仮説思考、仮説ベースの問題解決アプローチ、というのはよく言われるスキル。
ファクトを全て収集して動く、と、ものすごくインプット探しに時間が膨大にかかる。
なので、最初に仮説を立ててて、その仮説で課題解決にあたるために必要なファクトだけ集めてアウトプットする、というのが仮説ベースの問題解決アプローチ。
これができないと、いつまでも仕事は遅いまま。ファクト収集して誰も求めないアウトプット、となった場合、時間の無駄、どうしようもない徒労感に襲われ、果てにはバーンアウト。
でもこれ自体ができない人は多い。感覚的に8割くらいの人はこれができない。仕事はなめてんのか?と思うくらいにアウトプットを出すスピードが遅い人が大半。
唯一、ある会社だけは、思い返すと、それができる人がそれなりにいた。だからあの会社は異様なスピードでの成長を遂げられるのだと今でも思う。
他方で、では仮説ベースでの課題解決アプローチだけできればいいのか?というとNo、である。
要は仮説の精度の高さは着地点、目指すゴールを初めから意識できて望むアウトプットを出せるか、ということが極めて大事なのだ。
盲点、というか、2割くらいの仮説ベースでの課題解決アプローチができる人の中でも、その仮説の精度が極めて高い、という人は感覚的にさらに1割くらいまで減る。とすると、数パーセントくらいの人しか、本当に仮説ベースで課題解決に当たれている人はいない、ということになる。
自分は2割の中にはいるが、精度については正直まだブレはそれなりにある。外すことはそれなりにまだある。
が、日々、仮説の精度を極限まで高めたい、外したく無い、という気概をもって、さまざまなインプットをし続けている。それは会社で起きるさまざまな話や情勢、外部環境の変化、要人が語る一言一言のことば。
これらの日々の精進が不可欠で、これこそほんとに本では語ることが不可能な話。汎用化不可能だから。
これが少しでもできてる場合には、側から見ると驚愕、となるらしい。
最近は驚かれることがそれなりに増えてきた。
たぶん、その意味では高い精度の仮説を立てられるようになってきたのだろう。
よくある道に通じるまでには10,000時間を要する、という法則がある、と言われるが、毎月250時間くらいを12か月続ければ3,000時間、なので、3年、同じペースで走り続ければ9,000時間、とかなり達人の息に達するのが早くなる。
自分の職業人としての人生はこのような連続であった、と思う。コンサル時代はもう少し上振れていたが…
ワークライフバランス、とよく言うが、ライフの割合が高い人はそれなりに増えてきていると思う。
ただ、何のために働いてるのか、が自分中心、になっていなければ、あまりそんなバランスは気にもならなくなる。
健康診断はピンポイントで危ないところは出てきていても、やはり、こうしたい、これを実現したい、という想い、というのか、目標とはまた違う気はするが、こういう世界を見てみたい、自分がそれを作り出したい、という精神で日々、コトに向き合い続けると、気づけば達人、というレベルに、誰よりも早く、ふと気づけば到達しているのではないか。
経済面で飽和している、というより、目の前のことに日々夢中で取り組めている、ということなのかもしれない。
タフではあるが、そんな人生もいいんじゃないか。一人でも多くの人に自分の何かが役立つなら、それで。
Regards,
Knz