コトバの感覚値。

Saturday, March 20, 2021 - Posted by Knz  at 6:22 AM
詞の重要さをこの歳になって感じる、刺さる、刺さらないが、詞によっても左右される、と思うほどよく言葉に耳を傾けるようになった、とか、動画だと思い切り詞が出てくるわけで、とすると気になる、という。


色んな曲の詞をつぶさに見ると、どうしてこんな言葉の選定になとちゃうの?とか、いや、それは選ばんでしょ?とか、ストーリーが滅茶苦茶ではないか?とか、何と言うのか、空気感、世界観のようなものが全く異質で異次元と言っていいくらい合わない、と感じるものが結構、巷にはありふれている。


英語も、いや、そりゃ無いでしょ、というのは結構あるし、英文法、最低そこは守りませんか、とか、いや、それ、使わんでしょ、そこで、とか、ツッコミどころ満載であることに最近、特に気になる。


これらを踏まえると、ざーっと詞をある程度書いて以降の推敲の精度をどれだけ高められるか、世界観を潰さずに言葉を選び切れるか、音楽とのフィッティング、英語で行くのか、日英混在、日本語だけであえていくのか、など、実は相当な選択の集積なのではないか、と思う。


そう考えると、やはり、これは、と感じる音楽というのは、詞に世界観があり、言葉にも違和感はなく、英語など言語選定も、そうだよね、と思うに至るのであり、例えばmiletさんのinside you、というのは曲も詞も良く、果てにはその人の雰囲気、ルックスまで良くて、もう神かよ、というレベルだと個人的には思うのだが、、、要はそこまでの集合体でないと成功しない、ということ、何だろう。


ランキング上位に行くものも大半よーわからん、と思うものが少なく無いが、やはりしかるべき位置にいるのは理由がある、と痛感する音楽、曲もある。


それ相応の歳になってくると、哀愁、というのか、これまではそこまで意識してこなかった部分も気になるようになる、というのか、こう書いてると、実は日々のサラリーマンの仕事で資料作成でフィードバックを受けたり、部下の資料のレビューなどでフィードバックするときの目線で詞を書いて、推敲して、ということゆえ、アウトプットとして自分以外の人に提示するときのシリアスさ、のようなものが、実は思い切り影響してるのではないか、ということにも気づく。


仕事上はワーディング、などという言葉で括られるが、詞もまさにワーディングをとことん突き詰められるか、というところが勝負なのではないか。


これが出来ないと、いくら曲が良くても、音楽としては死んでしまう、と思う。



Regards,


Knz