私利はさておけ。

Saturday, November 27, 2021 - Posted by Knz  at 7:06 PM
この年齢になると、指針とするものが他者依存にするのはやめた方がいい、とほんとに思う。

他者依存の人生はハッキリ言って自分の人生を生きてることにならん。


どう考えてもならん。


どうなったとしても、自分でコントロールし続けて、泣き言なんか言わんと、何か起きても自分の判断、決断の結晶として、なるようになっていく。


あまりに向き合うものの事がデカ過ぎて、もうどうにもならん。



そんなときにはホントに自分はどうしたいんか、どう人のためになるべきなんか考え、最適、と思うことをひたすらやるだけやねん。


ほんとに自分という存在の小ささを最近思い知る。



そんな中でもがき、苦しみ、でも、これは最高や、すごい、とか感動できる、心が震えるようなことがありさえすれば、生きていてナンボ、と思える。




コントロールが効かないことがあまりに増え過ぎても、各自に自分がハンドル握り続けられることに向き合い続け、自分が思うように導いていく。



それしか出来へん。




それしか出来へんが、やり続け、どうにもならなくなったら、それはもう運命や。




そう言いきかせるしかない。



誰もどうにも何にも言わん。



どうにもならなくなるまでは走り続けんねん。



それしかできへん。




それしかほんとに誰であってもできへん、と思う。




そうと信じて走り続けたら、何が起きても自分のせいや。

自分で考えて、判断、行動し続けた結果だから、ほんとに誰を責めることもするつもりは無いし、きっと腹落ちできる気がする。


100%でなくても、かなりの割合、自分で受け止められる気がする。





そう信じて突き進む。こんくらいしかできんな。ほんとに。エクセレントな人では無いので。




こんなこと考えるようになるくらい、ヒリヒリする毎日もそんなに悪くない。



だって、生きてるうちに一つでも多く、未体験ゾーンを経験したいから。



そのくらいしかもう面白い、楽しい、ってこと、残ってないのよ。



カッコつけ、とかじゃなくホントに。



Regards,

Knz

思い出す。

Saturday, November 13, 2021 - Posted by Knz  at 10:43 PM
うるせーな。


忙殺される中で第三者から無責任に言われことに単純にそう感じた。





でも、恥ずかしながら耳が痛い。


その時とっさに出た言葉は驚くほど冷徹な言葉の数々。振り返ると悍ましいほどに。



でも立ち止まって考えに耽ると、本心は違う。



白地のキャンバスみたいなものだ。
我が社の社員は若い。
描くものはちゃんとしたものにしてやりたい。



私の転職の意思決定をした契機は、総合的には経済面や事業面など数々あるが、一つ挙げろ、と言われたら、今の上司の面接時のこの一言、につきる。




これを日々、忙しいと結構忘れがちだ。というか忘却していたかもしれない。



 シニアレイヤーにボロクソに言われようが、日々起きてることや理不尽に押し付けられることが、どんなにストレスフルでも、やはり根本的に自分がなぜいまこれをやっているのか、というのが何よりの拠り所で、それが拠り所にならなくなるなら、自分は今の組織を何のこだわりもなく去るのだろう、と思う。


よく、上司や同僚との人間関係がきつくなる、とか、会社の事業情勢が想定と違う、とかあるんだが、今のワタシはそれらははっきり言ってどうでも良い。極論言えば、であるが。当然、事業成長や組織目標の実が、は現実世界ではやる、のだが、雇用契約上の仕事としてやるのであり、自分のやり甲斐、というのはまた別にある。



それを忘れそうになっていた。



人事部長か、というほど人材採用に労力を割いており、中途採用や外部登用しか興味がない部長、と見えているかもしれない。


が、それは組織的に必要だからかやる、というのであり、やはり自分は当初転職したときの若手の育成、にこだわりがある。



正直言って、もう、伸びない人は伸びない、というか自身が気づいてかそうでないかわからないが、もう取り戻しようがないほどに手がつけられない。

ただ、まだホワイトスペースが残ってるような素直な若手はやはり、そのホワイトスペースに自分が書き込んであげられるものを与えてあげたい、何とか濃いものを描いてやりたい、と思う。



