高めれば高めるほど良い、と世間では言う。
自分もそれを最高レベルに高められるよう、努力、精進を惜しむことなく取り組んできた。
かなり逆説的だが、理屈では効率性は上がっているし、と思うのだが、どこか物悲しいものがあるのはなぜだろうか。
ものすごい非効率さの塊、手のつけようもないほどどうしようも無かったが、どこか心の本心では人と人との生身の格闘技、のような、決して美しくはない、ドロドロしていたり、ダサかったり、みっともなかったりするんだけど、連帯感とか、こころが通じ合うような熱さ、繋がり、熱と熱とのぶつかり合いの結果澱む空気感への不快さ。
でも、しばらくすれば、どこか心は満たされて、逆にそれが無くなると欠乏症、というか、渇望感、というか、無い、と言えば嘘になる、自分でも信じられないようなwetなものへのノスタルジーを感じる。
多分、スーパードライ過ぎるのも、人間同士のぶつかり合いの濃さがスコーン、と抜けてて、違和感、物足りなさにいつしか発展するのかもしれない。
最近、海外ではオフィスに週数日を必須とするような動きは各社あり、なんて非効率な、と思うし、通勤なんぞもはや無駄以外の何者でもない、とも思うのだが、馬鹿みたいに心の奥底は自分の上部の所感と別のものが渦巻いている。
人と人の触れ合いに飢えてきてるのかもな、と。
いい加減、コロナ禍も出口がはよ来ないものか、と正直感じてしまう。
Regards,
Knz