父の横顔の記憶。

Friday, April 3, 2020 - Posted by Knz  at 10:31 PM
私が幼い頃に父は毎晩のように晩酌、お湯割の
ウイスキーなど、結構度数の高いものを飲んで
いた記憶がある。


毎晩のように酔っ払い、正直みっともないような
酔い方をしている夜もあったように思う。


今思うと、自分の今の年齢より少し上、くらい
じゃなかったかな。


その後、私が社会人になってまだ駆け出しのサラリーマンだったころに大病をして、今はほぼ飲まない人なのではあるが。




今の自分と思っていることがどれだけ似ているのか、
はたまた全然違うのか。それは分からないし、時代も違うので背景、状況、やってる仕事も全然違うし、
何とも言えない。



ただ、何となく、父もいまの私が思っている、背負っている目の前の家族の幸せ、のようなものは頭にあったんだろうな、と。どんどん子供も大きくなり、妻にもあまり負担をかけたくないな、悩んでほしくないな、みたいな。


責任感の強い人であると思っているし、結構愚痴るようなタイプでなく、粛々と毎日真面目に早朝から会社に行くような人であったので、多分自分で何とかしよう、という気概でやっていたのではないか。


こんな話もまともに尋ねたことは無いが、そんなに外れてもないと思うし、あまり身体も強い方ではないのに付き合いだなんだも相当大事にする人で、よく夜遅くにタクシーで帰ってきていた記憶もある。


古き良き時代にもー烈に働いた典型的なサラリーマンであったろうに、と思う。


結構なストレスを自分で解消するために、ひとり、夜な夜な晩酌していたんじゃないかなあ、と思うのは、自分が同じような年齢になってきて、背負うものもそれなりに大きなものになってきたからか。



自分のやり甲斐だけでなく、家庭とのバランスは可能な限り確保し、その制約がある中でどれだけ生きたいように生きれるか。


最適解は自分で導く、切り開くしかない、それに向き合い、邁進していく、というのが何やかんやで落としどころなんかな。



最初に本命と思ってなかった事に、向こうから猛烈アタックされてきて、それが結構やり甲斐もあり、将来性も無くはない、という場合に、いわゆるcomfortable zoneみたいなところに着地しそうだけど、これってどうなんだろうね…



週末と来週、また考えながら動くしかないな…





久々に五次方程式みたいのに対して解をださねばならん。




Regards,


Knz

シニアレベル✖️英語力の不足?仮説。

Tuesday, March 31, 2020 - Posted by Knz  at 10:29 PM
諸々の事情があり、想定外に転職活動中。

今回気づいたこと。



ここにきて英語力が何故か相当バリューが高い。帰国子女でも何でもないが、実務レベルでなんだかんだビジネス遂行ができるレベル、というのは通用するらしい。



経験、スキルがある程度ハイレベルになってきたときに英語力があると中々組み合わせとしていないらしい。

外資系やクロスボーダーの案件は非常に通過率が高い。

だがしかし、コンサバなドメドメ案件はかなり通過率が低い…そりゃこんな短期に転職、となればウケは悪い。。。今回ばかりはかなり不可抗力なんだが、そんなの受け入れ側にはあまり関係無いんだろうな…


うーむ、、、



コロナだなんだ、とこんな情勢の悪い時期に転職を試みるのは初めてで、周りも同じような状況なので苦労している様子が耳に入ります…



はよ情勢が改善せんことを。




Regards,


Knz


妄想。

Friday, February 28, 2020 - Posted by Knz  at 12:21 AM

これがUIの良いソフトウェアで商用化されたら
自分が歌って欲しい、と思う人に歌わせる、
ということが実現できそうで憧れるなあ、と
ぼんやりと妄想。




まだR&D段階なんだろうけど、そんな妄想が
現実に使えるテクノロジーとなるのにどれくらい
かかるのかしらね…数年、では難しいんだろうな


Regards,



Knz

連休に考える。

Monday, February 24, 2020 - Posted by Knz  at 9:54 PM
金曜に年末年始以来、というか、たまたま
関係者が休みの日が金曜だったので、私も
休みをとった。


またみなとみらいに行ってしまった…


妻が呆れるほどみなとみらいに行ってるのだが、
元町中華街から入り、山下公園、
大桟橋、象のうんたらを通り、赤レンガから
観覧車を横目にランドマークタワーの方へ。


年末に掃除して元カノの写真が出てきてから
たまには一人でいきたい、というか
妻は呆れてるのでひとりでしか行けないのだが、
平日の空いている日を、コロナの影響もあり
余計に空いている横浜をただ静かに自分の
ペースで歩いていた。



