未だに3.11以来、ミネラルウォーターを買って飲む習慣であるが、当時は完全に恨み節で人災以外の何物でもない、と思っていた。
現場の混乱、地震だけでなく、炉心溶融回避のため、世界初のベントを実施するため、決死隊と呼ばれる現場作業員で圧力を外部に逃す、結果、爆発よりはマシな放射線量を放出する、という試みも実施。
次々と下される現場判断を見ていると、映画ゆえ、綺麗に描いているところはあり、実際はもっと混沌としていたのだろうと思うが、極めて厳しい環境下で最前線の原子力プラントエンジニアが奮闘し、炉心溶融回避のために原子炉を海水で冷やす活動をしていた人達、自衛隊員のひとつひとつの積み上げが、原発を放棄せずに沈静化することに繋がったのだろう。
東日本はチェルノブイリを超える惨状に至っていた可能性もゼロではなく、と振り返ると、全く違う未来になっていた、というか生きれてないかもしれない、ということである。
最前線で刻一刻と変わる状況を踏まえ、ひとつひとつ判断を下すのは勇気も覚悟も要る。その結果が吉と出るかは分からないが、その都度、最良と思える選択肢を決断するのは胃がキリキリするがリーダーはそれを求められる。
また、最前線で旗を振り続ける必要があるし、一波乱あれば現場の最前線に駆けつける必要がある。火事場を他山の石、と見ているだけの人も世の中いるが、リーダーは現場を目で見て最善を尽くす義務があると思う。それを地でいくような様子に只々感銘を受けた。生きるか死ぬか、という局面、連日徹夜のような状況下では、極めて難度の高い意思決定の連続だと思う。冒頭申したような、人災、と整理するにはあまりに不誠実で、むしろリーダーたるや、どうあるべきか、を大いに思いしらされる現場風景である。
肝に銘じておきたい教訓のようなものを再認識するに至った好作だと思う。
Regards,
Knz