メロディが溢れ出てくる、と妻に言うと、それは才能だ、と。妻は大層な音楽の経歴を有するが、そう言う音楽的なバックグラウンドがあっても、全くメロディは浮かばないらしい。
作曲、というのと、高度な音楽を奏でられる、というのはどうやら全く別物らしい。
私は作曲は出来ても、残念ながら高度な音楽は奏でられないし、人前で演奏、とか、やってはいたが、完全に素人の域を永遠に出られないだろう、くらいのクオリティ、だと自分でも思ってしまうほど。演奏力、は作曲のためのスキル、くらいに自分では割り切ってしまっているかも… こう書くとやや悲しいけども…
個人的には音楽の基礎もほぼなく、未だ大いに感覚に頼っているのだが、相当色んな音楽を日々、勉強しながら、とか、電車内、ジムで運動しているとき、など、聴いていると、妙に自分の中で鳥肌が立つくらいキーン、と身体の芯を貫くような、波長が合う、というのか、”とある曲”、それはほんとに色々あるのだけど、そういう曲のある一節がある。
それをずっとリピートして聴いていると、メロディが浮かんでくることがある、というかそれに尽きる。
いきなりピアノとかに向き合っても私の場合は何も浮かばないのだが、そういう、自分の感覚に同期する、というか、非常に何かがピタリと共鳴し合うような曲をただひたすら繰り返し聴いているだけで、メロディは溢れ出てくる、というのが、自分に起きていることを文字にすると近い表現、な気がする。
何とも言語化が難しいし、同じことを他の人がやって、と言ってもできるような話ではなく、多分、私に特有のもの、そういう再現性が他の人に多分同じくは存在しないだろう、それを才能、というなら、少しだけそれはあるのかもしれない。
まあ、その才能、というのが、どれだけイケてるものなのか、影響力を持てるのか、というのはまた別次元の話、で、もしかするとあまり無い、のかもしれないが、、、個人的には誰かに自慢したいとか、そういうものでなく、そういう自分にか無いもの、だろうものは結構密かに大切、で、これがあり、音楽をずっと聴いていられ、作ることができるなら、究極的にはそれを生きている間中、ずっとやり続けたい、と思うし、自分はそういう人生が幸せな人生だろうな、生きる意味、みたいなものだな、と思う。
Regards,
Knz