複数のPar.

Saturday, August 28, 2021 - Posted by Knz  at 9:22 AM
昨日、一年ぶりくらいにラウンドしてきたわけですが、池とバンカーに悩まされてハマったホールを除けばそれなりに安定したショット、パットができるようになり、124、うちPar2回、と、質的にベストスコア。120切れるか、、と思ったら、最後に叩きまくってしまい、、、何とももったいない…


当たり前ですが、一打一打を丁寧に考えて、どこに飛ばすか、どうホールアウトできるようにするか、ストーリーというのか、アプローチ、というのか分からんけども、1ホールずつ、どう組み立てるか、を意識し、丁寧にショット、パットを打つ。これに尽きる。
逆に言うとこれまでは丁寧さが欠如、というか、その前提になるショットやパットの安定性自体がなかったので、組み立てようにも組み立てられなかった、ということかもしれない…


氷嚢をホールとホールの間の待機時間にあてる、という地味にコンディションを正常に保つのも大事だな、と。昨日は借り物だったので、早速購入。水も飲みますが、冷やす、が炎天下だとかなり大事。


100を切れるようになるのはまだ先になりそうだけれども、少し自信になったラウンドだった。多分練習の仕方はそんなに間違えてないんだな、と。


Regards,

Knz

理想と実践。

Wednesday, August 25, 2021 - Posted by Knz  at 12:16 AM
理想が高く、夢ばかり語り、いざその夢を手にした後に、実はそんなに求めてなかったのか、単に野次馬レベルの夢だったのか、実践する、という人は極めて少ない、と感じる。


数百人会い、その中で10名前後のこり、というふるいの掛け方をして、さらにその中で数名いるかどうか、というレベル感ではないか。

夢を夢で終わらせず、地で実践する人は。

実践する、までならまだ軽く、実践できる、繰り返し何があろうが向き合い続けられる。


このレベルになると1,2名、いるかどうか、というレベル。ゼロかもしれない。




それだけ真に有能なひと、というのは世の中に少ないのだろう。


とすると、裏を返すととんでもない希少価値、というものが存在するのではないか。



自分のこと棚に上げている感もあるが、、、レベルやレイヤーが違くても、多分おんなじような感覚値なんじゃないか。



でも、それに気づくのも不幸なことに、そのように見られてる時はそんなに気づかないもの、違うレベル感、レイヤーの人とは永遠に合わない認識齟齬、なのかなあ…


諦めたら負け、とはよくいう話なので、いけるところまでまずは行くか。


Regards,


Knz


未来。

Saturday, August 7, 2021 - Posted by Knz  at 11:22 PM
自分がドキドキするもの、って何なんだろう、と
ふと思うと、


未来



だ、と初めて分かったかもしれない。


テクノロジーにこれほど興味があるのも、今の最新
技術で何ができるようになるのか、社会、世界がどう変わるのか、自分の身の回りがどう変わるのか。
これらが自分にとってのコアな関心事ではないか、と初めて思うに至った。




エスタブリッシュメントとかエリートとか社会の階層、とか、全く刺さらないんだけど、最近ちょいちょい報道されるトヨタの未来構想とか、ブルーオリジン、イーロンマスクの会社、ヴァージンの民間宇宙旅行、NASAの火星の探査、とか、カッティングエッジなニュースには、我ながら少年のような心でそれらを見ている。


多分、そういう革新的な変化が何より好きで、逆に言うと旧態依然とか保守的な変化の無いものが何より嫌い、という、白黒が極めてハッキリしている価値観何だと思うに至る。



言葉に落とし込めないモヤモヤが働き始めてからずーっとあった、何を求めてるのか、自分でもよく分からないけど、その時々のフィーリングで生きてきた感があるが、改めて何なんだ?というと、冒頭のことに帰着すると思う。



サチッたりすると、途端に変化はなくなるので、そんなものには全く情熱を燃やせないが、普通の人が嫌になるくらい、ついてこれないくらいの変化の連続、その中でどうすべきかを爆速で考え、策を講じ続ける、その結果、成果、結実するものがある、という、この忙しないサイクルの渦中にいるのが、自分が心地よい(ストレスフルだし、大変だし、疲れるけど)環境なんだろうな、と、何となく合点がいった。


社会人経験が15年以上となり、これまでずっと自分探しのような状況で、とにかくブランド力みたいのを前半から中盤まで繰り返して、何か違うんだよなあ、とどこに行っても思っていたことが、初めて言語化できた気がする。



Regards,


Knz

飽和…

Sunday, July 18, 2021 - Posted by Knz  at 9:52 PM
以前、飽和感、と書いたが、この夏の旅行、ある程度いい宿の最高ランクの部屋に宿泊したが、あまり感動が無い…

風呂などはいいのだが、他にいくらでも上はあるだろう、と思うこと数々。


妻と子供はある程度満足してそうで良かったが、もはや自分は外でいい思いをしようとしても難しいのか、と思うほど、感動が乏しい…


それよりは豊かな自然、パノラマの山々が空前絶後の好天で見れる風景の方がグッと来る。要は非日常度合いが高いほど感動できる、ということか。


感動をもたらすサービス、宿、というのは中々無いのですかね。


Regards,


Knz

効率性の先にあるもの。

Tuesday, July 13, 2021 - Posted by Knz  at 9:39 PM
効率性。


高めれば高めるほど良い、と世間では言う。


自分もそれを最高レベルに高められるよう、努力、精進を惜しむことなく取り組んできた。





かなり逆説的だが、理屈では効率性は上がっているし、と思うのだが、どこか物悲しいものがあるのはなぜだろうか。




ものすごい非効率さの塊、手のつけようもないほどどうしようも無かったが、どこか心の本心では人と人との生身の格闘技、のような、決して美しくはない、ドロドロしていたり、ダサかったり、みっともなかったりするんだけど、連帯感とか、こころが通じ合うような熱さ、繋がり、熱と熱とのぶつかり合いの結果澱む空気感への不快さ。