結構ドライに考えないといかん、と思うこともあるが、時間をとって冷静に考えてみると、ここはドライにしてはならんし、そうしたくない。


どこまでこだわって結果に繋げられるかわからないが、自分が関わることで、その若手の人生を抜本的に変えられるほどのインパクトをもたらせられたら、多分、今の自分にはそれが1番嬉しいことかもしれない。



過去に事業成長とか、自分のスキル積み上げ、とか、もうある程度やったから。



今後の日本を作っていけるような人たちを自分の力で一人でも多く、輩出できるようにしたい。




Regards,

Knz

未来、夢を語れるか。

Sunday, November 7, 2021 - Posted by Knz  at 8:27 PM
採用面接をしていて思うこと、


未来、夢を語れるか。


がかなり大事な気がする。


自分が採用候補者であるときにも、ジョインしたら何が期待できるのか。


経済面は二の次で、とはいえ大事なファクターだが、第一義的には



この会社で何を自分は実現できうるのか



という期待値、ではないか。



この考え方自体、フィットしなければ、一緒に働いても合わないので、、、ご縁がなかった、という結論でいい気がする。



向かうベクトルが合わない人は、夢や理想に向けてともに走らないことが通常、なので、早晩崩壊するか、無理が生じる。


夢に共感できる、柔軟に切り替えられる。



こういう人、でなければ無理ではないか、並走するのは。



全員、会った人、付き合う人、全員がそうとは限らない。


そこは無理に合わせるのではなく、合う一つだけで走るしかないときもある。




100%、は無理だ。



70-80%くらいがいい塩梅ではないか。



もし50%未満、なら自分が誤りの可能性大。

真摯に自省すべき、と思う。





Regards,


Knz

本質を見極める目。

Sunday, October 31, 2021 - Posted by Knz  at 8:29 PM
夫婦がうまくいく理由はいくつかある。


これだけ、ということではないし、うまくいくことばかりではないが、他の女性だと満たすことは難しい点が一つある。



本質を見極める目、である。




日本最高峰の芸術大学を出て海外留学の費用は無償、というトラックレコードを持つのは伊達ではない、と思うことがある。



これは、というものを外さない目、である。




多分、最高峰のものを見てきた故の鑑識眼、なのだろうが、あの女優はうんたらかんたら、と私が何も考えずに批評していたら、



演技は上手いのよ




と一言。



ほんとかよ?と思ってそのドラマを見たら、ホントだった…




こういうことは今までも何度もあるのだが、こういう、稀有な才能、というのか、いつもアホみたいな会話している中では計り知れない、内に秘めた才能、みたいなものには舌を巻くことがある。


これは他の女性でも100万分の1くらいの確率で出会うことがあっても、他のことである程度フィットする、という組み合わせになると、多分1億分の1くらいの確率になる。

こう書くと、日本人で出会うのは、妻くらいしかいないので、出会ったことが奇跡としか言いようがない。
多分、ワタシはとても惚れやすいので、好きになれる人は数多いると思うのだが、付き合ってうまくいき、その後夫婦になり、子供までもうけて長らく一緒にいる、は完全に別次元だ。生涯一緒にいることを可能にするだけの相性やリスペクトが必須である。



1億分の1、と書くと、ほんとかよ?と思う確率だが、仮に私が離婚して、誰か他の人を探しても、その後の人生をともに歩みたい、と思える人が最終的に見つかり、その人が私を受け入れる、たいう可能性は、ほぼゼロ、だろう。


後者がかなり難しそうだ 笑。


色々不満に思うことはなくは無いが、10年以上の付き合いになるし、それなりの関係性なのだろう、やはり。


運が良い、というのはこういうことを言うのだろうか。




Regards,



Knz


Nostalgicな触れ合い。

Friday, October 29, 2021 - Posted by Knz  at 11:58 PM
インフルエンザ接種に近くの診療所へ。


待合室で接種まで待つ。



爺様が受付の婆様と話す。



ここは優しいからいい。
こわいのは嫌。



思わず笑ってしまったが、自分の名前が呼ばれ、インフルエンザワクチンの接種。




ふと話しかけられる。お歳を召した、おばあちゃん
のような看護師に話しかけられる、その内容。
なんでもない様な内容。接種後の注意点、なのだが、
お風呂に入るな、アルコールは飲むな、と、ごくごく昔からよく聞くような話。