先週の水曜日、前職のお客様、同僚に呼ばれて
久しぶりに再会。

CFO、と呼ばれ、側から見るとそういえば
そうなのか、と忘れていたことを思い出す。



普段、さん、と呼び合う仲なので、そんなことは
気にしてないので、忘れていた。


が、そうみられる、ということ、それに違和感
をもつ人もいたのかもしれないが、それで通る、
という状況に不思議な感覚を覚えた。



社会人になりたての頃は相当意識したタイトルで
あるが、大した規模の会社ではないにしても
一応は目標地点には至っていることに気づく。



これを突き進めたい、というよりより難易度の高いシチュエーションでも自分はCFOのロールをこなせるのか、ということにひとつ興味はある。


二つ目として、自分は何を成し遂げたい、どうしたいのか、というと、大きくいうと日本の産業の発展、
新たな、大きな存在感を示せる領域を創出し、
子供たちが大人として過ごすときにも、今なお
日本ゆえの強みが強力に国際競争力を保持して
いるようにしたい、ということではないか。

あまり、子供の世代まで、と考えたことは無いが、何故前段の産業の振興、というのを考えるのか、問題意識として長らくあるのか、というと、日本の美徳というか、きめ細やかさ、誠実かつきっちりとやり遂げる、協調してチームとして最大のアウトプットを出す、ということに優れる人たちの多さでは群を抜いている、という認識が過去の社会人経験から思っており、ゆえに世界一になるべきものがそこにはある、と信じてやまない。勿論、米国、中国に比べれば、数がモノを言う、というか、人口やトップノッチの層の分厚さからゆえ、勝ちようもないほどの彼我の差が生まれるのは否定のしようがない、とは思うものの、それでもミクロにみた時の勝率は日本のそれの方が高い、と思っている。


その勝率の高さを可能な限り、高い頻度、広範囲に生み出せることを実現できるとすると、人材もそうだが、テクノロジーによる革新が大きく寄与することと信じている。


テクノロジーの発展を、残念ながらエンジニアでもなく、エンジニアリングをやろうにも、嫌いではないが、どう考えてもそこが自分のコアな強みではない、という認識から、少なくとも最大威力を発揮するためのドライバーたる資金力の確保、そのための資金供与の主体へのアピール、そのための管理、制度会計、など、自分のコアとする領域で寄与できたら、と思っている。


それが特定の会社に属することで成り立つのか、フリーエージェント的にやるのか、そのハイブリッドか、などはまだ分からない。が、恐らく、今年度中には何らか、外的なプレッシャーからの可能性が大、だが、とらねばならなくなる、心の準備、というか、精神を落ち着けておかねば、と思う日々になってきている。



現実逃避ではないが、音楽にこの連休中に久々に触れた。いくつかの本もザーっと読んだ。

ある本に5,10年、と音楽をやるなら感覚だけに任せた制作よりも、ちゃんと理論やノウハウを身につけた上でやるべし、と。頭ではわかってはいるが、やってこなかった、でも5,10年経っても音楽だけは変わらず好きだし、やっぱりちゃんと作れるようになりたい、と思うのも変わらぬ事実。

コード理論の本を読めば耳コピを繰り返せば分かってくることも多い、というか、コード理論を身につける、理解するのに耳コピをお勧めされているのは、個人的な理解では、耳コピは音をちゃんと捕捉するために何度も聴いて確かめる、その間に何度も弾いて確かめるので、終わる頃には耳コピした曲は一通り最初から最後までセルフアレンジで、という前提付きだが弾けるのだ。そして、それらのプロセスで身につけたコード進行、展開の仕方や、自分にとって気持ちいい響き、という誰にも教えられない、自分だけの血肉となったノウハウが身についているのだ。思えば自分の曲は結構苦労して耳コピした曲の数々がベースになっている。結局、演繹的ではなく帰納的にしか自分の曲の引き出しは増えないのではないか。妻に自分の引き出しが少ないからいい曲が作れん、作れても物足りない、という話をしたら、伝えたいことをまずは決めて、そこからメロディ、最後にコード、だろ、と言われたが、正しいは正しいけど、具体的仕上げるときにはどうしても自分の引き出し、インプットしてきたものからしかアウトプットできない、とも話し、であればインプットを増やすのみ、だな、とジムで走って、風呂に入ってるときにぼんやり思った。




何か、連休中に巡らせていた考えを一通り書き出す
だけになってしまったが、大分考えが整理された気がする。


統計だ、ポートフォリオだ、の勉強もするのだけども
週末に少し、でもいいので、積み重ねを始めようかな、と。





Regards,


Knz

今を。

Saturday, January 4, 2020 - Posted by Knz  at 10:29 AM
決して戻ることのない時間

若さゆえかのほとばしる情熱

向こう見ずで、二人以外には何が正しいのかなど判断の余地を見出せず

でも絶対的に超えてはならない一線を超えたときには、他の物事のように少しずつでも綻んでいき、いつかは修復しようのないほどまでに崩れ落ち、やがて紡いだ絆は儚くも弊えていく


なぜあんなに愛した、愛されたのに破綻したのか


その疑問には、小さな綻びは修復できるものとそうめないものがあり、綻びを丁寧に諫めてやること、お互いをまた信じてよい、信じることが二人にとって幸いである、と再び感じることができるようになれれば、別の未来があったのかもしれない


今は当時を振り返り、それなりに経験値も増えた中で考え、気持ちを整理することしかできないが、別れた後、数ヶ月後にやはり謝ろう、と最期に電話で謝っておいたことが唯一の正しい行為、やっておいてよかった、やっておかなければ一生悔いたのではないか、と、今なお思う


最期に話した時をもってお互いの時間は止まったまま


お互い、どんなその後を歩んだのか、他の人には他愛もないことを当事者は気にするものだ



今を生きるしかない、というのが厳然たる現実、か。






Regards,


Knz

Precious memories...