でも、しばらくすれば、どこか心は満たされて、逆にそれが無くなると欠乏症、というか、渇望感、というか、無い、と言えば嘘になる、自分でも信じられないようなwetなものへのノスタルジーを感じる。



多分、スーパードライ過ぎるのも、人間同士のぶつかり合いの濃さがスコーン、と抜けてて、違和感、物足りなさにいつしか発展するのかもしれない。



最近、海外ではオフィスに週数日を必須とするような動きは各社あり、なんて非効率な、と思うし、通勤なんぞもはや無駄以外の何者でもない、とも思うのだが、馬鹿みたいに心の奥底は自分の上部の所感と別のものが渦巻いている。



人と人の触れ合いに飢えてきてるのかもな、と。

いい加減、コロナ禍も出口がはよ来ないものか、と正直感じてしまう。




Regards,


Knz

軋み。

Saturday, June 19, 2021 - Posted by Knz  at 11:27 PM
どこか無理が生ずる。


身体か。精神か。身の回りの人間関係、家族か。



誰も語らないが、誰しもどこかが他より優れたら、どこかは凹む。


トレードオフだ。



そのバランスを自分なりに最適に保つ、目指すこと。



誰も正確なんて教えられないし、自分の中にしか答えはない。


答えばかり、だれかに聞いて、何かを為す。



こんな楽なことはないし、振り回されて不幸になることはない。



どこかで自分のなりの最適解が崩れたとき、それがunrecoveralbleとなるとき。





何かを変える、均衡を取り戻すために動くとき、何でしょう。




逆にある程度の均衡が確保できているとき。次なる不均衡にただ備える、準備を自分なりにするだけ。




会社での上司や同僚からの評価なんて小さな点のようなものだ。



自分の人生における均衡の最適化。わがままなのかもしれないが、許される限りのわがままは、無くなれば個人の幸せ、なんてゼロになる。


だから、結構、大事にした方がいい、と私は思う。




Regards,


Knz

脳天をつくような問い。

Friday, June 18, 2021 - Posted by Knz  at 11:31 PM
パパは何で勉強するの?


ママは何でお料理つくるの?





まだ幼い娘からのこの二つの問いは脳天突き抜けるかと思うくらいに脳裏に残った。


要は、娘の目に、明らかなる家庭内の分担が見えている、ということである。


私がほとんど仕事と勉強しかしとらん、と見えていて、妻は家事をやる人、と見えている。



嘘偽りなく娘の認識が正しい。




それだけに本当に今の時代に沿った親の在り方を見せられているのか?という疑問を呈されたら、それはNo、だろう。明らかに。


明治、大正、昭和の親の分担とさして変わらん姿が幼い娘の脳裏に焼き付いてるのか、と思うと愕然とする


バランス、というが、本当にバランスさせようとすると、経済面での家庭の安定に確信を持てない、ゆえにそれに集中せざるを得ない、というのが本音である。

ある種の畏怖、のようなものがついて離れない、というと大袈裟かもしれないが、でも、妻に自分程の諸徳形成能力も意欲もない、実現方法もない、と認識したら、のこるもう一人の親がすべきことは、ひとえに稼ぐしかない、倒れることなんて許されない、稼げるだけ稼ぎ続けるしかない、と、誰も言わない話だが、事実、それしかない、という現実がある。



メディアは好き勝手に、ふわふわした世論形成をしているが、世帯ごとの真実や事情などガン無視である。



自分の選択肢が正しいかどうか、より、少なくとも私は経済的に困窮する自分の唯一の家族を見たくない、という唯一無二の、非常にシンプルなポリシーを貫いているだけである。


散々カネの話で喧嘩だ親族の亀裂だ、というのを私は見てきた。多分、これがある種のトラウマだろうし、ゆえに会計士を取るようなところまでカネに興味を持ったのだと思う。


どうすれば良かったのか。




あの凄まじいまでの醜さを、どうしたら見なくて済んだのか。




多分、それだけ、なんだと思う。





書いていて非常に悲しいが、でも、自分の人生で何やわ実現したい。ということが本質的にはあるのかもしれないが、何を避けたいか、が根源的に優ってきた、それを極端に恐れ続けてきた、今なお恐れている、ただそれだけ何だと、最近、冷静に見つめなおして思うようになってきた。




多分、いまの生活レベルで十分満足、あとは今まで回避したいものを回避できる状態を担保しつつ、自分が培ってきたものが他の人に良い形で還元出来さえすればいいんだろうな、と。綺麗事のようだが、そんなに何にならないと気が済まない、みたいのは、もうあまり無い。


それより、自分から何かを与えられた、誰かに喜んでもらえた、助かった、と言ってもらえた、という無形の価値のようなものが、気づけば生きる糧になっている気はする。




ここまで正直に書いたのは初めてかもしれない。




これまで抑えてきたものを一気に吐き出したせいか、涙がなぜか止まらない。





自分がいる、生きていることの価値、のようなものが、本当にあるのだろうか、という、根本的な疑問、のようなもの、奥底には、凄まじいまでの自身の価値への自信の無さ、のようなものがあるのかもな、と正直なところ思う。



こんな話はとても人には話せないね。





Regards,



Knz