飲みニケーション力。

Thursday, May 9, 2019 - Posted by Knz  at 1:00 AM
若手の頃は、よくシニアレベルで飲みに行ってるのを片目に自分はよくそのままシコシコ残業、みたいな光景を見て、ああはなるまい、と思っていたが、今はなぜそれが必要な行為なのか、え、あなたもそうなの?的な驚きがある尊敬する上司でもそうだった理由がすこしだけ分かる気がする。



それなりのチームをまとめる人たち同士の飲みや会合である場合、親密な関係性の構築、維持は日頃のチーム間での協調に直結する、ひいてはチームメンバー間の連帯にも密接な相関性を生むから、というのはひとつあるのではないか、と。

少なくとも、経営会議メンバー、役員レベルとの会合の場合、どんなに繁忙であっても融通がきかせられる余地があるなら、会合を優先する、という以前は考えられない意思決定が今はある。


これはその立場にならないとその必要性は理解できないものがある、と正直思う。

私はそもそも飲みニケーションは得意な方ではなく、実務最優先で来た傾向が強いほうなので尚更そう思う。政治力はほんとに乏しい、と自分で痛感しているので間違いない、と思っている。


チームレベルの協調とある数名レベルの協調はレバレッジの利き方が全く異なる。ゆえに重要性が極めて高いし、それは自分の専門性だけだと限界あり、というのを理解できてるかどうかによる、と思う。
自分でなにもかもできるはず、と若い頃は思うのだが、流石に億を超えるものは一人だけで賄える人はメジャーリーガーとかデイトレーダーとかでないと無理で、事業を担う主体であればそれが多くの場合不可能、という前提なのは周知の事実でないか、と。


自分が飲みニケーションについて書く日が来るとは思わなかったが、自分の土地勘のない産業でそれなりのポジションだと、自分は不足あり、という前提ではたらく必要あるな、と強く思う。



regards,



Knz