最後のクライマックスとか、ほんとにグッとくるようなフレーズがいくつもあったが、霜村、黒田のやりとり、ラストにそれが国連イベントのスピーチで表に出される、という流れは何とも言えない。
国益、という御旗を掲げて政治、官僚は動く。が、そのベクトルがどこに向くのか。関係国なのか、そこに生きる人、なのか。大きな違いはそこにあるのではないか。
意思決定の先やその陰にいる声なき人たち。それが国際関係の保全のために隠蔽、のような形となるときには悲劇を生む。生み出そうとせずとも、途中で軋みが出て、それが悪夢に発展し、と。
誰かが死なないと何も動かせない国って何なんだよ、という、厳密ではないかもしれないが、そのような一節は頭がスカーン、と弾かれたように印象に残る。
国家や官僚組織など、個人からするととてつもない巨大な存在を動かすには、覚醒させるには、今も昔もそれまでに失われる命がつきまとうことが多いように思う。
国連イベントのスピーチや黒田の言葉にもあったが、テロリズム、復讐というのはあってはならないこと、なのだろう。とはいえ、それが起きる背景にある声なき人の声に傾聴しない存在もまた大きな責があるのではないか。
国家や組織、といった人が作り上げた概念的なものではなく、生きる人、関係する人、そこから目を背けることなく向き合う、という、決して外交官だから必要な姿勢ではなく、ひとりの人として考えれば当たり前のこと、人を不幸せにしない、悲しませない、そういった想いを持って物事に取り組めば、誤ったベクトルに傾いていくのを少しでも避けられる可能性が高まるのではないか。
そんな国にしたくて官僚になったんじゃない。
日本を信じることを諦めない。
このような理想像のようなものかもしれないが、想い続けること、それはいつもひとつひとつの行動を戒めてくれるのではないか。
Regards,
Knz