実家での掃除。

Friday, May 5, 2017 - Posted by Knz  at 10:32 PM
実家に久々に帰省。

年末年始は息子が肺炎になり、てんてこまいで
帰れず終いだったので。
初めて4人だけで年末年始を過ごしたので、
どこか不思議な感じがしていた。年末年始
といえば実家に帰省、が当然だったので。。。

今回帰省した際に過去に私が住んでいたときの
書籍などが溜まり込んでいたので、処分して帰ってくれ、と親に言われ、今日、全て片付けてきた。

中身は会計士試験に挑んでいた時代の専門学校の教科書や自分で当時買った参考書、解きまくった答案練習プリントの数々。同時期に塾講師のバイトもしていたので、当時の塾の教材や大学入試の過去問の数々。

当時は当たり前だったが、こうして10年以上前のことを客観視すると凄まじい勉強量をこなしていた、と我ながらに思う。今思えば会計士自体に合格してないものの、USCPA取得やTOEIC, IEFLTSなど高得点をマークできたり、これまでの職歴を振り返ると、やはりあの時代にベースを築いたから、だろう、と思う。

当時はほんとにプータローだったので、他の社会人になった友人達を行く行く抜かすつもりで、ただひたすらに早朝から夜の学校が閉まるまで、とにかく走り続けた日々で、もう少し冷静に勉強のやり方を見つめなおす、やり方を変える、ということが必要だったか、と思うが、金も無かったので、やれる選択肢も少なかったと言わざるを得ない。

私の場合はスマホに代表されるモバイルテクノロジーで劇的に勉強の効率を上げたので、それが無かった過去はやはり生産性に格段の違いがあったという点は否めない。ノイズキャンセリングイヤホンにスマホは資格試験対策に最強の組み合わせと私の場合には思っており、当時、この二つとも手元には無かった点は痛いな、と今は冷静に思う。テクノロジーなど無くても受かるひとは受かるのだが、表現しがたいほど私にはテクノロジーの進化はインパクトがあった、というだけ。

それでも仕事の生産性はアナログな当時の勉強量とこなし方に未だ大きな影響がある、と痛切に感じる。人間、臨界点くらいまで走り抜ける時期はやはり必要、と思う。妻も音楽はこちらが聞いている限り、普通の量を遥かに超えてこなしてきている、ので、それを見ても頭がおかしいくらいやりこむのは経るべきプロセスかと。

中学受験はほどほどに、大学受験は一年だけガリガリ、とそれまでの人生で臨界点を超えるような時期が数カ年に渡ってある、ということはなく、真面目な人なら中学受験とか大学受験でコン詰めてやっていたから、その経験値が生きてパシパシ会計士だの司法試験は合格出来ていたのだろうが
私の場合にはその時期が大学卒業してから、と大分遅い時期に来た、というだけだと思っている。

今、息子には色々仕込んでいるが、娘にもある程度仕込んでいこうと思っている。個人的には中学受験である程度ハイレベルな経験をしてもらい、あとはその経験値を糧に独り立ちしてくれ、と思っている。自分の経験や性格からして中学以降は親の言うことなんぞ聞かないので、早めに素地を作っておきたい、と思うのである。

幸い息子は知的好奇心には溢れている感じなので、可能な限り楽しく学んでいけるよう、色んなものを選択して与えている。いつまで素直な時期が続くか、まだ見通せないが、自分のように途中でハシゴが繋がらずに意図せずして追いつけなくなる循環には陥らせることなく橋渡しできるように、というのが私の親として最も果たしたい役目である。学ぶ意思はそこそこにあるが、全く歯が立たなくなり、どうすりゃええねん?という局面をともに乗り越えられるよう、サポートしていけたらな、と思う。


掃除の話から子供の話に発展してしまいワケがわからんが、この辺で。



regards,


knz