Friday, January 3, 2020 - Posted by Knz  at 5:52 PM
実家に帰省中にもともと私が使っていた部屋が
中途半端に昔、使っていたのや作ったもの、
買ったものなどが残っていて、親から片付けてくれ、
と例年言われていたのもあり、一気に片付けた。

社会人三年目くらいでようやく親への学費の返済
を終え、一人暮らしを始めるときに1Kに行くのだったし、ドタバタで引っ越したので、マストなもの以外は運ばず、その後実家に戻ることなく結婚して別の家に引越しとなったので、片付けが中途半端なまま早、10年以上、と、そりゃいささかサボり過ぎか、と自分に呆れ、片付けに精を出すこと数時間。


高校時代や大学時代に撮った写真だ、自分の曲が
記録されてる、当時使っていたシンセサイザーのフロッピーディスクに、テープ、MD、ライブのVHSらしきものなど、捨てることを踏みとどまるようなものもあり。


短期留学したときのノートや現地の観光時のパンフレットなどの間から当時の彼女が作ってくれたらしき海外持ち物リストが出てきたり、捨て切った、と思っていたツーショット、当時ペアでつけていた指輪、など、思い返せば捨て切るときに踏みとどまったのか、と写真を一枚だけ残した記憶はそういえばあるが、多分指輪は10年前とかのタイミングではまだ捨てるにはきつかったので取り敢えずとっておいたのだろう…

持ち物リストの手書きのメモを見ると、なんとも当時の記憶やどんな人物であったのか、など走馬灯のように思い出が駆け巡り、年甲斐もなく何度も読み返してしまった…妻に見つかってはまずい、とやや後ろ髪引かれる思いはあったがゴミの山の中にそのメモや指輪も投じた。何とも書くのも恥ずかしいような手書きのメモと、私の寝顔のスケッチなど出てきたときには埃に塗れながら、まじまじと見てしまった…こんなに想ってくれる人がいたのか、自分にも…、と当時はありがたい、とは思うものの日常であったろうに、何でもないと思ったレベルのものでも、こう十数年前には事実としてあったことか、というと途方もない他人事のようで信じられない、と何とも言えない心境になってしまった…いい歳になって年初からとても小っ恥ずかしい気持ちにガラクタの中で佇んで…






写真一枚だけは今回もなぜか捨てられず、持って帰ってきてしまった…




おまけに別の彼女だった人からの寄せ書き(同じ職場だったから当然なのだが…)も発見し、それも持ち帰ってきており、それは他の講師からも書いてもらったもののカタマリだし、とよくわからない本音だけど言い訳に聞こえそうな、でも妻には言えない悶々とした気持ちになるものも今や私の部屋に…




うーん。秘密は誰にでもあるのかもしれないが、実家から私物の整理を要請され、整理すると色々出てきてコンマリのようにサクサク捨てるのは何とも言い難いものが出てきたので、タイムカプセルがあるなら埋めたいくらいだ、というものがものすごく身近にあることに今後はなるので、暫くは悶々としそうな予感…




年始からなんだろうね、こりゃ。




Knz

Hard thingsは続く。

Thursday, December 5, 2019 - Posted by Knz  at 8:16 PM
Hard thingsは続く…


こんなことがあるとは…何かどこかで見たことある、ゆえにできてしまう、できていることも…



正直悩む…



あるイベントに向けて休み、一人でいる時間がここ最近何日かあって思いにふけることができたことも大いによかったのだが、不思議と敵前逃亡する気は無い。
思えばいつもこの辺で戦線離脱していた気はする。






こういう考えを巡らせるタイミングがこれまでいた会社よりも早い。それは別につまらないから、ではなく、会社が小さいゆえ、起こることの影響度がひとつひとつ限りなく大きいことが普通で、ゆえにそのたびに深く考えさせられる、判断しなければならないことは多い、から、なのか、それだけ濃縮された時間を過ごしてきた一年半、なのだろうか。




綺麗ごとだけでは決してないし、むしろ綺麗でないことの方が多いのではないか。




いわゆる戦時モード。



この戦時を切り抜けられるか。

切り抜けられなければ自ずと次の世界を探すことになる。



見たくないがみたい。



単純にそれだけなのか、ある意味で自意識過剰な自分の思い込み、ある種の、この立場にある人間なら逃げてはならない、大袈裟かもしれないが、最後の砦としての責務を最善を尽くしてやり遂げる、少なくとも手は尽くしていく必要はある、シンプルに言うと



昔の若い頃の自分が今の自分を見ていたら、お前はどうすべきなんだ?


若い頃の自分から見て、今のお前が果たすべきだ!と強く迫られたときに、どう振る舞っているべきか?




単純にシャドーボクシングのような、仮想のやりとりが1番の判断軸なのかもしれない。






Regards,


Knz