予見。

Saturday, January 22, 2022 - Posted by Knz  at 3:24 PM
何であれやってるんですか。



こういう質問をまま受けるが、は?当たり前だろ?最優先だよ、あれは、と思う自分がいるが、よくよく考えると、見えている未来のリスク、が見えているかどうかの違いだろう、と思うに至った。



もしそれを人を巻き込む場合には趣旨、目的をもちろん話しているが、それを聞いてない、背景がまったく分からん、という場合、きっちり説明する必要はあるし、現にしている。



が、もう一つあるのは、そのリスクを


ジブンゴト


にしているかどうかの違いだろう、と。




極論言うと、私はそのリスクを認識したら、将来のリスク度合いと天秤にはかけるが、もしリスク大、となれば間違いなく行動に移す。

それが今まで未踏の領域だろうが何だろうが、やる。

多分できる、という気が数%あればやる。




私の職業人としての歴史はこういうことばかりであった気がするが、立場がより責任ある立場になればなるほど、その難度も増し、胃がキリキリするが、たいていそのリスクを未然にミニマイズしにいくことは、後付けで、やはり必要になったか、と時間差で周りが気づき、重要性が認識されて他の人も本気になり、物事が動き始める。




火事場を何度も見てきたから、とか、色んな経験を積んで来たから、とか、責任ある立場に段々なってきたゆえ、より膨大な情報に触れること、話を聞くことが増えてきたから、とか、複合要因だとは思う。



結局何でも近道なんてそんなになくて、紆余曲折、試行錯誤に七転八倒して、とやっていると、急に道が一気に切り拓けるようなときが訪れることがある。
想定もしなかったような棚ぼたみたいのが起こることも。



ほんとに?何でこんな嬉しい展開?でもちょっと怖いから起こりうるネガも関係する人にはリスクステートはするんだけど、でも、願ってもない、ご馳走様!というくらいに一気に暗闇が快晴になるようなことが。



こういうのがセレンディピティ、とかいうのかな。




セレンディピティと思えるか、それに出くわすかどうかも、ちゃんと目の前のやるべきことから逃げずにただただ愚直に向き合う、ということなのではないか、と。





Regards,



Knz