他者依存の人生はハッキリ言って自分の人生を生きてることにならん。
どう考えてもならん。
どうなったとしても、自分でコントロールし続けて、泣き言なんか言わんと、何か起きても自分の判断、決断の結晶として、なるようになっていく。
あまりに向き合うものの事がデカ過ぎて、もうどうにもならん。
そんなときにはホントに自分はどうしたいんか、どう人のためになるべきなんか考え、最適、と思うことをひたすらやるだけやねん。
ほんとに自分という存在の小ささを最近思い知る。
そんな中でもがき、苦しみ、でも、これは最高や、すごい、とか感動できる、心が震えるようなことがありさえすれば、生きていてナンボ、と思える。
コントロールが効かないことがあまりに増え過ぎても、各自に自分がハンドル握り続けられることに向き合い続け、自分が思うように導いていく。
それしか出来へん。
それしか出来へんが、やり続け、どうにもならなくなったら、それはもう運命や。
そう言いきかせるしかない。
誰もどうにも何にも言わん。
どうにもならなくなるまでは走り続けんねん。
それしかできへん。
それしかほんとに誰であってもできへん、と思う。
そうと信じて走り続けたら、何が起きても自分のせいや。
自分で考えて、判断、行動し続けた結果だから、ほんとに誰を責めることもするつもりは無いし、きっと腹落ちできる気がする。
100%でなくても、かなりの割合、自分で受け止められる気がする。
そう信じて突き進む。こんくらいしかできんな。ほんとに。エクセレントな人では無いので。
こんなこと考えるようになるくらい、ヒリヒリする毎日もそんなに悪くない。
だって、生きてるうちに一つでも多く、未体験ゾーンを経験したいから。
そのくらいしかもう面白い、楽しい、ってこと、残ってないのよ。
カッコつけ、とかじゃなくホントに。
Regards,
Knz