部下に救われた、と思うことは。
よく聞く話であるが、優秀な部下にここぞ、というときに救われる。それは美談として美しいが、大抵は自分でも当然できることを部下にdelegateして部下がキッチリやってくれた、ということではないか。通常、極めて政治的、という事で無い限り、ちゃんと実務ができる、秀でてできることが上席の前提要件であると思うので。もしそうでないなら、終わってる会社であると思う。
今日、思ったのは、中々際どいシチュエーション、抜本的に考え直す必要がある状況において、自分が採用した部下の働きぶり、前向きな仕事への向き合い方、自分への期待、頼りにするポイントなど鑑みるに、自分の存在価値はあるようだ、という確認。
それは上司とかその上の上層部がどうこう、というより極めてストレートに心に響く、というか、人としてどうか、というレベルの受け取り方、に近い。一度会社員、ということを度外視して、純粋な人と人との関わりとは、というところに立ち止まると、応えないわけにはいかない、という気になる。
そういうものを感じた日。
いくらメチャクチャでも、困惑するようなことが相次いでも、気を取り直せるかどうかはひとえに、そのとき周囲にいる人たちがクリティカルファクターである、と肝に銘じるほどに実感を持って、部下に救われた、と思った。
結局、どういう人と関わりながら人生歩むのか、ともに歩みたい、と思える人がどれだけ周りにいるか、というのが人生における充実さを語る重要ファクターではないか。
Regards,
Knz