それすら分からない人が子を持った時に
何が起こるのか。
不器用、という一言で済まされない記憶が
子供に深い爪痕として刻まれる。
その爪痕の所以を振り返る過程で分かる
表面的な受けてきた経験からは計り知れない
愛情。
悲しい、という言葉しか思い当たらないほどに
寂しさが立ち込めているような後味。
もっと上手くいかなかったのかよ?
というのは側から見た理屈ではそう思うのだが、
現実、そんなに綺麗にはいかない、いかないところに
こそ真の感情、想いが存在する、という
矛盾の塊、のようなものが現実にはあり得る、
ということか。
むかしは虐待だ、児童相談だ、とかできる時代じゃない。
その中でふつうの人、不器用なひとはどう生きていたのか。
公的なサポート、があることが救い、となる人もいるのかもしれないが、それが当たり前じゃなかったときを生きた人の記憶、生き様、人間と人間がありのままでぶつかり合って生まれた衝突や誤解。
言葉や行為だけじゃ分からないものもある。
それを感じ、分かり合う。
ルールとか支援、とかじゃなくて、ほんとはそういう、人がひとつひとつ、ちゃんと向き合って考えてぶつかっていく、それしか見えないこともあるんじゃないか。
篠原涼子、はスキャンダラスな人だと思うが、思うがままに生きてる人にも思う。この作品はハマり役だったのではないか。
Regards,
Knz