、自宅で自分なりにフォーカスして、稼いで飯食べれて家族養えたら、それなりに人生幸せに生きれそう、という感触。


ゴージャスなのもたまにはいいけど、身の丈に合ってるのが自分は何か気楽かもな。



Regards,


Knz