でも、その語り口、ワタシはそれを守らなかったら、腕がハンバーグみたいになったらやめとき、という、ご自身の体験から控えてね、と、ウフフ、と笑いながらの何でもないようなやりとり。



ワタシの生まれ故郷、小さい頃には当たり前のような
風景が妙に懐かしいし、心地よい。



色々効率化、とか、注意点を丁寧に、でも事務的に、いかにも仕事、と言うように説明してくれるのも否定はしないが、人がなぜそれをやるのか、という根本には、どこか、こう、懐かしくなるような、人と人の心の触れ合い、というのか、昔ながらの爺様が病院が嫌いでも、ここなら来れる、みたいな安心感を醸成できる人達。それは経済的な尺度では測ることが難しい、ことによると、全く付加価値と認識されないようなこと、が、実は本当に人々に普遍的に届きうる価値、なのではないか。




行き過ぎた定量化、何でも数字でしか判断できなくなるのではなく、自分の感性で価値を判断できることも、持ち続けてないと、判断を見誤りそう、というと言い過ぎかもしれないが、真の価値、というものを考えさせられた。


自分のモノサシ、は持っていたいし、それでしか測れないものはまだまだ世の中あるんだと思う。



いい国に生まれた、と思う。



Regards,


Knz

努力できる人と諦める人。

Monday, October 18, 2021 - Posted by Knz  at 11:59 PM
当たり前だけど二種類いるなあ、と最近
つくづく思う。


努力し続けられる人と諦める人。



後者は信じられない様なタイミングで
いなくなる。


例外なく。


ただ、本人ももう限界だ、と思うに至るまで
の葛藤のようなものはあるかもしれない。


が、もうアカン、という人は途中でバスを降りる、
となる。



生きるか死ぬか、まで大袈裟な話では無いかも
しれないが、でも、もうアカン、という人は
やはりもう再び元の打席に戻れなくなる。


だって、努力し続けてる人との差が広がりきっちゃって、気づけば浦島太郎状態だから。




何度も書いてるように、最終的には




気づけるか






これがある人ない人で人生様変わり。




エンジョイできるひとは直向きに目の前のことに向き合い続けて、バッターボックスで打ち続けられる人。




時にはバントでもいい。ヒットやホームランなんかたまに出る、でもいい。たまには三振、ファールもデッドボールもある。



でも、いずれもバッターボックスに立って起きてること。



立ち続けてればいつかは形になってくる。




でも、表面的にバッターボックスに立ってるフリをする人もいる。




やるんだったら下手だろうが何だろうがとにかく打つんだよ、本気で。



それが出来なくなったら、もう、生きてても、実質死んでますよ。死に体。




こういう当たり前のこと、って、意外に世の中声に出す人もいないし、聞いたこともない。




一番大事なことだろうになあ。





Regards,



Knz

Priceless.

Wednesday, October 13, 2021 - Posted by Knz  at 11:58 PM
Google photoで昔の写真が出てくる機能があるが、
結構秀逸である。


意識せずとも子供が小さい頃の写真とかをある程度の頻度で成長過程とともに見ると、ほんとにpriceless、とはこのことだ、と思う。


掛け値なしに可愛いいし、あまり使わない言葉だが、愛しい、という言葉のレベルがピタリはまるレベル。


ほんとに裏切ることはできない存在だと思うし、生き甲斐そのものと言っても過言ではない。



コロナ禍でワーワーうるせーな、と、思うことも往々にしてあるが、仕事が終わってまともな時間なら、すぐに子供の顔を見て、少しでも歓談して、というのが平日でもできる、というのは、ほんとに幸せだなあ、と思う。



緊急事態宣言があけて、やっぱオフィスでしょ、というイケてない会社から転職してくる人を見ると、共感できるなあ、といつも思う。



オフィスもたまにはいいけど、毎日出社を再開、とか、生産性が下がるから、とか、???と首を傾げる今日この頃。



Regards,



Knz